変わりゆくスイスの方言
スイスの人口の大多数を占めるドイツ語圏では、方言を話せないとすぐに疎外感に襲われる。だがフランス語圏のスイス西部では、方言をしゃべると逆によそ者扱いされる。スイスでは地域によって方言の風習が大きく異なり、そこには驚くべき理由がある。
電話で:
「Kantoonspolizäi、Grüezi」
(州警察です、こんにちは)
「Süddeutsche Zeitung aus München, Grüzi」
(ミュンヘンの南ドイツ新聞です、こんにちは)
「Grüss Gott」
(こんにちは)
上記の会話は、スイスの緊急通報センターでのもの。フリブール大のヘレン・クリステン外部リンク教授の研究チームはこうした会話を記録し、分析した。
Grüeziはスイスドイツ語、Grüss Gottは標準ドイツ語。クリステン教授によると、上記の会話から読み取れるのは、ドイツ語話者のスイス人(警察官も含む)は初対面の人とはまずスイスドイツ語の方言で話し、相手が方言の出来ない人だと分かると標準ドイツ語に切り替えるという点だ。
スイスドイツ語の方言に統一性?
スイスドイツ語の方言は非常に大切にされているが、人の移動により、方言はますます似通ってきている。これにより生まれたのが「地域語(Regiolekt)」と呼ばれる言語で、特に田舎の特徴的な方言が消えていく運命にある。将来的には、ある人が話す方言で、この人がどこの村、あるいはどこの谷の出身なのか、判別することが出来なくなる日がやってきそうだ。
標準ドイツ語に切り替えることは、侮辱だと受け取られることもある。相手が方言を話すのをやめてしまうことによって、自分が疎外されていると感じてしまうからだ。例えば、黒い肌の人、あるいはいかにも外国人風の外見の人と話すとき、相手が話し始めるのを聞くまでもなく、最初から標準ドイツ語を使うといった場合だ。
方言以外を操るスイス人
スイスのドイツ語圏では、方言をしゃべるからと言って社会の下層階級だと見なされるわけではない。誰もが自宅や職場で方言をしゃべる。ラジオやテレビでさえ、大部分がスイスドイツ語だ。衰退の兆しはない。フリブール大のレグラ・シュミドリン外部リンク教授(ドイツ語学)は「学校やメディアで方言の使用が増えている傾向が見られる」と指摘する。これは方言が好まれる「コミュニケーションの非インフォーマル化」が背景にあるという。
ジョークはスイスドイツ語で(上記のビデオの発言内容):農夫は壊れたトラクターを持っていた。彼は口汚くののしった。「こんちくしょう!また動きやしねえ!」。牧師が来てこう言った。「いやいや、そんな口のきき方をしてはだめだ。ののしったって何のいいこともない」。農夫は言った。「それなら、俺はどうすればいい?」。牧師は言った。「『神よ、お助けを』と言えば良い」。農夫はこの牧師がきちがいだと思ったが、言われたとおりにした。「神よ、お助けを」。するとトラクターのエンジンがかかった。牧師は言った。「こんちくしょう!まさか本当に直るなんて!」
シュミドリン氏によると、これとは逆の動きもある。スイス公共放送(SRF)の報道番組は2007年以降、一貫して標準ドイツ語を使っている。方言だけしか話せないという人は、今日ではほぼ皆無だ。ドイツ語を母語とするスイス人は方言と標準ドイツ語の両方を状況に応じて使い分けている。
特に若者や中年世代の間では、インフォーマルな場や書き言葉で方言を好んで使う人が増えている。クリステン氏はスイスのドイツ語圏で「書き言葉のバイリンガル化」が進んでいると指摘する。
フランコ・プロヴァンス語
これはフランス語の方言ではなく、ロマンス語に属する独自の言語だ(ロマンシュ語の独自性と似ている)。音声はこちら外部リンクから確認できる。
「ここでも方言が消える」
フランス語圏のスイスでは状況が全く異なる。スイス西部では19世紀まで、ジュラ地域では「フラン・コントワ(Franc-Comtois)」(「ジュラのパトワ」、「Frainc-Comtou」とも表記される)、その他の地域ではフランコ・プロヴァンス語の方言が使われていた。前者はフランス語の方言だが、後者は異なり、ロマンス語に属する。フランス語で方言は「パトワ(Patois)」とも呼ばれる。
しかしスイス西部では次第に標準フランス語を地元のアクセントで話すようになり、伝統的な方言はほぼ消滅してしまった。
ヌーシャテル大学のロマンス語研究者アンドレ・クリストル外部リンク氏は「昔ながらの方言を今も使っているスイス西部の地域は三つしかない」と話す。グリュイエール、ヴァレー(ヴァリス)州のフランス語圏地域ではフランコ・プロヴァンス語が使われ、アジョワ、ジュラ州の一部地域では、わずかだがこの「ジュラのパトワ」が使われている。
フラン・コントワ(Franc-Comtois、ジュラのパトワ、Frainc-Comtou)
フラン・コントワはオイル語の方言で、フランス語もここに属する。ジュラ州のほか、国境に近いフランス東部のフランシュ・コンテ地域圏で使われた。
クリストル氏はこう続ける。「しかし、ここでも方言が消えつつある。方言を母語とする最後の世代は60歳を超え、話者の数は急速に減っている」
「劣悪なフランス語」
方言が深く根付いたドイツ語圏と比べ、この驚くべき違いはどこから来ているのか。クリストル氏によると、これには複数の理由がある。内部的要因、そしてフランスから「輸入された」外部的な要因だ。
