気候変動の研究から教訓は得られたのか?
科学者は何年も前から、気候変動がこのまま進行すれば人類には多くの存続の危機が訪れると警告してきた。しかし世界の指導者たちは新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に直面するまで、その脅威が現実のものであり、危機に対応する準備ができていないことに気がつかなかった。だが今後、何かが変わるのだろうか?
ジュネーブに事務局を置く「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の目的の1つは、人間の活動が地球温暖化加速につながるとする報告書を公表することだ。何千人もの科学者が定期的に意見交換し、報告書は国際気候サミットなどで政策決定の重要な参考資料になる。
IPCCは2014年、同年の評価報告書に「健康と気候変動」に関する部門を新たに盛り込んだ。これは、幅広い科学情報を評価した広大な研究をまとめたものだ。ここでは、気温の上昇によりマラリアやデング熱などの蚊が媒介する感染症の拡大が指摘されていた。以前の調査では、化石燃料の燃焼による大気汚染も指摘された。干ばつ、津波、ハリケーンなどの異常気象で、食料供給や水の確保が脅かされているという警告もあった。
世界保健機関(WHO)公衆衛生・環境・健康の社会的決定要因部局のマリア・ヴェイラ局長は、環境と疾病のつながりは今や明らかだと指摘する。「激しい森林破壊、一部地域における農薬や肥料を使用した強引な農業的慣習、野生動物の消費や商品化、強引な都市化といったこれらの事実が全て、ウイルスの拡散を助長している」
エボラ出血熱や重症急性呼吸器症候群(SARS)、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)は、特に環境破壊的な慣行を通じ人間が動物の生息地を侵した地域で、動物起源によるものであったことも知られている。中国・武漢を訪れたWHOと中国の専門家からなる国際チームの初期報告は、新型コロナウイルスは動物起源の可能性が最も高いと指摘した。
他の多くの科学者たちも、土地利用が変化し自然界のバランスが崩れ、動物を宿主とする病気が人間に伝播するリスクを長年にわたって警告してきた。だが政策決定者は彼らの声にほぼ無関心だった。
だが、ここに来て変化の兆しが出てきた。パンデミックが始まって以来、環境悪化による健康への影響を通じて、新型コロナは政策決定者の目を環境と気候変動の関連性へと向けた。
ジュネーブ国際環境研究センターのコンサルタントで研究者のダリオ・ピセリ氏は、「IPCCは数年ごとに、ある問題に対する考え方を変えてしまうほど破壊的な出来事が起こる事態を、ある意味鮮明に描出している。今後はこのようなことをもっと目にするようになるだろう」と述べ、パンデミックと健康、環境、気候を結び付ける科学的研究報告書や政策文書が多く存在することも示した。
IPCCは来年の第1四半期までに第6次評価報告書をまとめる予定だ。広報担当者はswissinfo.chに対し、締切日前に公表された新型コロナに関する文献を7月末までに査定すると話した。
この数カ月間で、パンデミック関連の報告書は多数発表されている。2月の国連環境計画による「Making Peace with Nature (自然との仲直り)」もその1つ。これは環境と健康が連結する危機への取り組みの中で、多様な包括的評価を統合したものだ。
ブラジルの研究者は、アマゾン川流域の農業や採掘による森林破壊や、気温の上昇、降雨量の変化により生物種がストレスにさらされ、新種のウイルスが出現するリスクが高まっていると警告した。
パンデミックが気候対策の機運を後押し?
