氷河の後退 高まるアルプスの危険と新たな観光の展開
氷河が融解すると、山の斜面が不安定になり、地滑りや洪水が起きるリスクが高まる一方で、スイスのアルプス観光に新たな展開をもたらす。
一滴の雨も降らない暑い夏の日だった。村人は夕飯の支度をし、観光客はスイス特有のシャレー(山小屋)の間をそぞろ歩き、山の雰囲気を楽しんでいた。マッターホルンの麓にある山岳リゾート地ツェルマットには、村を横切る静かな小川が泥水の激流に変わる兆候は何も無かった。
7月にツェルマットで起きたトリフト川の洪水は犠牲者こそ出さなかったが、住居とインフラストラクチャーに損害を与えた。ヴァレー(ヴァリス)州の観光拠点の上流で、氷河の下に出来た湖が突然流れ出し、ツェルマットのロミー・ビナー・ハウザー村長が「予測不能な自然の気まぐれ」と呼んだ洪水を引き起こしたと見られる。
地形学の専門家でローザンヌ大学教授のクリストフ・ランビエルさんも、これらの自然現象を事前に察知するのは「非常に難しい」と認める。とはいえ、地球温暖化によって将来、このように極端な自然現象が起きる可能性が高まることは覚悟しなければならない。「アルプスの一部の村は危険にさらされている」とランビエルさんは指摘する。
なぜ氷河は重要なのか
アルプスの山頂から平野に至るまで、スイスにとって氷河の後退は何を意味するのだろう?シリーズ「スイスの氷河」では、氷河の融解が与える影響、それに対するスイスの適応・保護戦略をそれぞれの標高に分けて解説する。
標高2000~3000 m:観光業と自然災害
氷に隠された危険
気温の上昇や特に熱波の絶え間ない到来は、山の雪や氷河の融解を加速させる。その結果、氷河のそばや下に比較的大きい湖ができることがある。
氷河の上にできる湖はあまり問題にはならない。ウェブカメラや衛星の画像によって簡単に監視することができるからだ。ベルン州とヴァレー州にまたがるプレーヌ・モルテ氷河(標高2700m)の上にあるファヴェルジュ湖は毎年、自然の作用で排水される。湖の水位が下がり始めると、警報システムが住民に注意を促す。
ファヴェルジュ湖の水位が自然に下がる仕組みを動画で図解
ベルン州側のくぼ地にあるレンクやジンメンタールでの洪水を防ぐため、年々大きくなるファヴェルジュ湖に最近、人工の排水路が掘られた。同じ措置は約10年前、ベルナーオーバーラント地方のグリンデルワルト下氷河(ウンテラーグレッチャー)にも取られた。
ランビエルさんによれば、氷河内部にできる水たまりがさらに懸念される。氷河の下にできる湖は約1万立方メートルの水を貯めることができる。氷河を横切る通路ができた途端に、この水が前触れなく谷に流れ込む恐れがある。「ツェルマットで起きた洪水のように、手遅れの場合には目にすることができる」とランビエルさんは話す。
プローブと呼ばれる探針を使って地下の氷河湖の位置を特定するのは「非常に難しく、高額な費用が掛かる」とヴァレー州の日刊紙ル・ヌヴェリストの取材に対し、ヴァレー州の地質技官ラファエル・マヨラさんは答えた。しかし、他にも方法はある。例えば、ジオフォンと呼ばれる小型の地震計を使って地震波や地下の動きを探知する、センサーを使って地下水の流量を測る、といった方法だ。
氷河湖と観光
氷河の融解によって山に新たにできた湖がもたらすのは、自然災害リスクの高まりだけではない。氷が解けた岩盤に現れた湖は観光客にとって面白い景色になるだろう。
2014年に発表された研究結果外部リンクによると、総表面積50平方キロメートルを超える数百の湖がスイスアルプスに新たにできる可能性がある。これらの氷河湖は「景観を引き立てる」と研究結果は強調する。ベルナーオーバーラント地方のトリフト橋のような釣り橋、ヴィア・フェラータ(はしごやワイヤーが設置されている岩壁をカラビナで安全を確保しながら登攀するクライミングルート)やテーマのある山道は、登山愛好家らにとって新しいアトラクションになるかもしれない。
ますます不安定になる山
アルプスの村や交通路、インフラにとって脅威となるのは不安定な氷河湖だけではない。
「気温の上昇によって、急斜面に言わば『ぶら下がっている』氷河が斜面からはがれ、氷雪崩を引き起こす危険がある。ヴァレー州のサース・グルントで17年、そのような氷雪崩が発生した」とランビエルさんは説明する。
氷河の後退と特に(標高2500m以上のアルプスにある)永久凍土の融解は山の斜面を不安定にする。アルプスの多くの場所で大量の土砂が水によって運ばれ移動する可能性があると気候変動調査機関(BOFK/OcCC)は警告外部リンクする。
アルプスの山道管理
山小屋の管理者は日々、アルプスの状況変化に対応しなくてはならない。スイスアルペンクラブ(SAC)外部リンクに加盟する153の山小屋の約3分の1が氷河の近くに立っている。
トリフト小屋外部リンクまでかつては氷舌(風などによって氷河のふちが舌状に張り出したもの)を通って徒歩で行くことができたが、新たに釣り橋が架けられ、毎年、何百人もの観光客を集めている。また、気候変動によって、モンテローザ・ヒュッテに至るルートも一新された。スイスアルペンクラブによると外部リンク、新ルートはより安全で、より短く、メンテナンスの必要も少ない。
代替となるルートを見つけることができない場合は、スイスアルペンクラブが山道を復旧することになる。アルプスの山道管理責任者ルネ・ウィ―スさんは、山腹での復旧工事は困難で危険だと話す。
山は昔よりも危険か?
前出のローザンヌ大学のランビエルさんは頻繁に現場に赴くが、以前ほど危険を感じないと言う。今日の氷河の脅威は150年前と比べて「おそらくそれほど大きくはない」。
その理由は単純だと話すランビエルさんは、20世紀に起きたいくつかの大災害を引き合いに出し、「現在の氷河は以前よりも小さいので、氷も少ない」からだと説明する。それらの大災害の中には、ヴァレー州で崩壊した氷河の一部がマットマークのダム建設現場になだれ込み、88人の死者を出した1965年の惨事がある。
おすすめの記事
マットマークの惨事を忘れない
猛暑の時は特に用心が肝要
「スイスで最も危険な氷河がどれかは分かっている」とランビエルさんは強調する。ヴァレー州ではツェルマット上流のトリフト氷河とヴァイスホルン氷河が危険だ。
スイスには世界で最も充実した観測ネットワークや監視・警報システムがあるが、それでもランビエルさんは慎重を期すよう呼び掛ける。「すべてをコントロールすることはできない。細心の注意を払い、万全の予防策を講ずるよう登山愛好家や登山家に勧める。特に猛暑の時期は要注意だ」
おすすめの記事
融解を食い止めろ!人工雪でアルプスの氷河を救う
おすすめの記事
氷河がなくなっても大丈夫?スイスの水力発電に未来はあるのか
おすすめの記事
進む氷河の融解 最後の一滴が流れ落ちる日
(仏語からの翻訳・江藤真理)
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。