犯罪の証拠を求めて
ローザンヌ大学犯罪科学研究所は、世界で初めて法医学を専門とする研究所として100年以上前に設立された。今日でもヨーロッパではこういった研究所は数少ない。
ピエール・マルゴー氏(61)は世界屈指の指紋の専門家。犯行現場に残された証跡の鑑識が日々の仕事だ。
今年、アメリカ法科学会(American Academy of Forensic Sciences)に功績を認められ、犯罪科学分野における最高の勲章、ダグラス・M・ルーカス(Douglas M. Lucas)メダルを受賞した。
「完璧な犯罪などない」とマルゴー氏は言う。しかし、「いいや、完璧な捜査もあり得ない」と笑いながら付け加える。世界有数のローザンヌ大学犯罪科学研究所について話を聞いた。
swissinfo.ch : なぜよりによってスイスに犯罪科学研究所が設立されたのでしょうか。
マルゴー : これは全くの偶然だ。研究所を設立するというアイデアはドイツ人学生から出たものだ。19世紀末に当時、学生だったアルヒバルト・ルドルフ・ライスが化学の博士号を取得するためにローザンヌ大学にやってきた。写真が趣味だったライスはなんとかして写真を犯罪科学に利用できないものか思案したことがきっかけだった。
ライスは、犯罪科学の先駆者に会い、その後教育課程を作るよう大学に働きかけた。こうした彼のイニシアチブが実を結び、1909年、世界初の犯罪科学学部が設立された。
swissinfo.ch : 研究所は今後、どんなことを計画していますか。
マルゴー : 犯人が現場に残した痕跡に含まれている指紋や足跡といった証跡について、研究者がより良く理解し、知識を広げることができるようにしたい。現場に残された情報を引き出す鑑識方法の発展を目的としている。
swissinfo.ch : 捜査官と緊密に共同作業を行っているのですか。
マルゴー : 彼らと直に接することはない。実際に事件が起きると、検事や裁判官から任務を受けて鑑識を行う。世界中から依頼を受け、年間、数百の鑑定書を作成し、報告する。
swissinfo.ch : 被告人の有罪を立証することと、無罪を立証して釈放することと、どちらの方に満足感を覚えますか。
マルゴー : どちらかと言うと罪なき人を救う方だ。犠牲者の立場から見れば、犯人に有罪判決が下されることの方が重要だと思うが……。いずれにせよ、有罪か無罪か、判決を下すのは法廷の仕事だ。個人的には、判決を下すために有益な情報を提供できたときに満足感を覚える。
swissinfo.ch : あなたは「パイオニア的な役割」を果たしたことで、今年度のダグラス・M・ルーカスメダルを受賞されました。この賞はどんな功績を称えているのですか。
マルゴー : これは指紋を証拠としてデジタル化して保管することにおいて、私の業績が国際的に認められたということだ。私が開発したいくつかの技術は、今日では一般的な方法として警察が使用している。1989年以来、我々の研究所が行う指紋鑑識は世界の基準になり、専門教育や認識論においても名が知られるようになった。
swissinfo.ch : 指紋を確認したり、識別したりするときはどのような技術を使うのですか。
マルゴー : 物理的な方法や化学的な方法などさまざまだ。どの方法を取るかは、鑑識を行う対象の表面と痕跡の状態による。そのなかには特別な粉を表面に撒くという伝統的な方法もある。
水の中に残された痕跡も同様に「埃まみれに」なるまで粉が撒かれる。この薬品によって指の油の跡を確認することができる。この技術は私がオーストラリアで研究していたときに開発した。この方法によって、フランス人のエージェントがグリーンピースの活動船レインボー・ウォーリア号の下に爆弾を仕掛けたことを突き止めることができた。
ほかには、指から分泌されるアミノ酸を検出するために光を使用する方法もある。また、我々の研究所は免疫体と抗原の中和反応に基づく指紋検出技術を世界で初めて開発した。
swissinfo.ch : 指紋は明白な証拠になるのですか。採取された指紋が捜査ミスを招くこともありますか。
マルゴー : 事件現場に残された指紋は本物の指先から取った不完全なコピーだ。指紋がよりはっきりしていれば、過失が起こるリスクは小さくなる。
時に、過失の原因は痕跡にあるのではなく、解釈にある。2004年にマドリードで起きた暗殺事件がそれだ。爆発しなかったいくつかの爆弾には不完全な指紋が残っていた。そこでFBIはこの指紋をデータバンクに入力し、オレゴン州のある弁護士のものだと判定した。しかし、2週間後にこれは大きな誤りであることが判明した。
swissinfo.ch : 10年ほど前にDNA鑑定が導入されましたが、それ以後仕事に変化が生じましたか。
マルゴー : DNA鑑定は痕跡を残した張本人を識別できる新しい方法。これは革命的だ。というのも、遺伝子を鑑定するには一つの細胞があれば十分だからだ。これによって、これまでつながりがあると思っていなかった複数の事件を互いに関連づけることができるようになった。
欠点は、DNA鑑定があるためにほかの痕跡の捜索がおろそかになる国があることだ。遺伝子は大きな可能性を秘めているが、それが全てではない。
swissinfo.ch : 私は今、あなたの事務所に1時間ほど居ました。私はどのような痕跡を残したのでしょうか。
あなたが座った椅子の上にはあなたの洋服の繊維が沢山残っている。さらに、あなたの皮膚の細胞、髪の毛、唾液も見つかる。また、あなたには私の机の上にあった埃と私と握手した痕跡が見つかる。
これだけの証跡があれば、裁判官はあなたがこの部屋に足を一歩も踏み入れなかったと判断することはできないでしょう。
1950年生まれ。
ローザンヌ大学(UNIL)で研究を行い、1974年、法医学と犯罪科学の学位を取得。
スコットランドのグラスゴー(Glasgow)にあるストラスクライド大学(Strathclyde University)で有毒キノコおよび幻覚キノコの研究で博士号を取得。
アメリカとオーストラリアで研究を行った後、1986年にローザンヌ大学の法医学および犯罪科学研究所の監督を引き継ぐ。
自身の研究グループと共に、指紋分野における新しい鑑識法を開発する。
2011年、アメリカ法科学会(American Academy of Forensic Sciences )からダグラス・M・ルーカス(Douglas M. Lucas)メダルを授与される。
指紋は既に4~5カ月の胎児に形成され、指の第1関節よりも上にある皮膚紋理(溝と隆起)によって特徴づけられる。
指紋には、二つの重要な特徴が見られる。一つは不変性(指紋は変化しない)、もう一つは固有性(個人がそれぞれ特有の指紋を持つ)。
小さな傷口ができても指先の皮膚は再生し、以前の指紋が保持される。
指紋は19世紀半ばから犯罪の証拠を裏付けるために利用されている。
スイスでは1984年に個人を識別するために「指紋自動識別システム(AFIS)」が導入された。指紋自動識別システムのデータバンクには、2万2437件の左右親指の指紋と74万8860件の10本の指の指紋、5万2979件の不定数の指の指紋が登録されている。
(出典:連邦司法警察省警察局、2010年末現在)
(独語からの翻訳、白崎泰子)
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