ヤシの木に囲まれた冬季オリンピック
第22回冬季オリンピックが、来年の2月7日からロシアのソチで開催される。ソチの町と近郊を見て、ソチの住民の声を聞こうとスイスインフォの記者が現地を訪れた。
ソチを初めて訪れる人は誰でも、140キロにわたって海岸沿いに延びる一帯「グレーター・ソチ」に圧倒される。交通渋滞に慣れたモスクワ人でさえ、うなるような車の騒音に驚く。国際空港のあるアドラー(Adler)が別の都市だと思っている人も多いが、実はソチの一部だ。競技は大きく分けて、アドラー・アリーナのあるソチ・オリンピック・パークとクラースナヤ・ポリャーナ(Krasnaya Polyana)山岳地区で催される。
飛行機から黒海を見下ろすと気持ちが軽くなり、休暇ではなく仕事で来たことを忘れそうになる。モクレンやヤシの木が立ち並ぶ風景に、この町が冬季オリンピックの中心地だということが信じられない気がする。
ソチの住民は五輪についてどんな気持ちを抱いているだろうか。タクシー運転手のラファエル・チョコリアンさんは、とても楽しみにしていると言う。チョコリアンさんは20年以上前、ソビエト連邦解体後にソチ南部の紛争地区アブハジア自治共和国からソチに移り住んだ。
「新しい道路、高架道路などの施設が築かれ、町が私たちの目の前でどんどん変わっていく」と興奮気味だ。
冬季五輪の開催地ソチは、黒海に面し、北コーカサス山脈の麓(ふもと)にある著名な保養地。人口は約43万人で、100以上の異なった民族が住む。20万ヘクタール(ha)に及ぶこの地域の15%は緑地で、ソチ都市圏は黒海沿岸の140kmに広がる。
亜熱帯性気候、北緯43度。ニース、トロント、アルマトイ、ウラジオストクと同緯度にある。
米経済誌フォーブスは2012年、ソチをロシアでビジネスに最も適した都市と評価した。
イゴル・パルハメンコさんはソチ生まれの事業家。五輪はどこか他の場所で催されるべきだったと考える。町の中心部でパルハメンコさんに会い、駅の近くの事務所まで一緒に歩いて行った。気温16度、輝く太陽、豊かな南国の植物と多くの工事現場が対照をなす町並みを眺めながら、スイスの薄暗い冬の天気といかに違うことかと思った。
「まだ美しい自然も残されている」とパルハメンコさんも言う。
冬季五輪がソチに決定したニュースが流れたとき、住民がそれを歓迎する様子はなかったと当時を思い出す。他の地域に住む友人たちはなぜなのか理解できなかった。
「『五輪のようなイベントが自分の町で催されるのに、嬉しくないはずがないだろう』と言われた。だが、毎日工事現場やトラックの騒音に悩まされ、ほこりで汚れた空気を吸えば、我々の気持ちが分かるだろう。これほどの規模となると、インフラがストップしてばかりだ。水は大丈夫だが、ガスがストップする。また、スポーツ施設や高架道路、店にホテルと、工事現場も数えきれないほどある。こんな状態がもう6年も続いている」
チョコリアンさんは別の見方だ。「騒音やゴミで悩まされるのは事実だが、建築に携わる従業員の数も激増した。これは喜ばしいことだ。給料がいいかどうかは知らないが、仕事・労働条件・給料が悪ければ誰も働かないだろうから、従業員は満足してやっているのだろう」
「ただ1日に2回タクシーを洗わなければならないのはちょっとたいへんだ。まあ洗えばきれいになるし、『ソチの光沢』が消えるわけではないのだから構わないが」
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インフラと交通渋滞
誰もがインフラという言葉を口にする。数多くの立体交差点が建設されたが、交通渋滞はいまだに深刻な問題だ。もともとソチは商業都市ではなく、観光保養地として発展してきたため、増大する輸送量に対処することが不可能な設計になっている。たいていの道路は2車線で、事故があれば交通は麻痺してしまう。
「人々は、以前のソチを早くも忘れてしまったようだ」と言うのは、書店を経営するオレーグ・スメレチンスキーさん。「グアテマラでソチ五輪が決定される2、3年前までは、ラッシュアワーが毎晩すごかった。アドラーの中心地から駅までは環状道路を通って3キロぐらいだが、それに6時間もかかったものだ。環状道路に4本も5本もの道がわきから合流していた。それが今では運が悪くて1時間だ」
若く活動的なスメレチンスキーさんは、現状を実用的に解釈する。「立体交差点を一つ造るのに何十億ルーブルもの投資が必要だ。何に投資するかはよく考慮しなければならないが、交通設備への投資が必要なのは火を見るより明らかだ」
スメレチンスキーさんにしてみれば、これは五輪のメリットだ。「1991年以来、連邦政府のプロジェクトとして建設された立体交差点は一つもなかった。もっとも新しい道路を造ることで、すべての問題を解決できるわけではないのだが」
アドラー駅は真新しい。2カ月前に落成し、ロシアのプーチン大統領がテープカットした。五輪の出場選手や観光客をソチ空港から運ぶ特急はすでに運行している。
