故郷を離れなければならなかったスイス人女性フリークライマー
ニナ・カプレツさんは、世界でも指折りのフリークライマー。30歳のスイス人フリークライマーとして活躍するカプレツさんにとって大切なのは、もはや競技会への参加やランキングではなく、女性クライマーがまだほとんど制覇していない絶壁への挑戦だ。自らが選んだ道を突き進むため、8年前にスイスを離れてフランスのグルノーブルに移住した。スイスの故郷の村に帰省中のカプレツさんに話を聞いた。
雪が降った後だった。「きれいですよね?」とドアを開けてくれたカプレツさんが言う。山にふさわしい美しい光景だ。
私たちが訪ねたのは、スイス東部クロスタースの近く、キュブリス区内のプラダ村にある大きな木造の家。玄関にチャイムはない。その代わり重いドア・ノッカーでどんどんとドアを叩く。ここはカプレツさんが8年前、フランスのグルノーブルに引っ越す前に住んでいた家だ。この日は母親に会うため帰省中だった。
雪が降って、キュブリス周辺の谷と山々は、おとぎ話に出てくる田舎の冬景色へと化していた。 ただ、この降雪で道が閉鎖されてしまったため、カプレツさんの家族が所有するアルプスの山小屋まで車で上って行く当初の予定が狂ってしまった。
「車では行けません」とカプレツさん。母親が所有する四輪駆動車でも無理だと言うので、徒歩で山小屋まで行くことにした。 急斜面を上って森を抜けた途端、急に視界が開けて、谷底と反対側の山々を仰ぐ壮大な景色が目の前に広がった。
「子どもの頃、よくここに来ました。徒歩では息が切れますよね」。頑張っても追いつけない私たちを見ながら、カプレツさんは微笑む。10センチ以上積もっていた雪を払い、小さな木のベンチに座って一休みしながらカプレツさんと話す。
グルノーブルに行った理由を尋ねた。「とにかくフランスに引っ越したかったんです」とカプレツさん。続けて、その頃は「自分の選んだスポーツを真剣にやるには、スイスは最適な場所ではないと確信していた」と答える。
この答えには少し疑問が残る。スイスはクライマーたちにとっての楽園ではないのか。この問いに、「スイスにはアルプス登山の伝統があります。でも、スポーツ・クライミングの伝統はないんです」とカプレツさんは話す。「だから私は、スイスを離れざるを得ないとわかっていました。目標を達成するために、それ以外の道はなかったのです」
再び居心地がよくなった故郷
8年前のカプレツさんは、クライミングにいくら情熱を注いでいても、スイスでは敬意が得られないと感じていた。「クライミングをやっているのね。それで生活はどうしているの?」とよく聞かれたものだ。しかし、今では状況が変化したとカプレツさんは感じている。
「私は、フリークライマーとしてよく知られるようになりました。だから言えるのですが、スイス人は自分の道を自分で切り開く人たちが好きなんです。自分が情熱を注いでいることを仕事にすれば、スイスでは尊敬されます。おかげで今の私は、スイスにいる時の居心地がまたよくなりました」
カプレツさんのメイン・スポンサーであるペツル社(Petzl)外部リンクの本拠地がグルノーブルにあったことも、移住を決めた理由の一つだ。この街は一見しただけでは、あまりよい感じのする場所ではないとカプレツさんは認める。「普段はたいてい渋滞している高速道路を使って移動するだけの街です。でもグルノーブルの見どころは旧市街なんですよ。旧市街に行けば、どのくらい素敵な街なのかということがわかります」
カプレツさんが住むのは、まさにその旧市街だ。だからカプレツさんは、すぐに新しい自分の街が大好きになった。「私は、知らない人たちとも簡単に仲良くなれます。グルノーブルの人たちは、率直で真面目すぎないんです。今を大切にして生きているように見えて、私は、彼らのそんなところがすぐに好きになりました。幸い私は、ここに来る前からフランス語が話せました。言葉ができれば、もちろん新しい土地に馴染む上で助けになります」
特に重要なポイントは、自然や山々がとても近いことだった。「ほんの10分、車で移動すればいいんです」とカプレツさんが言う。また、グルノーブルでは、市内でクライミングができることも好都合な点だ。更に、この街のバスティーユ城塞は、古くからあるヴィア・フェラータ(ワイヤーロープやはしご、木製の歩道や吊り橋のように固定された設備などが整っている登山コース)で有名だ。
カプレツさんは、グルノーブルで同じ価値感を分かち合えるたくさんの人たちに出会ったと話す。「この分野では、スイスにいても滅多に仕事の機会に恵まれません。でも、グルノーブルにはクライミングのコーチ、キャニオニングのガイド、洞窟の探検家などがいます」
自分のことを「単なる」クライマーだと考えたことはないと言うカプレツさん。では、自らをどう呼ぶのか。 一瞬悩んだ後、カプレツさんは笑って答えた。「『人生』の専門家かしら」
ストレスの少ない街
グルノーブルに住んでいてカプレツさんが恋しくなるのは、スイス人の信頼性の高さだ。「スイス人は規則を守るし、電車も予定時刻通りに発車します」
一方でカプレツさんは、グルノーブルでスイス人とフランス人との違いに慣れただけでなく、その違いを好きにさえなった。「もちろんフランスでは、あてにできないことが多すぎます。でも逆の見方をすれば、いつもピリピリしていないのです。フランス人は、おしゃべりにたっぷり時間を使うし、バーやカフェに行くのも大好きです。ちゃんとお互いに目を見つめ合う、私は彼らのそんなところが好きです」
もちろんそんなカプレツさんでも、スイスが懐かしくなる時はある。だが、物が恋しくなることは決してないという。「私は物には全く執着しません。私にとって大切なのは、他の人たちとの関係です。そこが私のよいところだと言われます」
キュブリスに戻って、カプレツさんはフランスでの生活と対照的な点に気づいた。「人里離れた場所にある大きな家。私はここにいると平和を感じます。昔の友達にも会えます。でも、私は一人でいるのも好きなんです。そして、ここでは一人でもいられます。落ち着いた気分で自分の好きなことができる。ここにいる時、私は休暇を過ごしているような気持ちです」
生きる幸せと喜び
カプレツさんの家に歩いて戻ると、カプレツさんの母親が待っていてくれた。カプレツさんは、実家に長くは滞在したがらない。3日か4日後にはグルノーブルに戻る。
カプレツさんは、常に動き回っている。この日もアメリカからヨーロッパに戻ってきて、まだ3日しか経っていなかった。カプレツさんは、友人たちと一緒に「楽な」スポーツ・クライミングを楽しむため、丸々1ヶ月を海外で過ごした。
「すごく楽しかったわ。原点に戻ったみたいで」とカプレツさんは言う。「トップレベルのクライマー仲間で集まって『クレイジー』なことだけをするのは嫌なんです。そんなことばかりしても意味はないでしょう。意味がないのなら、自分がしていることを続けようとは思いません」
カプレツさんは、現在クライミングからの引退を全く考えていない。自分のやっているスポーツが単純なものに見えると知っていても気持ちは変わらない。「クライミングは、基本的にどこかへ行って単によじ登るだけのスポーツです。でも、それだけで大きな幸せと喜びが得られます。本当に生きていることを実感できるのです。岩の上で細いロープを握りしめてぶら下がるのは、かなり強烈な体験ですよ」とカプレツさんは言う。
だが、カプレツさんにとってクライミングは、やはり「単なる」スポーツではない。「クライミングをやると人間がよく見えるようになります。クライミングは、人の性格の一部を映し出すことさえできるのです」
(英語からの翻訳・門田麦野)
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