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アフガン難民一家、スイスで生きる

フリッツさん宅で独語を学ぶ子供達 swissinfo.ch

スイスインフォは、アフガニスタンから子供たちを連れてスイスに辿り着いたサジャディ家(仮名)の軌跡を、2015年から断続的に取材している。内戦の続く故郷を捨ててから5年余り。ベルンで暮らす一家のその後を追った。

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 サジャディ家は、父親のホサインさん(仮名、41)と母親のザーラさん(仮名、39)に、子供たち5人の7人家族。

 アフガニスタン中部の山岳地出身で、少数民族ハザラ人だ。イスラム教シーア派を信仰し、ペルシャ語の一つ、ダリー語を話す。宗教や言語がアフガンの多数派と違うため、偏見や差別による迫害は今も続く。住む場所を追われ、イランやパキスタンなどに逃れた人は多い。

 サジャディ家も、2011年にアフガニスタンを離れた。イランを経て、トルコで4年過ごす。その後、バルカン半島を北上し、15年10月にベルンに到着。難民認定を申請した。

雨が降れば、室内で練習に励む swissinfo.ch

スイス人との交流

 「ドイツ語を学ぶには人生は短すぎる!」

 冗談半分にそう嘆いてみせるのは長女のマリャムさん(仮名、21)だ。長男のモーディ君(仮名、19)と一緒に週に数回、スイス人のフリッツさん宅でドイツ語を教えてもらう。2人とも、「仕事を得るのにドイツ語は必要だ」と熟知している。

 一方、中学校の教師を定年退職したフリッツさんにとって、人に教える喜びを再び味わう日々だ。「子供たちと一緒に過ごすことで、私自身が豊かに生きる時間を持てるようになった」と、この1年を振り返る。

 マリャムさんとモーディ君を自宅に居候させている元看護師マリアンナさんも同じ思いだ。「彼らが成長していく姿を見て、私自身も学ぶことがたくさんあると実感している。全ての難民にスポンサー(支援者)がついたら、どんなにすばらしいことか」と話す。

 定年後の今は、サジャディ家の生活をサポートするほか、子供達の宿題を見たり、子供たちの親に代わって学校の保護者会に出席したりもする。

学校へ行く準備は万端 靴を除いては swissinfo.ch

言葉の壁

「最初はドイツ語が全く分からなくて、つらかった。今は結構ついていける」と話すのは、次男のサシャド君(仮名、15)だ。他の兄弟たちも日常会話だけでなく、自分の考えを伝えられるまでにドイツ語が上達した。

 だが、大人にはハードルが高い。

 母親のザーラさんは文字の読み書きに問題があり、ドイツ語を習得するにはアルファベットから覚えなければいけない状態だ。父親のホサインさんは「子供達にはいい教育を受けさせたい」と話す。

長男のモーディ君は現在、病院で看護師のインターンシップを探している。将来の夢は医者になること。だがその前に、大好きなタイの格闘技「ムエタイ」で、2020年の東京オリンピックに「アフガン代表として出場してみせる」と、母国への熱い思いを語る。

 長女のマリャムさんも負けてはいない。今はベルン大学に聴講生として通っており、進学を希望している。時間がある時はアフガンの子供たちにダリー語も教える。「自分たちの文化に触れ続けるのは大切なこと。いつか故郷に戻る日が来るかもしれないでしょ?」。

 そんな強気な彼女も、「これからの人生どうなるのだろうと考えると、凄く落ち込む時がある」と不安をのぞかせる。こうした閉塞感との付き合いは、当面続くことになりそうだ。

大家族の食事の支度をする様子 swissinfo.ch

 サジャディ一家は、アフガンのヒンドゥークシュ山脈のふもとから約6800キロにおよぶ過酷な長旅を終えた。だが、スイス政府による難民認定の審査はまだ始まっていない。

(仏語からの翻訳・あだちさとこ)

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