ディグニタス創設者ルートヴィヒ・ミネリ氏「私たちは死に方を選ぶ自由を持つべき」
本気でディグニタスのもとへ旅立つ(自殺ほう助を受けるという意味)となると、カルテ、お金、勇気など様々なものが必要になる。私がディグニタスに向かう前に言われた条件はただ1つ。「(団体の)住所を明かさないこと」。死を切望する人たちは時としてアポなしで事務所に現れることもある。
スイス・チューリヒの自殺ほう助団体ディグニタスは、(この記事を読んだ)フィナンシャル・タイムズの読者がディグニタスを訪れ、即自殺ほう助を受けたいと言ってくることを心配しているようだ。団体側はそうした人たちには電話をかけてきてほしいというーー実際、電話はかかってくるという。特に週末や休日、そして満月の後は。
英国内外の多くの人々にとって、ディグニタスは自殺ほう助と同義語だ。スイスは非居住者の自殺ほう助が認められる世界でも数少ない国。このサービスを開業し、今月で25年となる。これまで3700人以上の自殺ほう助を行った。平均すると、2週間ごとに1人の英国人がスイスで自死した計算になる。
しかし、ディグニタスは単に死者数で、あるいは主に死者数で自身の存在を評価しているわけではない。中核は自殺ほう助の推進であり、創設者のルートヴィヒ・ミネリ氏がかつて「最後の人権」と表現したものを世界に認めさせることだ。四半世紀でその理念は広まり、現在では10カ国、そして米国のいくつかの州で自殺ほう助が合法化された。フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、秋までに法律の草案を提出すると約束している。英国は国民の4分の3が合法化を支持しているにもかかわらず遅れをとる。ただスコットランドとジャージー代官管轄区は変更を約束している。
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しかし、ミネリ氏は良くも悪くもさらに踏み込んでいる。彼は自殺を「極めて素晴らしい可能性」と呼ぶ。自殺ほう助はほぼ全ての人に認められるべきで、医師が直接薬物を患者に投与する安楽死も然りだと言う。5年前、彼はスイスのリベラルな自殺法制を押し進めすぎたとして訴追された。彼は無罪となったが、国外の運動家はもっぱら彼と距離を置き、より狭義の規定を求めていると強調した。
皮肉でもある。自死を助けた人たちとは異なり、ミネリ氏は生き続けている。彼は90歳。チューリヒ郊外にあるディグニタスのオフィスに私が足を踏み入れた時、ミネリ氏は私の方へ歩いてきたーーオレンジとブルーのネクタイを首にまき、あごに1日分の無精ひげを生やして。集中力があり、明るく、活発だ。「週に3回、2時間かけてトレーニングをしているんだ!」。まだ、どちらのひじでも反対側のひざを触れることができるのを嬉しそうに私に見せてくる。「昼は一日中、夜も半分は働いているんだ」。私は、この人が早死にの申し子であると同時に長生きの申し子であることにも気づかされる。
元ジャーナリストのミネリ氏は50代で弁護士資格を取得し、欧州人権条約の持つ可能性に魅せられた。自殺ほう助は、1942年に施行されたスイスの刑法で合法となり、1980年代には終末期の選択肢について人々に助言する団体が誕生した。
そのうちの1つの団体の弁護士だったミネリ氏は、闘争に巻き込まれる。土曜日に行われた内部会議でそれを阻まれると、翌日には「ディグニタス」という組織を立ち上げるための書類を作った。「月曜日、私たちは活動を開始した」
彼が考える「良い死」とは?ミネリ氏は父方の祖母を引き合いに出す。「彼女は庭にいて、花を見ていた時に倒れて死んだ。痛みもなく、恐怖もなく、ただ生から死へと。もう一方の祖母は、死ぬ時に大変苦労した。彼女が医者に言った言葉を聞いたよ。『もっと早く終わるように何かできないの?』って。医師はこう言ったそうだ。『いやあ、それは許されないんですよ。でも、長くなるようなことはしませんよ』と」。ディグニタスは「2番目に良い死に方だ。庭がベストだ!」とミネリ氏は言う――少なくとも、死に関わる当人にとっては。
スイスのモデルでは、医師が利己的な動機を持たない限り、判断能力を有する成人に致死薬を処方することが認められている。ミネリ氏は、さらに踏み込みたい考えだ。9歳以上の子供にも死を選ぶ権利が認められるべきだという。彼自身も2人の娘――それぞれ結婚カウンセラーと作家をしているーーと孫が4人いる。「重病の子供たちは、9歳か10歳くらいから意思決定できる能力を有する」。ミネリ氏はまた、判断能力を失った後でも自殺ほう助を受けられるよう、前もって意思表示できるようにしたいと考えている。例えばアルツハイマー病の人が「もし私が妻や子どものことが認識できなくなったら、医師が私を死なせてほしい」と言えるように。
そのような世界で、どれだけの人が自殺ほう助を選ぶのか。5%か。「もっと低い」。ディグニタスの分析では、死亡件数のうち自殺ほう助は2%未満だ。より自由な法制度を持つオランダでは4%だ。
一部の国は司法の決定によって変化が表れている。自殺ほう助の禁止が人権侵害であるとの司法判断が出たのだ。「実際、ドイツの状況は(スイスよりも)良い。利己的な動機があっても(自殺ほう助が)行えるからだ!」とミネリ氏は笑う。このぞっとするようなユーモアのセンスは、今に始まったことではない。「これは私たちの考えではない」と、ミネリ氏は慌てて付け加える。