駅の安全対策は厳しい。ステーションビルをたった5分でも離れると、戻ったときにはパスポートと金属探知器によるコントロールをもう一度受け直さなければならない。もっと驚かされたのは、駅に喫茶店やレストランが1軒もないことだ。「ちょっとコーヒーとサンドイッチを買って…」などということもできない。
「駅は大きすぎるし、便利じゃない。もっともソチに来る旅行客は電車ではなく飛行機で来るのだが」とパルハメンコさんは言う。
北緯43度
ソチの気候はまったくロシアらしくない。黒海に面しているため夏も猛暑になることはなく過ごしやすい。山岳が冷風を遮るため、冬の気温も6~8度だ。ソチの紋章に「人民の健康のために」という言葉が書いてあるのだが、体に良い鉱泉が湧くためだろう。
1950年代から1970年代にかけて、ソチは病人が保養に来る温泉地だった。
スメレチンスキーさんが次のように説明する。「ソチの保養地としての可能性を認めた官庁が戦後、ソチと他のクリミア半島とコーカサスの保養地に、今日に至るまで投資を続け、サナトリウム、鉄道整備、空港等を建設した。それゆえ根本は何も変わっていない。主要な設備は1950年代にすでに出来上がっていたのだ」
環境保護団体「エコ・ウォッチ(Eco Watch)」の生態学者オルガ・ノスコベッツさんは、住民は当初、オリンピックに反対ではなかったと言う。
「五輪がソチを輝かしいものにし、この地が国際的に著名な保養地になるだろうと人々は考えた。新鮮な空気、水、海、緑。この土地には保養に必要なすべての条件が整っているのだから」と、イメレテン谷を一緒に散歩しながら話す。
「ところが設備建設が始まった年からすでに我々の期待が外れたことが明らかになり、闘争が始まった。保存し発展させるべきものが、逆に破壊されてしまったからだ」
エコ・ウォッチは1997年に設立され、北コーカサスの環境保護に努めている。五輪の建設作業が始まり、自然に対する暴力的行為の記録を作るようになった。
「イメレテン谷は1917年の革命以前から全地域が保護区と見なされていた。それなのに、つい最近まで野菜を作っていた農場がすべて消えて、そこに競技施設が建てられた」
記者が話を聞いた多くの人が、昔あった果樹園や野原の話をする。そして、クラースナヤ・ポリャーナはその昔人口1千人の小さな村だったと懐かしがる。
アレクサンダー・フロロフさんは全地球測位システム(GPS)関係の会社に勤めている。モスクワ在住だが、2000年前後仕事でよくソチを訪れた。
「90年代の終わりには、ソチは良い保養地だった。たいていの建物は2階か3階建てで、好感が持てた。クラースナヤ・ポリャーナは、犬が吠えると5キロ先でも聞こえるような静かな遠隔の地だった。2013年1月に再来したとき私が見たものは柵に囲まれた建物と泥に、耐え難い騒音。非常に残念だった」
バケツ一杯の水をシンブルへ注ぐ
書店経営者スメレチンスキーさんは、「たくさんの犠牲を払うとしても、それは価値のある犠牲だ」と、アドラーからクラースナヤ・ポリャーナに向かう新しい道路で車をとばしながら語る。道路と鉄道が並行して走り、その下方をムジムタ川が流れるこの区間は、五輪輸送網の大動脈といえる。この谷の同じ経路を行く古い道路はへアピンカーブが多いため、新しい道路が建設された。「新しい道路は五輪なしでもいずれは造られただろう。しかし5、6年で造るわけではなく、30年から50年ぐらいかけての話だ」。道路建設に加えて、電気が配線され、クラースナヤ・ポリャーナには初の下水道も整備された。
まだソチが小さな町であったころを、フロロフさんは懐かしく思い出す。その当時は、ソチがいつまでも小さな美しい町であり続けるように思われた。「『バケツ1杯の水をシンプル(指ぬき)へ注ぐ』ということわざがあるが、それはまさにここで政府が行っていることだ」
「『五輪がなければ、ソチは崩壊したかもしれない』という発言を聞くたびに、とても不思議に思う。ロシアで五輪がなかったために崩壊してしまった都市はまだない」
五輪のあとに何が残るか
ソチへの投資方法は間違っていたのか。これは多くの人が関心を寄せることだが、それはオリンピックが終わってから初めて明らかになることだろう。
競技場は、国際競技やロシア選手の練習施設として利用したり、内装を改設し展覧会場にしたりする予定だ。ロシアは2018年のサッカー・ワールドカップのホストをつとめ、ソチでも試合を行う計画だ。
五輪後ソチは観光で発展していこうとするだろう。ソチが本当に世界一流のリゾート地になるかは、まだ誰にも分からない。
「今日のソチで見られるのは、昔からあった木と海だけではなく、立ち並ぶビルだ。凍ったような冷たいものも多い。まるで骸骨のような20階建ての高層建築物を、地震の多いこの地域に建てるなど、以前は想像もできなかったのではないか」とフロロフさんは言う。
(英語からの翻訳 マウラー奈生子)
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