ブルカの着用禁止は多数派の専制か
スイスではこれまでの国民投票の結果、イスラム教の尖塔であるミナレットの新設、イスラム教徒の女性が全身を覆い隠すブルカの着用、ユダヤ教の屠殺方法であるシェヒターが禁止されてきた。はたして宗教的マイノリティは直接民主制の下では差別されやすいのだろうか?ある教授の解決策が一石を投じている。
ティチーノ州では2016年7月以降、顔を覆い隠すベールの着用が禁止されている。同州の住民がそう決定したためだ。
その7年前、09年には国民投票の結果を受けて、スイスはミナレットの建設を禁止。さらに遡って1893年には、麻酔を用いずに動物の首を切って失血死させる「シェヒター」が国民投票で禁止されている。こうした決定の影響を受けるのは、宗教的マイノリティであるイスラム教徒とユダヤ教徒だけだ。
「国民の意志」に不満を募らせていたのは他宗教の信者も同じだ。例えばプロテスタントの州に暮らすカトリック教徒(またはその逆)は長い戦いの末、国民投票でようやく個人の信仰を公式認定させることができた。また、スイスでは19世紀からイエズス会が禁止されていたが、1973年の国民投票でようやく禁止が解かれることになった。
直接民主制における宗教的マイノリティを考察した著書
著書「Vom Schächt- zum Minarettverbot(仮訳・シェヒター禁止からミナレット新設禁止まで)」は、直接民主制では宗教的マイノリティは特別に保護されているのか、それともかえって差別が助長されているのかという問題について考察している。答えを探るため、宗教的グループに関する案件の是非が問われた州レベルの住民投票および国民投票が体系的に調査された。
はたして直接民主制は多数派の専制を促すのだろうか?スイス政治を研究するアドリアン・ファッター教授外部リンクはこの問いを追究し、1冊の共著外部リンクを出版した(囲み欄参照)。同氏は「宗教的マイノリティは直接民主制の下では容易ではない」と明確な意見を持つ。マイノリティには言語的マイノリティや障がい者もいるが、彼らは国民投票で自分たちに有利な結果が得られやすいため、宗教的マイノリティの立場の方がより厳しいという。研究によれば、宗教的マイノリティよりもさらに厳しい立場に置かれているのは移民だ。「スイスに暮らすイスラム教徒の9割は外国人のため、彼らの立場はさらに厳しくなる」(同氏)
どの宗教も同じというわけではない
ファッター氏の研究グループは、スイス連邦議会の採決と国民投票結果を比較する研究プロジェクト外部リンクを行った。その結果、国民投票の方が宗教的マイノリティに不利な結果が出るということが分かったが、「それがすべての宗教に当てはまるというわけではない」とファッター氏は言う。
同氏によれば、宗教的マイノリティが社会に統合し文化的価値観も似ていると判断されるか、または異質のグループと認識されるかによって大きな差が出る。「例えばユダヤ教のマイノリティは19世紀に異質のグループと認識されたために、自分たちの関心事を国民投票に持ち込むことが難しかった」
しかし、現在は違い、ユダヤ教のマイノリティはスイス社会の一部として強く認識されるようになったという。「一方、イスラム教のマイノリティは、キリスト教的価値とは相容れない、社会的に異質なグループとして多数派から認識されている」(ファッター氏)。そのため、国民投票ではイスラム教徒にとって有利な結果が出にくいという。
さらに、世界の出来事や動向が彼らの境遇を悪化させることもある。ファッター氏によれば、ミナレットの新設禁止が決定したのは当時の世界情勢だけが原因ではない。「あの国民投票結果はイスラム教徒一人ひとりへの反感を表したものではなく、政治運動としてのイスラム教に対する反感を表したものだった」。客観的にみてイスラム教に当てはまることだが、ある宗教が信者数を増やし勢力を拡大すると、国民投票結果に影響が出る。一方、古カトリック教徒や自由教会の信者などの小規模な宗教集団は社会的にさほど脅威とは見なされない。
議員の方が有権者より寛容?
ブルカ着用禁止を例にみると気づくことは、フランスやベルギーでもブルカやブルキニ(イスラム教徒の女性向けの全身を覆う水着)が禁止されているということだ。代表民主制を採用する国々においても宗教的マイノリティは差別されやすいように見えるが、ファッター氏はその考えを一蹴する。「統計的に比較しなくては判断できない。しかし、これに関する研究はまだない」
ファッター氏は自身の説を変えない理由を次のように説明する。「代表民主制では議員や政府といった政治的エリートが決断する。彼らは国民そのものというわけではなく、一般的に、高度な教育を受けた人たちだ」。そのため、宗教的マイノリティの権利を強化することに関し、議会の採決では国民投票よりも寛容な結果になりやすい。だが、代表民主制でも国民の考えは政治的決断に反映されるという。「どちらも民主制度であり、国民の意向を反映している」
価値の衝突
スイスでは、宗教の自由が他の価値感や権利と衝突する場合に対立が起こることが多い。以下に例を挙げる。
割礼: スイスでは少女の割礼は禁止されている一方、少年の割礼は認められており、議論が続いている。スイスの子どもの権利を擁護する団体は、割礼は身体の整合性を傷つけ人権を侵害するとして、医学的根拠のない少年に対する割礼の禁止を強く訴えている。
シェヒター: 1891年にシェヒターが国民投票で禁止されることが決まった背景には、反ユダヤ主義的な感情があったと考えられるが、現在では動物愛護の理由から禁止が続いている。スイスでは麻酔がかけられる場合にのみ動物を失血死させることが認められているが、多くのユダヤ教徒やイスラム教徒は宗教的理由からこれを拒否している。そのため輸入肉に頼っている信者が多いが、その是非が議論されている。
性教育: キリスト教分派の一部は進化論を否定し、子どもたちが性教育を受けることを望んでいない。しかし、スイス人の大半は、子どもたちを性暴力から守り、望まない妊娠をさせないためにも性教育が重要と考える。
こうしたケースでは誰が決定権を握るべきだろうか?国民投票で多数派が決定すべきなのだろうか?それとも、連邦主義のように、少数派には特別な保護措置や特権制度を設けて、少数派の利益が守られるよう取り計らうべきなのだろうか?
ファッター氏は、多数派か少数派のどちらかが決定したらよいというわけではないと考える。国民にとっても、議会にとっても、「子どもや動物の保護」と「宗教の自由」のどちらが重要かを判断することは困難だからだ。そこで、同氏は全く違う解決策を次のように提示する。「理想的には、有能な裁判所が憲法に謳われる基本法に基づいて、保護されるべき権利を判断するのが望ましい」
民主主義的観点からみると、この提案には議論の余地が大いにある。なぜなら法廷で判決を下すのは、ほんの数人の個人だからだ。多数派の専制の代わりに、裁判官が「支配者」となるべきなのだろうか?この提案がスイスで受け入れられる可能性は高くないだろう。
宗教が他の価値感と衝突する際、誰が決定権を持つべきでしょうか?ご意見をお寄せください。
(独語からの翻訳・鹿島田芙美)
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