英国の裁判所は議会が決めるべきだと言うが、政府はこの問題に対して議会の時間を割こうとはしない。当時の検察庁長官キア・スターマー氏が下した2009年の決定以降、英国では病を患う家族や友人の自殺ほう助に付き添った人が訴追されることはまずない。しかし、警察の捜査に直面している人もいる。
批評家たちは、弱い立場の人々が自殺を強要される可能性があり、自殺ほう助を合法化することでより良い緩和ケアのインセンティブが失われると言う。しかし、ミネリ氏は「多くの人は、長い間緩和ケアを受けた後に自殺ほう助を選んでいる」と言う。自殺ほう助の対象を余命6カ月未満に限定する米オレゴン州では、患者の89%が生活の質(QOL)を懸念事項に挙げた。治療継続にかかる費用を挙げたのは6%だけだ。ディグニタスが抱える患者は自立した生活に慣れ、高い教養を持つ傾向にある。
2008年のある調査では、自殺ほう助を選んだ人のうち、ごく少数が末期患者ではなく単に人生に疲れていた可能性があることが分かった。しかし、それはミネリ氏の行く道を妨げない。「彼らの自由を、そして私とは違う考えを持っていることを尊重する」
宗教から来る自殺への制限が苦しみを長引かせ、人々を「幸せ」ではなく「ノイローゼ」にするーー。それに対する「怒り」がミネリ氏を突き動かす。彼にとって、自殺ほう助とは人を生かすことを可能にする医学の進歩がもたらした当然の結果だ。「私たちは人生の終わりに、どこで、誰と、どう死ぬかを選択する自由を持つべきだ」
有権者はそれに賛同した。2011年、チューリヒの有権者の78%が外国人への自殺ほう助違法化に反対した。ヴァレー(ヴァリス)州では昨年、病院や介護施設での自殺ほう助を認める案に76%の有権者が賛成した。
ミネリ氏の人気は低いが、本人は気にしていないと主張する。2018年の裁判では、ディグニタスに10万フラン(約150万円)を残すという遺言をしていた女性の自殺ほう助に関し、ミネリ氏に利己的な動機があったかどうかが問われた。3人の医師は女性の自殺ほう助を拒否したが、ディグニタスは自殺ほう助を行っても良いという4人目の医師を見つけた。疑問は残るが、合法だ。「境界線は分かっている」とミネリ氏は言う。
しかし、本当にそうだろうか。10年前、ミネリ氏は自分の乗用車にディグニタス会員の遺灰が入った骨壷をありったけ載せ、チューリヒ湖にぞんざいに捨てたとして訴追された。報道では、ミネリ氏はそれを認めたという。ここで、ミネリ氏の同僚シルバン・ルレイ氏が口を挟んだ。「まず第一に、彼はやっていない。彼ではない」。ミネリ氏も否定するが、少し弱まる。「私たちは、彼らの意思に従っているだけだ」。では、ミネリ氏が骨壷を捨てたのか。「そういう質問には答えない」。彼はくすりと笑う。
死について考えることは、ミネリ氏の人生にどのような影響を与えたのか。「死は人生の一部だし、誰もがいつか死ぬと考えるのは極めて重要なことだと私は思う」。人は自分の身辺整理をする必要があるのだ。
彼は100歳まで生きたいのか。「今の状態であれば、100歳、110歳を迎えたい。仕事をしているし、世界で起きていることに興味がある。ディグニタスで起きていることにも関心がある。受信するメールも、こちらから送るメールも全部目を通している。(自殺ほう助対象の余命を)6カ月に限定する法律を議会が作っていることには今でも笑うよ。何と馬鹿らしいことか。マーク・トウェインがこう言っている。予知は難しい、特に将来については、と」
死にたいと思ったことが一度はあるかと尋ねると、「一度もない」と返ってきた。彼は、庭で倒れた祖母のような死を望む。誰かに言い残したことはないのか?「準備はできている。いつ死んでもおかしくないと思っている」。だがもっと掘り下げてみると、彼の見方は極めて現実的だった。前日の深夜、彼は銀行の明細書をチェックし、記録を更新したと言う。次女が翌日、丸一日かけて彼のパソコン、帳簿とにらめっこすることになっている、と。
私たちが会った日、2011年に初めてディグニタスに連絡してきた男性が自死する予定になっていた。約30人のパートタイムスタッフを抱えるこの団体は、ミネリ氏よりも長生きするだろう。約1万2千人の会員がおり、それぞれが入会金220フランと年会費最低80フランを支払う。だがほとんどの人が、自殺ほう助のオプションを選ぶことはないだろう。
ミネリ氏は陽気だが、感情的な人物ではない。「もし、もう一度人生をやり直せたら……」と彼は語り始める。私は、ついに彼が弱い部分を見せてくれるのではと息を止めた。「もっと早く家を買う。私は何年も賃貸で暮らしていたから」
2時間後、ミネリ氏の補聴器の調子が悪くなった。ドイツ語で話す方が楽なようだ。だが彼の決意は揺るがない。「欧州全土、そしてそれ以外の地域でも、大多数の人々が自殺ほう助と安楽死を望み、その準備ができている。私はそう確信している。昨日、インドの(最高)裁判所が、死ぬ権利はあると認めたところだ!」
私は、変化を起こすことが必ずしも人気投票ではないことを目の当たりにして、チューリヒを後にした。ミネリ氏は灰色の世界で、白か黒かを見極めることの大切さを知っている。そして、それに必死にしがみつくことの大切さも。
英語からの翻訳・宇田薫
*本記事は5月11日に配信しましたが、スイスにおける自殺ほう助の法的位置づけを明確にするため、23日に修正しました。
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