ある農場の幕切れ
写真家のトーマス・ヴュトリヒさんは2000年、農場で最後の1年を過ごす両親と生活を共にした。そして20年後、当時撮影した写真を1冊の本にした。土の匂いに満ちた、心の琴線に触れる証人だ。
トーマス・ヴュトリヒさん外部リンクがフリブール州ケルツェルスにある両親の農場を出たのは19歳の時だった。「生活は厳しく、仕事はたくさんあった。それに、この村は私には窮屈だった」と、ヴュトリヒさんは当時を振り返る。
数年後、子供たちが生まれ、写真家としての勉強の一環で、再び農場に戻った。両親はここで最後の1年を過ごす。父親が定年に達し、国の新しい基準を満たすために資金を投じる余裕はもうなかった。少しばかりの土地と数頭の牛を残しておきたかったが、それもあきらめざるを得なかった。
「父は農場を手放す時期を自分で決められず、怒っていた。だがしばらくして、悲しみながらもあきらめがついたようだった」。そう話すヴュトリヒさんは当時、閉鎖前の農場と、そこの住人である2人を写真に残そうと考えた。しかし、自分の家族を撮影するのは容易なことではなかった。
「これは初めての写真プロジェクトだったし、私はとてもナイーブだった」とヴュトリヒさんは言う。「両親の仕事ぶりをただ観察したかった。私がもし他人だったらここまで難しくはなかったと思う。両親は息子としてではなく、まず写真家として接しただろうから」
「ロマンチックにはしたくなかった」
ヴュトリヒさんは、牛の乳搾りや牛舎の掃除、野良仕事など、毎日の仕事をこなす両親の後をついて回った。モノクロ写真は彼と農文化の強い結びつきを浮き彫りにするとともに、農場での仕事の厳しさも突きつける。
「複雑な心境で過ごした1年だった」とヴュトリヒさんはその頃を思い起こす。「私は自分のルーツを探していた。両親に写真家としての自分の仕事を認めてもらいたかったし、一方で農家の生活をロマンチックに描写することはしたくなかった。それまでに農業従事者を撮った写真を山ほど見ていたが、どれもロマンチックに見せ過ぎている気がしたからだ」
2001年、それらの写真のうち数枚が、ドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガーの付録雑誌「マガジン」に掲載された。その後、ヴュトリヒさんはフリーの写真家としてさまざまなメディア企業の仕事をこなすようになり、数々のプロジェクトにも着手した。そして、ボルネオ島最後の遊牧民ペナン族を追ったルポルタージュがスイス・デザイン・アワード外部リンクにノミネートされ、ヴュトリヒさん自身も何度かスイス・プレスフォト・アワード外部リンクを受賞した。
「農場No.4233」
そんな彼のところにある日、スイス写真財団外部リンク(Fotostiftung Schweiz)のペーター・プフルンダー会長からの連絡が舞い込んだ。農場を撮影した当時のプロジェクトは写真史にとって重要なものであり、ぜひ財団のコレクションに加えたいという。ヴュトリヒさんは写真を眺めながら、これを「Hof Nr. 4233 – Ein langer Abschied外部リンク(仮題:農場No.4233 ― 長い別れ)」と題する本にしようと思った。
いろいろ調べてみると、農場は今も減少中であることが分かった。農業から手を引く農家の数は、毎年およそ1000軒に上る。つまり、これは今も進行中の問題であり、彼の写真は今日に至るまで影響を与え続けているのだ。
「また、今の世界的な気候温暖化やビーガン人気を考えると、人々の関心を食生活や食品製造、食品の産地、そして地産に関する問題に誘導する時機がやってきたのだとも思った」とヴュトリヒさんは心中を明かす。
2000年、スイスには約7万軒の農場があった。連邦統計局(BFS/OFS)の調べ外部リンクによると、2019年には5万軒まで減少。農業分野の雇用も大幅に減少した。
減少が目立つのは主に小規模農家で、残っている農場は大規模化している。そのため、耕地の利用面積は比較的安定したまま。特に厳しい状況に直面しているのは酪農家で、20年の間にほぼ半減した。
農場の減少は工業化やグローバル化の影響を反映した世界的な傾向であり、欧州連合(EU)でも、アイルランドを除くすべての国で同じ現象がみられる。
EUでは、2005年から2016年の間に全農場の約4分の1外部リンクが消滅。ポーランド、ルーマニア、イタリアが特に目立つ。
米国外部リンクでは、2011年から2018年の間に10万軒以上の農場が閉鎖された。
農場をテーマにした写真の反響は大きかった。ヴュトリヒさんは、この本に心を動かされた人々から数多くの手紙を受け取った。自分も同じことを経験した、あるいは同じ経験をした家族を知っているという人々からの手紙だった。
「家族経営の農場で生計を立てる」
写真集を出版したのは、メッセージを発したいと思ってのことではなかった。「でも、この写真がいろいろと考えるきっかけになったり、今のようなグローバル化は本当に必要なのか、物事はもっと小さな枠で眺めた方がいいのではないかと自問してもらえたりすると嬉しい」とヴュトリヒさん。
補助金政策によって国は工業的農業を促進している、というのがヴュトリヒさんの考え方だ。ただ、国は同時に生態系の保護にも力を入れようとしている。
「この2つは両立できるものではない。うまく行くはずがない。以前のような生活に戻りたいと言うほど私はナイーブではないが、家族経営の農場で生計を立てることは今でも可能であるべきだ」
ヴュトリヒさんの父親は先日88歳になった。自分は幸せだ、と息子に話す。ヴュトリヒさんも結局このように落ち着いたことに満足している。農場を手放しはしたけれど、両親はそれを無念とは思っておらず、これからの人生をつつがなく過ごせそうだ。息子が出版した本も誇りに思っている。
この出版プロジェクトについて初めて両親に話をしたとき、2人ともあまり乗り気ではなかった。母親は、目立つのは好きではないし、このような思い出をなぜ全部外に持ち出そうとするのかと詰め寄った。
「私が選んだ写真はどれも良くないと思っていたようだ。だが、説明文を読んで、この仕事を見せることは未来の世代にとっても大切なことなのだと分かってくれた」
「Hof Nr.4233 – Ein langer Abschied」に収められている73枚のモノクロ写真は、トーマス・ヴュトリヒさんの両親であるルートさんとハンスさんのヴュトリヒ夫妻が農場で過ごした最後の1年間の農業生活を写したもの。
Scheindegger &Spiess出版社からドイツ語とフランス語で出版。
同書にはまた、スイス写真財団のペーター・プフルンダー会長と、ジャーナリストで著述家のバルツ・トイスさんの言葉が寄せられている。
写真展「Hof Nr.4233」外部リンクはビュル市のグリュイエール美術館で3月4日から6月6日まで開催。
(独語からの翻訳・小山千早)
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