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日本を勇気づけたいと歩いた

周囲の人は「何事もすべてポジティブに考える人」とコーラーさんを評価する。コーラーさんは「一緒に歩いてくれた人、夜遅く港の近くでテントを張ろうとしていた外国人の僕を家に泊めてくれた人など、素晴らしい出会いがたくさんあった」と旅を振り返る negativenothing.com

「ネガティブ・ナッシング(Negativ Nothing)」。これはチューリヒ州ヴィンタートゥール(Winterthur)出身のトーマス・コーラーさん(45)が東日本大震災後、徒歩で日本を縦断したときの記録映画の題名だ。2011年8月1日から12月31日までの5カ月間、北海道から九州に至る2900キロメートルを歩く間、「いやなこと、悪いことはほとんど経験しなかった」とコーラーさんは言う。この感想が映画の題名になった。撮影はスイスとベトナムの血を引く知人のクヌーセル兄弟が行った。

 幼いころから日本が大好きで、30歳のときに日本に語学留学をし、その後チューリヒの旅行代理店で日本を担当するようになった。楽しく仕事をしていたが、3・11以後は日本旅行を予定していた人のキャンセルが続き、ぱったりと仕事が無くなった。そのときコーラーさんは別の職を探すことはせず、会社を辞めると「恩返しをする」ため2011年7月日本に飛んだ。

 震災直後、スイスを含めヨーロッパでは、福島原発事故の深刻な状況が連日報道されていた。「悲観的な報道があまりにも長期間にわたり、あまりにも集中して続き過ぎた。これでは日本の助けにならない。報道どおりではないことを示したかった」とコーラーさんは旅の動機を語る。「ポジティブなニュースを届け、人々に勇気を与え、皆にまた日本に行ってもらいたかった」

 日本縦断を始める前に、まず津波の被害が大きかった宮城県石巻市へ行き、ボランティア活動に参加。清掃作業や見つかった持ち物の洗浄などを行った。ここで自分は何のために歩くのか、より深く考察することができたという。

インスピレーションを与えたい

 映画では旅の様子だけではなく、多くのインタビューを交え、被災地の状況やコーラーさんのプロフィールも紹介されている。笑いを誘うシーンが散りばめられた中、コーラーさんのひたむきな思いと、彼に接する人々の温かさが伝わってくる。製作は知人だった映画監督のステファン・クヌーセルさん(36)とジャーナリストのヤン・クヌーセルさん(32)の兄弟。ヤンさんも大阪に住んだ経験があり、日本人の妻を持つ、日本とゆかりの深い人だ。

 「トーマスからこの話を聞いて感動した。前向きで、日本の復興を助けようとするいい話だと思った」とヤンさんは言う。ステファンさんも「見る人にインスピレーションを与えたかった。シンプルな発想と非常な忍耐力で、とても多くのことをやり遂げられるのだということを伝えたかった」と話す。

反響は大きく

 映画完成後の今年10月、ヴィンタートゥールとチューリヒの映画館で試写会が行われ、約200席の会場は満員となった。

 チューリヒの会場を訪れた62歳の女性は、「素晴らしい映画。彼も映画もとても慎ましい。それがかえって感動を呼ぶ」と感想を述べる。チューリヒに住むアメリカ人男性(38)も「被災という悲劇をポジティブな形にひっくり返した。映画を見て、日本へ行こうと思った」と話す。バーゼルから映画を見に来た、小さな子どもを持つダミアーノ浩子さんは「写真とビデオからイメージをうまくまとめている。コーラーさんが日本のために何かしてあげたいと思っていることがすごくよく伝わってきて、最後の方はじーんときた」と言う。

 映画の反響は大きく、11月12日に再度チューリヒで試写会が行われる。また22日からは東京や大阪などでも試写会が行われ、来年以降は世界の映画祭に出品する予定だ。

日本は本当に安全なのか

 「『被災地ツーリズム』をするつもりはなかった」と言うコーラーさんは、日本列島の主に日本海側を歩いた。また、映画も福島の原発事故にはほとんど触れていない。現在、コーラーさんは旅行会社を立ち上げ、再び日本に旅行者を送り出している。業績は上々だ。「福島県でも放射線量が高くない場所はある。だから、福島県を旅行するなというのはオーバーな話だ。皆さんに日本旅行を楽しんでもらえるのがうれしい」と笑みがこぼれる。

 だが、日本の放射能汚染を危惧する声もある。京都大学原子炉実験所の小出裕章(こいで ひろあき)助教は警鐘を鳴らす1人。「被ばくに関しては、安全だということはない」と断言する。「京都を含め、関西では猛烈な汚染はない。そのため安全だと錯覚しても不思議ではない」

 小出氏からみれば、それは短期しか滞在しない旅行者にとっても同じだ。「政府発表の測定値を元にすると、福島を中心に東北や関東の2万平方キロメートルが、日本の法律下で本来なら放射線管理区域に指定されなければならないほど汚染されている」と言う。これは、宮城県から東京の一部まで含まれる距離だ。

 コーラーさんはしかし、「事故はもちろん忘れてはいけないことだし、解決しなくてはならないことだ。だが、その影響で日本全体を危険視することはない」と考える。

1967年生まれ。

家具職人としての教育を修了。

1997年から1999年まで埼玉県深谷市の渋沢国際学園で日本語を学ぶ。

その後、船や電車を使い、沖縄から北上して4カ月間日本を旅行。

帰国後、旅行代理店で日本旅行を担当。

2011年8月1日から12月31日まで、徒歩で日本を縦断。日本内外のマスコミで大きく取り上げられた。旅の様子をブログにしたため、日本各地の風景や人々を紹介。ブログの最後に毎回、良かったことと悪かったことを書いたが、悪かったことはほとんどなかった(「negativ: nothing」)。コーラーさんの行為は日本の観光庁から高く評価され、感謝状を受け取る。居住地ヴィンタートゥール(Winterthur)からも表彰された。

2012年7月旅行会社を創立。

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