畏怖と恐怖心を駆り立てる名峰アイガー
恐れられていたアイガー北壁を、ドイツ人とオーストリア人登山家4人が初登頂してから75年。スイスインフォはこの「死の崖」を訪れ、なぜこの山が今もなお多くの登山家や観光客を魅了してやまないのか、理由を探った。
最新記事:アイガー北壁の登攀がなぜ困難なのかを探った「魅力溢れる『死の壁』、アイガー北壁」やスイス人登山家ロジャー・シェリさんがアイガー北壁を登攀するようすを撮影したビデオ「危険に満ちたアイガー北壁を43回登攀した男」も併せてご覧ください。
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魅力溢れる「死の壁」、アイガー北壁
ジャーナリストの一団に加わり、アイガー北壁のふもとを軽くハイキングしてみた。垂直にそびえたつこの北壁は、高さが1800メートルもある。どうすれば登頂できるのか、なかなか想像がつかない。ましてや、数時間内で登頂してしまう人がいるというから驚きだ。
こんな短距離のハイキングでも、全く危険がないわけではない。落石はしょっちゅうで、コースには足元に石灰岩がごろごろ横たわっている箇所もいくつかある。風景に見とれていたり、会話に集中していたりして注意力が欠けている時は危ない。筆者はある地点で、手で体を支えながら、解けた雪で滑りやすい起伏を進まねばならず、数分間は指先がかじかんだ。
ハイキング時には濃い霧がアイガーの姿を隠していたが、かえってそれが、世界中から人を引き付けるこの山にミステリアスな雰囲気を加えていた。
こうした天候はよくあることなのかと、シュテファン・ジークリストさんに尋ねてみた。スイス人登山家で、登山ガイドをしており、これまでアイガー北壁を29回登頂した人だ。
「夏にはよくあることだ。雲が上昇して凝縮することで起こる。なので、夏の降雪もある。標高の低いところで良い天気を満喫している人には信じ難いかもしれないが」とジークリストさんは答える。
過去を思い出す
ジークリストさんと友人のミシャル・ピテルカさんは2002年、1938年に行われた登山を当時の服装と装備で再現した。ジークリストさんは「靴がひどく重くて、痛かった」とその時の様子を振り返り、旧式のロープを運ぶのも重かったと付け加える。
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アイガー北壁で初めて救助に成功した日
しかし、まさにこうした服装と装備で、ドイツ人のアンデール・ヘックマイヤーとルートヴィヒ・フェルク、オーストリア人のハインリヒ・ハラーとフリッツ・カスパレクは、75年前にアイガー北壁の初登頂を成し遂げた。初登頂にはほぼ4日かかり、雪崩や落石などぞっとする危険な場面もあった。初登頂以前は9人が挑戦中に命を落としている。
初登頂後から現在までは、55人が死亡。アイガーは「オーガ(人食い鬼)」が名前の由来との説もある。山頂は標高3970メートルだ。
アイガー北壁で亡くなった人の一人に、米国人ジョン・ハーリン2世がいる。初の直登ルートに挑んでいたが、1966年3月、高さ1300メートルのところでロープが切れるという不運に見舞われた。事故後、スコットランド出身のパートナーと4人のドイツ人らは3月25日、頂上にようやく到着。出発から1カ月後のことだった。この直登ルートにはハーリンの名がつけられた。
当時9歳だった彼の息子、ジョン・ハーリン3世さんは、父を失った悲しみが頭から離れることはなかった。しかし、父の死に触発された彼は、2005年、アイガー北壁を登頂。彼の物語は、IMAX映画「The Alps~挑戦の山~」で見ることができる。近年では、スイスインフォで「国境物語」というマルチメディアブログを公開していた。
「本物の登山家にとってのエベレスト」
「アイガーは世界中の登山家を魅了してきたし、これからも魅了し続けるだろう。アルプスでは最大の崖(世界最大の崖の一つ)で、登頂は困難だ。しかし、アイガーの世評は、少なくともその面積と難易度同様に重要なものだ」とハーリン3世さんは話す。
