難民申請者をスイスの一般家庭に受け入れる。こんな発想のプロジェクトが、NGOの難民援助機関と州の連携で始まった。自宅提供を申し出た世帯数は約300。エリトリア人の難民を受け入れた家庭「第一号」となったヴォー州・モルジュ近郊の一家を訪ねた。
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アラン・クリステンさんの二人の子どもが、リビングルームのソファでがっしりしたエリトリア人の青年とふざけながら取っ組み合いをしている。一人が青年の腕に噛みつき、もう一人が肩に飛び乗ろうとする。
「モラドはあの子たちにとって兄のような存在だ」と父親のアランさんが説明する。
満面の笑顔を見せるモラドさんは、24歳の難民申請者。モルジュ近郊のリュリーに住むこの一家のところに3月1日、引っ越してきた。
砂漠を縦断して母国を逃れ、地中海を渡る費用を稼ぐために働き、死にそうな目に遭いながらスイスに到着した。スイスで難民申請者として待機の状態が何カ月も続いた後、今再び人生を楽しんでいる。
毎月、約4千人のエリトリア人が国を脱出しているといわれる。国外で最大のエリトリア人難民のコミュニティーを抱えるスイスには、約2万人が暮らす。今回、モラドさんがクリステン家に受け入れられたのは、NGOのスイス難民援助機関(OSAR)のプログラムで選ばれたからだ。このプログラムは、スイスに残る可能性が高い申請者を主な対象としている。
「スイスのような複雑な社会に溶け込むには、プログラムを理解して受け入れようとする人の所で暮らすのが一番だと考えている」と話すのは、OSARの広報担当者ステファン・フライさんだ。
クリステンさんたちのようなスイスの一般家庭約300世帯が、難民申請者の社会への同化を助けようと、自宅提供を申し出た。
「モラドが来てからの2カ月は、本当にワクワクする冒険のような感じだった」と、青少年のためのソーシャルワーカーとして働くアランさんは言う。このプログラムについての話を国営ラジオ放送RTSで聞いた妻のアニックさんに説得され、受け入れ家庭に登録したという。
「今の時代、人々はたくさん旅行をするし、B&Bに泊まったり、Airbnb(個人宅の宿泊を仲介するウェブサイト)を使ったりすることに慣れている。家事・育児を手伝いながら現地の文化・言語を学ぶ住み込みの学生オペア(au pair)を自宅に迎え入れたり、いろいろな人とプライバシーを共有したりしている。だから、(モラドを受け入れることは)特に勇気のいることでも何でもなかった」とアニックさん。
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OSARとヴォー州移民担当局が結んだ合意のもと、現在難民申請中のモラドさんはクリステン家に、とりあえず6カ月間暮らす。「その後は、状況と皆の希望を見て決める。どの程度モラドさんが同化できるかによる」と、前出のフライさんは言う。
モラドさんの最優先課題はフランス語の習得だ。クリステン家に来てからずいぶん上達した。お返しに一家は少しアラビア語を覚えた。
「言葉を学ぶのと並行して、当機関はクリステン家と協力して彼の仕事を探している」とフライさん。モラドさんの夢は機械工になることだ。
最終的には州の管轄
ヴォー州以外で難民を家庭に受け入れている州に、アールガウ州がある。ここの自治体シンスでは、4月から高齢のスイス人カップルの家にシリア人の家族が暮らしている。
「ようやく家族で未来や仕事や職業訓練の可能性について考えられるようになった」。かつてシリアで金細工職人として働いていたミラド・クリ・アブラハドさんは、スイス国営テレビ放送SRFでそう話した。母国の戦火を逃れる前、妻は教師をしていた。
スイスでの難民は、現在も州の管轄下にある。州が小額の生活費と受け入れ家庭に家賃を払っている。
OSARが最初にスイスの家庭への難民受け入れプログラムを発表したのは18カ月前のことだったが、実際に開始したのはごく最近だ。しかし、受け入れ数は今後増えると見られる。
「今週は関心を持った人から20件の電話やメッセージを受けた」とフライさん。
一般のスイス人家庭が、難民申請者を受け入れるのはこれが初めてではない。70年代にチリで起きた軍事クーデター後、スイスは250人の難民申請者を受け入れた。難民は最初各州のセンターに宿泊し、後に個々の家庭へ移った。その後、こうしたプログラムはほとんど実施されていない。
