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トランスジェンダーの性別適合手術 スイスは後進国

性別適合手術
最新データによると、2020年にスイスで性別適合手術を受けた人は、トランス男性35人、トランス女性52人だった © Keystone / Christian Beutler

スイスで性別適合手術を受けた後、深刻な合併症に苦しむトランスジェンダーは多い。そのため外国での手術を優先する人が大半だという。支援団体や専門家らは、性別適合手術におけるスイス外科医の経験不足を指摘する。

スイスのフランス語圏に住むトランス女性のエマさん(仮名)は1年足らずで7回もの手術を受けた。次は8回目を予定する。性別移行の手術がこんなに大変なことになるとは夢にも思っていなかったという。当初は、膣(ちつ)を作る「膣形成手術」という性別適合手術を1回受ければ済むはずだった。

「1回目の手術ですでに問題があり、再度手術になりました。その時に直腸が損傷したためにストーマ(人工肛門)を付けられ、9カ月間それを付けた生活を余儀なくされました」と振り返る。その経験は、若い女性にとって大きなトラウマになった。「何とか耐え抜きましたが、大変な思いをしました。何度もパニックに陥りましたが、幸い、友人や家族に支えられました」と話す。来年5月に予定される形状修正の手術が終われば、長いトンネルから抜け出せるよう祈っている。

度重なる手術

トランスジェンダーの擁護団体「エピセーヌ(ÉPICÈNE)」のリン・ベルトレ会長は、「ひどい状況です」と言う。これまでもエマさんのようなケースを数多く見てきたという。術後の様々な合併症の治療で何度も手術を受けなければならない人もいる。ジュネーブの銀行員だった同会長は、「私が知る中で最も深刻だったのは、5年間で22回も手術を受けなければならなかったトランス男性のケースです」と話す。

「今も尿道カテーテルを付けていて、ひどく痛みます」

ルカさん*

術後合併症で長期の入院や休職を余儀なくされることもある。トランス男性のルカさん(仮名、34)もそうだ。2018年に、陰茎形成手術(体の他の部位から採取した皮膚で陰茎を形成する手術)を含む性別適合手術を受ける決意をした。術後にいくつもの問題があり、当初は4回の予定だった手術が8回になった。

数カ月前から入院生活をしているルカさんは、「今も尿道カテーテルを付けていて、ひどく痛みます」と、電話で取材に答えた。「私の症例はとても複雑な医療ケースに発展しました。医師たちは情報を統合できずに、問題の把握に苦労しています」と言う。「私の最大の夢は、1日も早く大好きな仕事に復帰することです」

スイスの病院は経験不足

トランスジェンダーの術後合併症に関するスイスの統計はない。確かに性別適合手術は複雑でリスクも高いが、「それでもスイスではトラブルが多すぎる」とベルトレ氏は言う。「私たちの経験からすると、性別適合手術を受けた2人に1人が術後トラブルに苦しんでいます」

また、スイスで性別適合手術を執刀する医師には専門トレーニングが義務付けられておらず、経験も不足していること、術後サポートの訓練を受けた看護師がいないことも問題に挙げる。スイスで性別適合手術を行えるのは、バーゼル、チューリヒ、ローザンヌにある3病院のみ。「外科医が十分な経験を積めるほど、手術件数は多くありません」(ベルトレ氏)

この問題は、トランスジェンダー医療の専門家であるベルギー人外科医のスタン・モンストレ医師がすでに2015年に指摘していた。ローザンヌ州裁判所の依頼で同氏が行った報告では、スイスで性別適合手術を行う外科医は臨床経験が不足しており、外国の専門機関ほど手術レベルが高くないことが示された。「こうした結果にもかかわらず、あれから何も変わっていません」とベルトレ氏は嘆く。

報告書によると、外科医が技術を維持するには、1つの手術手技につき年間最低24件の手術を執刀する必要がある。近年、スイスでも性別適合手術件数は増えているが、この条件を満たすほど多くはない。連邦統計局(BFS/OFS)の最新データによると、スイスで性別適合手術を実施する3病院で2020年に性別適合手術を受けた人は、トランス男性35人、トランス女性52人にとどまる。

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専門医療センターの必要性

手術とケアの質を向上させるため、団体「エピセーヌ」はトランスジェンダー医療を専門に行う国立専門医療センターの設立を強く求めている。「患者が1カ所に集まれば、より経験のある外科医をそこに置くことができます。そうすれば、外科医は今のように別の専門分野の手術と並行することなく、性別適合手術に専念できます」とベルトレ氏は説明する。

これは、モンストレ氏が報告書で提案する解決策でもある。「スイスのような小さな国で、トランス医療の質と条件を満たす唯一の方法は、トランスジェンダーの患者を1つか2つの専門機関にまとめることだ」と結論付けている。また、「複数の医師や外科医が協力し合った多分野からのアプローチだけではなく、看護師やその他の医療関係者が十分な経験を積む必要性」にも言及した。

リン・ベルトレ氏
トランスジェンダーの擁護団体「エピセーヌ(ÉPICÈNE)」のリン・ベルトレ会長 Magali Girardin

解決策か夢物語か?

