スイスで170人が自発的に拘置所に入ったわけ
これは世界でも類を見ないチャレンジだ、と責任者は言う。チューリヒに新しくできた拘置所のテスト運営として、一般市民170人が同施設で「囚人生活」を送った。フローリングの床にフラットスクリーンのテレビもある監房だったが、参加者には身にこたえる体験となった。
「普段、出かけるときの格好で来て下さい」。拘置所からの「招待状」にはそう書かれていた。もう少し具体的な説明では「町を歩いていたら突然逮捕されたと想像してみて下さい。その時には何を身に着けているでしょうか?」。なるほど、そういうことなのか。
そして「残りは入所後のお楽しみ」とある。
チューリヒ州州司法・内務省は今年4月、西チューリヒ刑事収容施設(GZW)の拘置所の運用を開始した。それに先立つ3月24~27日、内部の手続きや処理が機能するかどうかを調べるため、現実に即した形でテスト運営を行った。ここで投入されたのが、1日または数日間、監房に閉じ込められてみようと自ら名乗り出た人々だ。
マルク・アイヤーマン所長は、これはおそらく世界で唯一の取り組みだったのではないかと話す。わずかな期間に800人以上の応募があり、最終的に170人が選ばれた。大勢のマスコミ関係者に加え、チューリヒ州司法省のジャックリン・フェーア大臣まで参加した。フェーア氏は、州刑務所における拘束条件や構造の改革を提唱した人物と言われている。
西チューリヒ刑事収容施設は警察の留置場の機能、裁判が行われるまで被疑者を留め置く拘置所としての機能を持つ。留置場としては4月22日からスタートしており、拘置所の機能は今年8月から運用を開始する。
配給たばこ20本
施設に到着した参加者はまず、登録、写真撮影、身体検査を済ませる。ボディチェックは義務ではない。自分の監房に振り分けられるまで、2時間以上も無機質な白っぽい待機房で待たされた人もいる。ここのドアには取っ手がない。中にはコンクリート製の腰かけ、作り付け式のトイレ、それに付随するウォーターサーバーがあり、最小限の欲求は満たせるようになっている。
監視員と世話係が参加者をそれぞれの監房へ連れて行く。そこで、シーツや歯ブラシ、ナイフ・フォーク一式、小型時計から成る入所セットを受け取る。好きな本や甘味飲料を選び、他の収容者が手作業で作ったたばこも20本もらえる。
マルク・アイヤーマン所長によると、普段、待機房でこれほど長く待たされることはない。「短時間の間にとても多くの入所があったことが一番の原因だ。テスト運営では1単位時間内に普段の4倍ほどの入所があった」。テスト運営の目的は、まさにこのような問題の存在を明らかにし、本格的な運営開始時までに様々な流れを改善することにあると言う。そして、テストでは参加者がまだ笑って済ませられることも、多くが危機的な状況に身を置いている本物の被収容者相手の時には決して発生してはならない、と話す。
拘置所では普段、他の人間との接触がほとんどない。そのため、多くの被収容者にとって中庭で過ごす時間が一日のハイライトになる。参加者たちは中庭で揃って1時間、新鮮な空気を吸い、運がよければ太陽の光を楽しむ。ついさっきまで赤の他人だった人たちが、小さなグループになってがやがやと話している。グループ意識や仲間意識のようなものがあっという間に出来上がる。
テスト運営に参加しようと思った主な動機はほとんどが好奇心だ。25歳のラウラさんは、刑務所の環境についていくらか聞きかじっていたので、自分の考えをまとめるいい機会になると思ったと話す。実際に入所してみたら思っていたより良かった、という感想だ。「監視員の対応は丁寧だが、一人ぼっちで監房にいると、本当にいろいろと考え込んでしまう」
こんな意見も飛び込んできた。「1人でいるのがとても奇妙に思える。テレビと本があるのがせめてもの救い。監房に入る前に待機房で1時間半ほど待たされた。窓がないのでどんよりと、冷え冷えとしていた。時間の感覚までなくなった」
マリアさんも、隔絶された環境が最もつらかったという。「ショックだったのはこの施設自体ではなく、孤立が自分に与えた影響だった」と話す。「すべてがシンプルで、白く塗られていて、まるで活気がない。同室の入所者がやってきて、やっと少し監房に命が吹き込まれた感じがした」
自己実験
心理学者のニコルさんの体験も似通っている。一日の過ごし方を自分で決められなくなったときに精神的に受ける影響を知りたくて応募した。そして入所後、気分がどんどん変わっていくのに驚いた。「世界から隔離されている気がした。何も聞こえず、誰も見えない。物音に気付くと必ず耳を傾け、監視員が来るととてもうれしかった」。本当は2日間瞑想をするつもりでいたが、拘置所の中ではとても無理だと悟った。良かったこともある。デジタル・デトックス、つまり携帯電話もインターネットもない生活を経験したことだ。
その携帯電話を何より恋しく思っていたのがファビエンヌさんだ。裁判所に勤めており、刑務所の環境や様々なプロセスについて知りたいと思ったと言う。「私たちは勾留請求の審査をしているので、その流れを見たかった」。入所してみると合宿所のようで、それより少し制限が多いだけ、と感じた。「でも、この先どうなるか分からないともなれば、もちろん感じ方も違うだろう。私たちには想像もできない」
「本当にこうなのですか、所長?」
ほとんどの参加者たちは、温かい出迎えと監視員の親切な対応を意外に思ったと言う。所長が中庭で参加者らにあいさつをし、その後質問に答えた。
「監視員や世話係の皆さんはいつもこんなに親切なんですか?」という質問に、アイヤーマン所長は、「我がチームは、留置・勾留されている人全員に敬意を持って応対することになっている」と答える。推定無罪の原則に基づき「入所者にも同じように敬意を持って行動して欲しいし、また何より強さを失わないで欲しいと思う。それには敬意と親切な応対が大切だ」。これはもちろん理論であり、酔っ払いが勾留されて、わめき散らしたり暴力をふるったりするときには、「コントロールしつつ床に抑え込み、手錠をかけなければならない場合もある。そうなると大変だが、それでも敬意を忘れないようにしなくてはならない」と語る。
また、警官と世話係をはっきりと切り離すことも雰囲気づくりに欠かせない、という。「監視員や世話係は警官ではない。この分離は大切だ」。相手が警官となると、被収容者が全く別な態度を取ることもあると気づいたからだ。
好印象をたくさん抱いたにもかかわらず、出所後の参加者たちの意見は、もう二度と拘置所はごめんだということで一致した。ましてや、自発的でない入所などとんでもない。心理学者のニコルさんはこんな風に締めくくる。「自由をはく奪されることがどんなものかもう分かったし、自由でいられることをこれまで以上に満喫したい」
(独語からの翻訳・小山千早 )
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