しかし40年経った今、スイスの家庭に難民申請者を受け入れるための行政手続きや承認制度はより複雑になった。連邦制の下では、州ごとに仕組みや基準が違うとフライさんは嘆く。
「プログラムは始まったが、この国では過去25年間で恐ろしく行政手続きが複雑になってしまった。人間が数字として扱われている」。そして、「スイスでは難民法の解釈が州の数だけ、つまり26通りある」
慎重に様子を見る
ヴォー州、アールガウ州に続き、ベルン州政府も最近プログラムにゴーサインを出した。しかし、ベルン州の受け入れ制度は複雑だ。州と協力する地域団体は、自分の組織の難民申請者受け入れ施設が満員になってからでなければ、難民を一般家庭へ送ることができない。この3州の他には、ジュネーブ州が強い関心を表明している。
「他にも関心を持っている州は2、3あるが、政治的な理由から非常に慎重で、成り行きを見守っている。スイスの政治的な環境では、移民に対しての歓迎ムードがあまりない」とフライさんは説明する。
最近地中海で難民の死亡数が増えていることを受け、数カ月前からスイスの一部の政治家や組織が、より多くの難民申請者を受け入れるよう政府に働きかけている。しかし依然として大きな障害となっているのが受け入れ先の問題だ。地方レベルでは、特にドイツ語圏において、難民申請者の受け入れにかなりの抵抗が見られる。
フライさんは、OSARのプログラムはスイスの難民収容先の問題や地中海危機に直接対応するものではないと話す。
「当機関の受け入れの数字は小さすぎる。結局OSARの狙いは、補完的な手段を提供することだ。難民申請者を自宅に受け入れる意志のある300〜400世帯の家庭をつなぐネットワークを作り、難民申請者が社会に同化できるよう支援を求めることだ。そうして400世帯あれば、(1家庭当たりの受け入れ難民申請者が)平均3人として、約千人がスイス社会により同化できるようになり、これは大きな変化だ。しかしまだ道のりは遠い」。
OSARは今年末までに試験的に受け入れ家庭を10世帯ほど増やし、2016年にはプログラムをより整備した形で本格的に展開したいとしている。
難民を家庭に受け入れるプログラム
スイスでは難民に関する手続きは連邦の管理下にあるが、難民政策の実施や収容先の決定などは、大きな自治権を持つ26州の州政府の管轄になっている。
スイス難民援助機関(OSAR)が今回開始した難民申請者の民間家庭への受け入れプログラムは、新しくスイスへやってきた難民申請者ではなく、仮の滞在許可証(カテゴリーF)を既に持っているか、取得する見込みの高い申請者を対象とする。このプログラムでOSARは、ヴォー州移民担当局など州のパートナーと協力する。
家庭に割り当てる難民申請者の選択は州が担当し、OSARは受け入れ家庭探しを担当する。受け入れ家庭は、難民申請者を最短6カ月受け入れることを約束するだけでなく、最低限のプライバシーの確保のため、鍵のかけられる個室を提供しなければならない。トイレも分かれているほうが理想。
スイスの行政制度において、難民については、特に宿泊場所と保険料の支払いは州が責任を持つ。例えばモラドさんは州の機関から、食費・交通費などの日常経費としての1日12〜15フラン(約1500〜1900円)と家賃を受け取り、彼が家賃を家庭に直接払う形を取っている。
(英語からの翻訳・西田英恵 編集・スイスインフォ)
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シュヴィーツ州にある難民受け入れセンターは、どこもいっぱいだ。そこで、かの有名なアインジーデルン修道院が救いの手を差し伸べた。(SRF/swissinfo.ch)
シュヴィーツ州では膨れ上がる難民申請者の住まいの確保に苦労している。そこで解決策を探っていた州に、アインジーデルン修道院が協力を申し出た。エリトリア難民40人を一時的に受け入れるというものだ。
難民申請者たちが滞在するのは、もともと巡礼者用に作られた簡素な部屋だ。彼らがスイスにやってきたのは、自国で起きた内戦から逃れるため。8月にスイスに提出された難民申請のほぼ半数は、エリトリアから逃れてきた難民のものだ。