こうした報告で人々の意識が高まり、指導者に行動を求める圧力がかけられたかもしれない一方で、気候変動を巡る対話は19年12月のマドリード国連気候変動枠組条約締結国会議(COP25)以来、滞っている。
ピセリ氏は、パンデミックで健康が注目されたことで、気候変動の対話が前進する可能性があるという。「パンデミックは明白な形態の危害であり、私たちの法制度にはっきりと存在している。私たちがこの(気候変動に対する)問題と戦い、政府に責任ある行動を求める上で手助けとなる『味方』のようなものだ」と話す。
COP25は炭素排出量取引制度のルールや、気候変動の影響を受ける国への資金提供の新たな道筋づくりで加盟国の合意に至らず、失望のうちに閉幕。その後コロナの影響で次回のCOP26グラスゴー会議が延期され、取り組みへの失速や行動の遅れを懸念する声が上がっていた。
スイスのフランツ・ペレス国連環境大使はswissinfo.chに対し、COP25以降、公式交渉だけでなく非公式な交渉さえも行われていないことは「後退」に等しいと語った。また、対面での直接交渉延期による遅れが、グラスゴー会議での目標実現をさらに困難にするだろうとも述べた。COP26は11月に開催される予定だ。
ただ、国レベルではいくらか機運が高まっている。多くの先進国は、パンデミックが始まって以来、温室効果ガス削減目標を引き上げた。欧州委員会は、地域の経済刺激策として気候変動対策をEU回復の中心に据えると述べた。野心的な欧州気候法では、50年までにEU域内の気候中立(カーボンニュートラル)を目指す。スイスでは6月の国民投票で、温室効果ガス削減目標を明記し、輸入製品の二酸化炭素排出量にも目を向けた改正二酸化炭素(CO2)法の是非が問われる。
だが研究によれば、全体的には国際的誓約はまだ十分ではない。現在の公約のままでは、2100年までに地球の平均気温は産業革命以前比で2.4度上昇するとされている。これは、IPCCが「健康、生計、食料安全保障、水供給、人間の安全、及び経済成長」に対するリスクを増加させるとする1.5度を大きく上回る。
気候変動対策費として先進国が途上国に毎年1千憶ドル(約10兆9260億円)の資金援助を行う2009年の合意遂行は既に遅れている。加えてパンデミックにより各国が経済と健康回復に巨額の予算を投入するため、資金面でのリスクが問題になっている。
ピセリ氏は「そういう意味では、パンデミックは目標と長期的見通しに影響を与えた。パンデミックを言い訳に対策が拡大されない可能性があるだけでなく、コロナ対策で資金を前倒し投入しなければならなかった過剰債務国やその恐れのある中・低所得国に大きなプレッシャーを与えている」と話す。
国連のアントニオ・グテレス事務総長は、パリ協定に従って気候変動対策への国際的な公的資金の投入拡大を求めている。
ペレス大使は、どうすれば資金をより効果的に提供し、展開できるかを学ぶことが重要だと話す。「資金を受ける側と提供する側の双方の課題を検討し、改善すべき点は何か、また資金総額やインパクト、ツールを増大させるにはどうしたら良いかを考えなければならない。また民間を含め全ての資金の流れに目を向け、気候変動対策への強いコミットメントがあることを確認する必要がある」
もう1つの協定の役割
「健康でグリーンなリカバリー(復興)」へのマニフェストが出されたWHO保健総会から1年。WHOのヴェイラ局長は、行動を起こすためにはパンデミックの中で人々にポジティブなメッセージを伝える必要があると話す。
「社会は警告や新たな危機を耳にする用意ができていない。新たな危機はすでに始まっている」と言う。「警告ではなく前向きな言葉で語り、危機の中であっても汚染を止め、クリーンエネルギーへの転換を図り、より住みやすい都市を設計すれば、健康や経済、社会全体に大きな恩恵をもたらすことができる」(ヴェイラ氏)
WHOは最近、「より強固なグローバル保健体制を確立するため」のパンデミック条約の構想を打ち出した。
条約の詳細は明らかにされていないが、ヴェイラ氏は環境リスクが考慮される必要があるという。「いずれにせよ今後は、環境衛生と環境リスクの要因に着目する必要がある」とし、それが動物の健康も含め相互に関連する分野が一体となった「ワン・ヘルス」アプローチの一部だと話した。
WHOとパートナー企業は、途上国へワクチン供給を支援する国際的枠組み「コバックス(COVAX)」を立ち上げ、富裕国から十分な資金援助の獲得に努めた。気候変動の影響にさらされる途上国の多くは、迅速かつ効果的な行動の緊急性が確保されるのかを懸念する。
だがヴェイラ氏は、基本的な公衆衛生課題に確実に取り組むことは、世界の課題の多くを解決することにつながるという。排出量削減や、森林伐採削減へのインセンティブなど、これらの提言の多くは16年のパリ協定に盛り込まれている。
ヴェイラ氏は「気候変動問題への取り組みは公衆衛生への取り組みだというメッセージだ。もし実行されれば、パリ協定は素晴らしい健康上の利益をもたらし、多くの面でウィンウィン(win-win)になるだろう」と話している。
(英語からの翻訳・由比かおり)
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