1936年のトニ・クルツの悲劇や1957年のクラウディオ・コルティの遭難事故など、アイガーでは様々な物語が生みだされてきた。その世評の高さと歴史の重みから、どの登山家もアイガーの歴史に名を刻みたいと思うのだと、ハーリン3世さんは考える。
「誰もが経験してみたいと思うような、憧れの崖や山はほんの少ししかない。アイガー登頂を夢見るだけの人が多いが、もし技術と勇気があれば、挑戦したくなるものだ。アイガーは、本物の登山家にとってのエベレストだ」
前出のジークリストさんもアイガーを高く評価する。「壮大な冒険登山ができる山で、何度登っても素晴らしい。雄大な眺めもアイガーの魅力だ。冷たく灰色な岩肌と辺り一帯の緑のコントラストが美しい」
独墺チームによるアイガー北壁初登頂は、ナチス幹部らにプロパガンダ目的で利用されたこともあった。
オーストリア人登山家ハインリヒ・ハラーは1938年、ドイツがオーストリアを占領した際、ナチスに加入。さらにナチス親衛隊(SS)のメンバーでもあったが、戦争犯罪に問われることはなかった。
ハラーは、当時イギリス領だったインドの拘留所から逃亡し、1944年にはチベットまで渡った。そこで若きダライ・ラマとともに数年を過ごしている。
日本人観光客に大人気
グリンデルワルト山岳ガイド協会のフレディ・アベッグレン会長によると、村のシャレー(山小屋風の別荘)すべてがアイガー北壁を眺められるように建てられているという。「グリンデルワルトでは、朝、鏡をのぞくみたいに、アイガー北壁がしょっちゅう見られる」
登山ガイドでグリンデルワルト登山スポーツ学校のヨハン・カウフマン校長は言う。「アイガーは我々にとって、特別なセールスポイント。これまで多くの山を見てきたが、こんなに魅力的な山はほとんどない」
登山をしない人もアイガーに魅せられることは、グリンデルワルト日本語観光案内所が設立から約30年も続いているということが証明している。「観光客は登山が目的ではなく、槇有恒(まきゆうこう)などの日本人登山家が登った場所を見ようとやってきます」と、同案内所の市川ゆりさんは説明する。槇は1921年9月10日、3人のメンバーとともに、アイガー東山稜を初登頂した。
アイガーを訪れる理由には、大衆文化も影響する。「日本人が持つスイスのイメージは、まさにグリンデルワルトなのです」と市川さんは言う。アニメ「ハイジ」の日本人製作者は、アイガー、メンヒ、ユングフラウなどの名所や絵はがきのように美しいラウターブルンネン谷を元に、作中の風景を描いたという。
筆者はハイジのように、重い荷物を背負うことも、転落死の恐れを気にすることもなく、山のふもとで緩やかなハイキングを満喫するだけで十分だ。そう、安全な場所でアイガー北壁を憧れのまなざしで眺める方がいい。
1938年7月24日、ドイツ人2人(アンデール・ヘックマイヤーとルートヴィヒ・フェルク)とオーストリア人2人(ハインリヒ・ハラーとフリッツ・カスパレク)が3日半かけて初登頂。
1961年3月12日、ドイツ人4人組が冬に初登頂。
1963年8月3日、スイス人ミシェル・ダーベレが18時間で単独登頂を達成。
1964年9月3日、ドイツ人デイジー・ヴォークが女性初の登頂達成。
1981年8月25日、スイス人ウエリ・ビューラーが8時間で登頂。
1984年7月27日、オーストリア人トマス・ブーベンドルファーがロープ不使用で4時間50分で登頂。
1992年3月9日、フランス人カトリーヌ・デスティヴェルが女性初の単独登頂を17時間で達成。
2008年2月12日、スイス人ウエリ・シュテックが2時間47分の新記録達成。
2011年4月20日、スイス人ダニエル・アーノルドが2時間28分で最短記録更新。
(英語からの翻訳&編集・鹿島田芙美)
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