彼らは最長3カ月間このベネディクト派のアインジーデルン修道院に滞在する予定で、滞在期間中は修道院の仕事を手伝う。エリトリア難民たちは地元住民と問題を起こさないよう注意されている。現時点ではこの修道院滞在に関して地元住民から心配の声は上がっていない。
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相次ぐ難民船事故 地中海で難民を救うのはだれか
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多くの難民船が漂着するイタリアの海洋救出作戦「マーレ・ノストルム」。15万人以上の難民を保護してきた同作戦は今秋終了し、欧州連合(EU)による「トリトン」作戦が新たに始動。果たして国境警備に重点を置くこの作戦で難民の命が救えるのか。難民が数多く流れ着くシチリア島の港町ポッツァーロを取材した。
ポッツァーロの早朝。1隻の巡洋艦が港に到着する。10月初頭、海洋救出作戦「マーレ・ノストルム(Mare Nostrum、我らの海)」が終わりを迎えるまであと数日のことだった。船尾には435人の移民がすし詰め状態で乗っていた。中には女性8人と子ども1人の姿もあった。彼らの大半はサハラ南部のアフリカ諸国出身だ。彼らは1週間前、リビアの海岸でボートに乗り込んだ。公海を3日間漂い、その後、マーレ・ノストルム作戦でイタリア海軍が出した軍用ボート32隻に移送され、4日間をそこで過ごした。
「ゴムボートでやってきた彼らの旅は、リビア沿岸から70海里離れた公海で終わった。我々はまず彼らをなだめた。ささいなことが大きな混乱につながることもあるからだ。1隻のゴムボートには水が入り込んでいたが、我々は手遅れになる前に駆けつけた」と、船長のマリオ・ジャンカルロ・ラウリーアさんは振り返る。
新作戦の始動
こうした光景は、地中海でほぼ1年間繰り返されてきた。軍を派遣して難民救助に当たっていたイタリアだったが、支援を要請したEUからは思うような反応が得られなかった。マーレ・ノストルム作戦が今秋に終了することを受けて、EUが新しく打ち出したのは、国境警備の強化と密入国斡旋業者の取り締まりを最重要課題とするトリトン作戦(Toriton、海神)だった。
この作戦を指揮するのは、欧州対外国境管理協力機関(Frontex)。同機関にはスイスを含め欧州15カ国が参加している。毎月の予算は290万ユーロ(約4.2億円)で、イタリアのマーレ・ノストルム作戦より3分の1少ない。11月1日から始まったトリトン作戦だが、移民や難民の救助は最優先事項に定められていない。
「人道面や軍事面にまたがるマーレ・ノストルムとトリトンとを比べることはできない。Frontexには、許可のない人を欧州の領域に入れさせないという任務がある。もちろん、国際法で決められたように、船が難破した場合に難民を安全な場所へ移すことはあるだろう。だがそれはトリトンでとりわけ重要な課題ではない」と、Frontexのイザベラ・クーパー広報担当官は説明する。
まさにこうした理由から、トリトン作戦では活動範囲がイタリア沿岸から30海里に限定された(ちなみにマーレ・ノストルム作戦の範囲はイタリア沿岸からほぼリビア沿岸までの海域だった)。その範囲内で保護されたのが前述の435人の難民だ。彼らはその後、ポッツァーロへと移送された。
巡視船が港に着いて数時間後、ようやく若いアフリカ人たちが4、5人の小さなグループに分かれて陸に降りてきた。イタリア軍が新しい移民の写真を撮影した。撮影するのは顔と、四つの数字が書かれた腕輪だ。こうして一時的に身元が管理される。難民の一部は、ポッツァーロから約200キロ離れたメッシーナに直接移送されるが、他の人たちは同じ場所に留まる。彼らは衛生チェックのため、国境なき医師団のテントまで連れて行かれた。
「壁」で囲むEU
イタリアがマーレ・ノストルム作戦を開始したのは、2013年10月のこと。ランペドゥーサ島でボートに乗った難民368人が死亡したことを受けてのことだった。同作戦では約15万人の難民が救助され、密入国を斡旋していた500人が逮捕された。
当時のエンリコ・レッタ政権が果敢に行った政策は、国庫に影響を及ぼした。費用は1億1200万ユーロで、1カ月に950万ユーロかかった計算だ。さらに、難民が最初に入国した国がその難民の責任を負うとするダブリン協定に基づき、イタリアには難民を受け入れ、世話をしなければならない義務があった。
