ヨーロッパ最高地点の鉄道駅でトイレを流すとどうなる?
スイスで最も標高の高い地点にある観光名所ユングフラウヨッホでは、100万人を超える観光客のための水・食べ物・酸素はどのように賄われているのか?舞台裏に迫った。
1月、夜明け前の午前7時過ぎ、グリンデルワルト駅は既にユングフラウヨッホ外部リンク行きの始発電車に乗ろうとする興奮気味の韓国人観光客で溢れている。標高3454メートルに位置するユングフラウヨッホ駅は「トップ・オブ・ヨーロッパ」と銘打つ観光名所だ。
グリンデルワルトからユングフラウヨッホまで、10キロほどの距離を鉄道で往復するために、観光客は190フラン(約2万1500円)という決して安くはない運賃を支払う。この金額はきっと、絶景写真を撮ったり、雪合戦をしたり、標高の高い場所のインド料理店でランチにカレーを食べたりするためのものだろう。
技師のトニー・アイラートさん(57)は、ほぼ毎日、グリンデルワルトで観光客とともに始発電車に乗り、ユングフラウヨッホまで上がる。鉄道料金は無料だ。ヨーロッパの最高地点で働くアイラートさんの仕事はどんなものなのか。アイラートさんの一日を追った。
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何でも直してしまうユングフラウヨッホの技師
背が高く、がっしりとしていて、あごひげを生やしたアイラートさん。カギ束を持ち歩く姿は看守のようだ。しかし、アイラートさんが目を離さないのは囚人ではない。様々な機械だ。
アイラートさんは立ち止まることがない。ユングフラウヨッホのベテラン技師は、トンネルを通り抜け、観光客立入禁止区域をくまなく見て回る。
アイラートさんが「秘密の部屋」の一つを見せてくれた。二つの巨大な変圧器が小気味好い音を立てている。
「ユングフラウヨッホ駅の複合施設は、谷に独自の水力発電所を持っている。発電所からユングフラウヨッホまで6万ボルトで送電された電気は230、240、400ボルトに変圧される」とアイラートさんは説明する。
雪解け水を利用した発電システム
水力発電所を独自に持ってはいるが、大量の雪が降る冬の間は別の電力会社から電気を買わなくてはならない。ただ、夏になると氷や雪が解け過剰に発電されるため、余剰分を売り戻している。非常に高度な技術だ。
その一方で、予備の発電装置は間違いなく前世紀を感じさせるものだ。アイラートさんは、蒸気機関車にでもついていそうな巨大な緑のディーゼルエンジンに深い愛着を示す。
「エンジンのシリンダーヘッドは常に温められている。必要な場合にはいつでも使える状態だ。この発電機はユングフラウヨッホ駅に10~14日分の電気を供給することができる」
次に見せてくれたのは、あらゆる色のパイプやバルブが迷路のように入り組んだポンプ室だ。ユングフラウヨッホの下に広がる氷河から溶け出した水をポンプで汲み上げ、観光客1人につき1日に必要とされる15リットルの水を確保している。水の総供給量の半分以上がトイレで消費される。夏には、1日当たり平均3万~4万リットルの廃水がパイプを通って谷の下水処理場まで送られる。
ポンプ室は消火用のスプリンクラーも備えている。ユングフラウヨッホ駅の施設は1972年に全焼した。二度と同じことが起きないよう新たな装置が設計された。
「このスプリンクラーは水ではなく加圧された空気で制御されているという点で特殊だ。この標高では水は凍ってしまう。まずアラームによって(スプリンクラーの)センサーが作動すると空気が放出される。それに伴い消火用の水がパイプに流れ込む仕組みだ」(アイラートさん)
スフィンクス展望台
アイラートさんが案内してくれた見学のハイライトは ―そして、おそらくユングフラウヨッホの存在意義でもあるが― スフィンクス展望台に上がることだろう。展望台からは、ユングフラウやメンヒなど周囲に連なる名峰やヨーロッパアルプス最長のアレッチ氷河を一望することができる。
二つある高速エレベーターは、観光客を展望台までわずか32秒で運び上げる。だが、アイラートさんが使うのは別のエレベーターだ。カギ束を探ってドアを一つ開けると、もはや観光客には使われていない旧式の木枠のエレベーターが姿を現した。旧式のエレベーターだと展望台まで上がるのに4倍の時間が掛かる。それでも、観光客と乗り合わせる必要がないのは快適だ。また、高速エレベーターが止まってしまった場合でも、アイラートさんにはエレベーターを再稼働させるカギや道具があるということだ。観光客がエレベーターに閉じ込められることは年に平均2~3回あるという。
「アジア人は時間に追われているし、エレベーターのボタンを強く押し過ぎる。ドアの扱いも乱暴だ」(アイラートさん)
アイラートさんのチームは通常15分かそれより短い時間でエレベーターに閉じ込められた観光客を出すことができるという。アイラートさんは記者を安心させるようにそう付け加えた。15分とは言え、中に閉じ込められた者にとっては果てしなく長い時間に感じられるだろう。
紛失した数本のネジ