これは医療関係者からも支持されているアイデアだ。リヒャルト・ファキン氏はチューリヒ大学病院の形成外科医長を務めた後、現在はマドリードで性別適合手術を行っている。「重要なのは年間の手術件数とその結果です。スイスではこの分野に関する優れた出版物はまだほとんどありません」と悔やむ。小国のスイスでは、トランスジェンダー医療を一元的に行うべきだとし、「必要なのは、医療施設を物理的に1カ所に集中させることではなく、共通の治療コンセプトを作ること」だと言う。

スイスのフランス語圏で性別適合手術を行うヴォー州大学病院(CHUV、ローザンヌ)の外科医、オリヴィエ・ボキ氏も国立医療センターの設立に賛成だ。だが、近い将来に実現する可能性は低いと考える。差し当たって必要なのは、「外科医、心理療法士、内分泌専門医から成る学際的なチームによる大学病院での治療」だと強調する。

多くの人が外国での手術を希望

こうした現状から、経済的に余裕のあるトランスジェンダーは外国の専門施設での手術を選択するという。トランスジェンダーの青少年を支援する「アグノディス財団(Fondation Agnodice)」のホームページでは、渡航先としてタイやベルギー、米国、ドイツ、セルビア、カナダなどが挙げられている。

「合併症の治療のために何度も手術を受けたり、長期欠勤したりすれば、苦痛を伴うだけでなく高額な費用もかかる」

「エピセーヌ(ÉPICÈNE)」リン・ベルトレ会長

ルカさんとエマさんもできれば外国で手術を受けたいと考えていた。エマさんは、「外国での膣形成手術費用を負担してもらうよう、健康保険会社に何度も申請しましたが、拒否されました」と悔やむ。今苦しんでいる術後の様々な合併症を回避できたはずだと思っている。

健康保険会社は、原則としてスイスの公立病院で行われた外科手術費用のみを負担する。だが例外もある。2015年には、タイで性別適合手術を受けたトランス女性が健康保険会社から費用の払い戻しを受けた。専門家であるモンストレ氏の査定に基づきタイで手術を受けたことに対し、ヴォー州裁判所は、スイスでの手術のほうがリスクが大きかったして、被保険者の女性の訴えを支持する判決を下した。

「外国での手術に保険適用を」

ベルトレ氏は、スイスに国立の専門医療センターができない限り、外国での手術にも健康保険を適用すべきだと考える。「合併症の治療のために何度も手術を受けたり、長期欠勤したりすれば、苦痛を伴うだけでなく高額な費用もかかる。こうした費用は州や保険会社が負担すべき」だと述べる。エピセーヌは現在、「スイスでの性別適合手術は高リスク」と認められるよう、連邦裁判所に提訴中のあるケースを支持しているという。

一方で、健康保険会社の統括組織「サンテ・スイス」は、こういった提案には納得がいかないようだ。取材に対し、同組織のクリストフ・ケンプフ広報担当は「手術の種類にかかわらず、健康保険会社では現在、スイス国外で行われた手術への保険適用が認められていない」と回答した。

ベルトレ氏は、外国で手術を受ければすべてが虹色とは限らないことも強調する。「こうした手術には長期にわたるフォローアップが必要ですが、それを現地で継続するのは難しいためです」と述べた。

*仮名

トランスジェンダーとは、出生時に割り当てられた性別に対して不一致や違和感を覚える人を指す。男性や女性の身体的特徴を持って出生するが、それとは別の性別や、中性(男性と女性の中間)、両性(男性でもあり女性でもある)を自認する。これまでに調査がないため、スイスに住むトランスジェンダーの数を正確に把握することは難しい。調査によって数字が大きく異なる。200人に1人の割合、つまりスイスで約4万人がトランスジェンダーとする調査もあれば、性別適合手術を受けた人のみを統計し、わずか数百人にとどまると報告する調査もある。

(出典:スイス・トランスジェンダー・ネットワーク)

仏語からの翻訳:由比かおり

Übertragung aus dem Französischen: Christian Raaflaub

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