しかし難民の流入はイタリアの限界を超え、状況は緊迫していった。難民の数は毎年膨れ上がり、13年には6万人、14年10月には16万5千人に増加した。そのため、イタリアはEUの難民データバンク「Eurodac」への難民登録を断念したが、特にスイスなど欧州各国からひんしゅくを買った。難民の指紋をデジタル登録しなければ、その人が欧州内で最初に入国した国がイタリアだと証明できず、各国が難民をイタリアに追い返すことができなくなるからだ。
マーレ・ノストルム作戦への支持も、時間とともにEU内で小さくなっていった。逆に、この作戦は地中海に移民を引き付け、密入国斡旋業者のビジネスを手助けすることになると考える政治家も多かった。
しかし、伊トリノで難民問題に関する研究団体を運営するフェルッチオ・パストーレさんは、この作戦が移民を引き付けたと学術的に証明することはできないとみる。「逆に反ばくできないのが、シリアやリビアの状況が昨年急激に悪化し、外国に逃れようとする人が増えた事実だ。さらに、ガダフィ政権後のリビアは崩壊状態となり、難民の流れを止めるダムの役割を果たす国がなくなった」
人権NGO「アムネスティー・インターナショナル」スイス支部の弁護士で、難民問題に詳しいデニーゼ・グラーフさんは、この状況にはEUにも責任があると指摘する。「欧州は壁に囲まれた城塞のように守りを固めている。ギリシャには国境沿いに壁がある。ブルガリアや、スペインのセウタとメリリャもそうだ。こうした境界線は、まるでもうだれも通過できないようなイスラエルとエジプトとの境界線のようだ。また、スイスも含めた欧州諸国は、移民の家族を呼び寄せる権利を著しく傷つけ、大使館で難民申請できないようにしている。欧州で難民申請したい人に残された唯一の方法は、地中海を通る違法の道しかないのだ」
消えない希望
難民船で命を落とした人の数は、マーレ・ノストルム作戦が行われていたにもかかわらず、ここ数カ月で増加している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、14年ではこれまで3300人が死亡、そのうち6月初旬以降に死亡した人の数だけでも2700人に上る。「実際の被害者の数はもっと多いだろう」と語るのは、イタリアの港町で活動する国境なき医師団チームのリーダー、キアラ・モンタルドさんだ。難民たちによれば、初めは5隻のボートで出港したが、無事に到着できたのは2隻だけだったという。「では他のボートはどこに行ったのだろうか」とモンタルドさんは問う。
マーレ・ノストルム作戦の終了後、難民救助に関する情報はリビアに届きにくくなり、特に今後数カ月で状況が悪化する恐れがある。また、難民が情報を把握できないのをいいことに、密輸入斡旋業者が彼らを悪用する可能性もある。
UNHCRや国際人権団体は、欧州各国には長期的な難民政策を打ち出して地中海における難民の死亡事故を回避する意志が見られないと、批判する。「EUはこの状況に目をつむり、地中海で今後ボートが沈むことはないとするが、そんな態度はあってはならない」(グラーフさん)
ここ数日間、ポッツァーロは元の静けさを取り戻している。以前はイタリア海軍のツイッターアカウントには連日、救出された難民の数が報告されていたが、最近は静かになった。シチリア島の向こう側では、今も数千人の人が欧州の地を踏もうとしている。マーレ・ノストルム作戦が終わっても、彼らの希望は消えない。
マーレ・ノストルム作戦
目標:地中海での難民救助
関係国:イタリア
予算:月に950万ユーロ(約14億円)、合計1億1400万ユーロ
出動した乗り物:軍艦32隻、潜水艦2隻、ヘリコプター2機、飛行機2機
出動人数:1日軍員900人(24時間体制)
活動範囲:イタリアから公海、リビア沿岸まで
トリトン作戦
目標:EU国境警備および人身売買撲滅
関係国:スイスを含めた15カ国
予算:月に290万ユーロ
出動した乗り物:船7隻、飛行機2機、ヘリコプター1機
出動人数:不明
活動範囲:イタリア沿岸から30海里まで
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