我々が到着する頃には既にスフィンクス展望台はスマートフォンで写真を撮る観光客で溢れている。自撮り棒で撮る人も多い。通常、観光客は雪に覆われた山々を感動のあまり口を開けたまま見つめている。だが、アイラートさんは鉄格子の床をチェックしている。2日前、床の一部が浮いていたため、ネジで止め直さなければならなかった。床が外れて氷や岩の上に落下することを想像すると恐ろしい。幸い、アイラートさんの応急処置のおかげで、展望台の端から落ちた人はいない。
この標高で観光客がしばしば直面する健康問題は酸素不足だ。「ほとんどのアジア人観光客は普段海抜0メートル地点に住んでいる。そのため、施設内を急いで見て回り疲れ切った観光客は酸素吸引で回復させる必要がある」とアイラートさんは話す。
あるいは食べ物で元気を取り戻す必要がある。施設をくまなく歩いて回るとお腹が空く。施設に4つあるレストランで必要な物資はすべて鉄道で運び上げられる。昨年、その量は286トンに達した。
休憩の時間になった。アイラートさんはお茶を注文し、「トップ・オブ・ヨーロッパ」で仕事をするようになった経緯を話してくれた。
「2001年、ユングフラウヨッホで働ける技術職経験者の求人広告が新聞に出たので応募した。建設現場で働いた経験があり、トラックや掘削機の運転ができた」
新規採用者がユングフラウヨッホでの仕事をすべて習得するには2~3年掛かる。空席が出る度に多くの応募が寄せられるが、適任者を見つけるのは難しい。ユングフラウヨッホの運営にとって幸いなことに、アイラートさんが愛着あるカギ束を引き渡すまでにはまだ8年ある。
1.最も頻繁に修理する必要があるものはドアとゲート
「多くの人がドアやゲートを通るが、その際、『押す』の表示を見ずにドアやゲートを引いて壊してしまう」
2.これまでに観光客から受けた最も変わった依頼は入れ歯の回収。展望台で手すりにもたれていた時に入れ歯を落としてしまったのだという
「ハーネスを付け、ザイルを使って降りた。入れ歯を返す際、その観光客に言ったよ。『残りの休暇中、スープだけの食事にならずに済みましたね!』」
3.広大なユングフラウヨッホの施設では、すぐ迷子になってしまう
「新規採用者が施設内の配置を完全に覚えるのには半年掛かる」
4.標高3500メートルの高さでは年間を通じて寒いにもかかわらず、夏は空調システムが必要
「夏の間、窓ガラスから入る光によって施設内は暑くなる。風速約25~28メートルの強風がよく吹くため、窓を開けることもできない」
5.ユングフラウヨッホにはある特別な理由からディーゼルエンジンが無い(非常用を除く)
「スフィンクス展望台にある観測所では二酸化炭素の排出量を計測しているため、何らの汚染物質も計測に影響を与えないようにしている」
6.エレベーターの一つには秘密の避難用扉がある。それは施設内で最も古いエレベーターで滅多に使われない
「エレベーター・シャフトを降りるためには優れた運動神経が必要だ」
7.混雑を避けたければ、午前10~11時以外の時間が良い
「この時間帯には3便の電車がユンフラウヨッホ駅に到着する。短い時間に多くの乗客が降りる」
8.観光客には入ることのできない「展望付きトイレ」がある
「観測所のトイレからの眺めは世界最高だ」
9.ユングフラウヨッホの技師として適任者を見つけるのは難しい
「かれこれ1年以上電気技師を探している。多くの人が求人広告を見て応募してくるが、十分な資格を持った人はいない」
10.ユングフラウヨッホのスタッフは厳しい条件の下で長時間働かなければならないが、素晴らしい特権もある
「冬は、自分のスキーを電車で持って上がり、仕事の後、途中から村までスキーで降りるんだ」
観光のハイシーズン
2017年にユングフラウヨッホを訪れた総観光客数は104万2千人。約7割がアジアからの観光客で、中でも中国、韓国、インド、日本からが多かった。観光のピークは夏で、1日に5千人の観光客が来る。その一方、冬は1日当たり1000~1300人程度と比較的落ち着いている。
慌ただしく各地を旅する観光客にとってアクセスの良い高地の観光スポットは、ユングフラウヨッホだけではない。パノラマビューを楽しむことのできる人気のスポットは、スイス中央部オプヴァルデン準州エンゲルベルクのティトリス外部リンク駅(標高3020メートル、エンゲルベルク―ティトリス駅間の往復チケット92フラン)、スイス中央部ルツェルン州とシュヴィーツ州にまたがるリギ山のリギ・クルム外部リンク駅(標高1750メートル、1日券50フラン)、スイス東部アッペンツェル・インナーローデン準州センティス外部リンク山(標高2502メートル、往復チケット45フラン)、スイス西部ヴォー州モントルーのロッシェ・ド・ネ外部リンク山(標高2042メートル、往復チケット70フラン)がある。
登山列車やケーブルカーで行くことのできるその他の景勝地についてはスイス政府観光局のウェブサイト外部リンクへ。
(英語からの翻訳・江藤真理)
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