・フランス革命
フランス革命中、フランス国内の方言は苦境に立たされた。「イデオロギー上の理由で、革命家たちは、(標準)フランス語を話さなければ良いフランス人にはなれないと呼びかけた」(クリストル氏)。「彼らはフランス国民に、方言は「劣悪なフランス語」であり、フランス語の『純潔』を損なうものだと信じ込ませた」
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1939年のパトワ・エヴォレーヌ
ナポレオンがスイスを占領したとき、この考え方がスイスにも持ち込まれた。しかし、クリストル氏によれば、スイス西部で方言が衰退した主な理由はフランス革命でなく、経済的な理由によるものだった。
・工業化
19世紀初め、居住の自由の導入と急速な工業化によって、ジュラ州はある種の「磁石」となった。クリストル氏は「スイス中から集まった労働者が(時計産業の勃興した)ラ・ショー・ド・フォンやビール(ビエンヌ)などの都市に押し寄せた」と話す。スイス西部では方言が大きく異なり、お互いの言葉を理解するのが非常に難しかったため、方言ではなく標準フランス語を話すようになったという。
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そこに農村部の人口流出が加わった。スイス西部では、農家の子供が仕事を求めて都市部に移住。持ち主のいなくなった農場はドイツ語圏の農家が引き継いだ。その子供たちは学校で、方言ではなく標準フランス語を学んだ。クリストル氏によれば、スイス西部で方言が残る地域は工業化や人口流出の影響をあまり受けていない。「しかしこの地域でさえ、1920~30年代に起こった人の移動が伝統的な方言の存続を脅かしている」
ナチスドイツと差別化したかったドイツ語圏のスイス人
スイスのイタリア語圏もまた、経済的理由や移民によって、ロンバルディア地方の方言が脅かされた。1960年代まで、ティチーノ州の家庭では大半が方言を話していたが、2012年にはその割合がわずか3割程度になった。他のイタリア語圏でも同じ傾向が見られるが、孤立した谷に位置するため、影響はそれほど大きくない。
イタリアからティチーノ州への移民や社会的、経済的な変化に伴い、標準イタリア語は職場でますます重要になった。スイスイタリア語の言語研究機関「スイスイタリア語言語学観測所(Osservatorio linguistico della Svizzera italiana外部リンク)」のマッテオ・カソーニ氏は、それが原因で「1950~60年代、方言に烙印が押された」と話す。「親は子供の将来のため、方言はキャリアや社会生活の妨げになると考えた」
カソーニ氏はスイスのドイツ語圏とイタリア語圏の決定的な違いは歴史的要因によるとみる。「スイスのドイツ語圏では、方言がドイツと差別化を図る上で重要な役割を果たした。ティチーノ州でもイタリア、そしてムッソリーニに対する差別化を図ろうとしたが、ドイツ語圏ほど強くなかった」
イタリア語圏でもまた、デジタルコミュニケーションとソーシャルメディアが方言の復活をもたらした。「デジタルコミュニケーションによって、方言が再び肯定的なイメージを得た。誰も予想できなかったことだが」とカソーニ氏は話す。
「かっこいい」ロマンシュ語
忘れてはならないのがスイスのもう一つの公用語、ロマンシュ語だ。俗ラテン語とケルト語、レティア語が混じった言語として、現在のグラウビュンデン州で発展した。何世紀にも渡り、数多くの方言が生まれ、イディオマと呼ばれる5種類の書き言葉がある。
この多様性、あるいは分散化とも言える現象がロマンシュ語の保存を困難にしている。19世紀前半、グラウビュンデン州の大半の人たちがロマンシュ語を話していた。今では5人に1人だ。ロマンシュ語話者のほとんどがバイリンガルで、ロマンシュ語の方言とドイツ語を話す。これがまた、ロマンシュ語の方言を脅かしている。
過去20年で、ロマンシュ語のイメージは大きく改善された。以前は「農民言葉」と馬鹿にされていたが、今日は「ヒップ(かっこいい)」と見なされている。あえてロマンシュ語を使う若いアーティストも多い。
英語ではなくロマンシュ語の商標も増えた。例えば銀行の「Cler外部リンク」。これはロマンシュ語で「明瞭、シンプル、クリア」という意味だ。
スイスの方言と言語は今もなお興味深い要素だ。しかも四つの公用語でそれぞれ違うのだから、面白さはなおさらだろう。
言語か方言か
「方言」と「言語」の区別は難しい。言語が単なる方言なのか独立した言語であるかを判断する基準は言語的なもののほかに、歴史的、政治的なものがある。
独立した言語:話し手の双方が言っていることを理解できる。同時に、その言語は他の言語と明らかに異なる。統一の書き言葉と共通の著作物があれば理想的だ。
方言:ある地区、または地域で話される、標準語とは異なる言語(大半は口語)。
地域語:地域共通の口語。
社会集団語:特定の社会的集団が使用する言語。
イディオマ:特定の方言の書き言葉。
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(独語からの翻訳・宇田薫)
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