香港民主化デモ取材が思わぬ冤罪に スイス人写真家を襲った4年間の法廷闘争
長年香港に住むスイス人写真家マーク・プロジャン氏(78)は2019年の民主化デモを取材した後、公共の秩序を乱した罪で起訴された。2度無罪判決が出たが、裁判費用の返還については最高裁で却下された。報道の自由を支持する団体は「ジャーナリズムの粛清だ」と批判する。
フリーランス写真家で、香港在住歴46年のプロジャン氏は、「公共秩序騒乱共謀・ほう助」の罪に問われ、香港で2度裁判にかけられた。いずれも無罪判決が出たが、その後の上訴審で、最高裁が裁判費用の返還を認める内容を却下した。
報道の自由を訴える国際NGO「国境なき記者団(RSF)」は、「カフカエスクな状況(不条理な状況の意味)だ」と訴え、当局に対応を要請した(下記のメモ参照)。だがプロジャン氏は、4年間にわたる法廷闘争に終止符を打つため、かかった裁判費用50万香港ドル(約900万円)の支払いを甘んじて受け入れるという。
「不運が重なった」
全ては2019年10月4日に始まった。香港では、中国政府の締め付け強化を許す改革法案に反対し、複数の大規模なデモが行われた。あらゆるデモを取材してきたプロジャン氏もいつものように現場でシャッターを切った。しかし、事態は思わぬ方向へ向かう。
☟マーク・プロジャン氏が写した香港のデモ
ある中国人銀行員と群衆との間で口論が起こり、銀行員が何者かに暴行を受けた。事件の直前、プロジャン氏は写真を撮ろうとして、銀行員が入ろうとしていた建物入り口のガラス戸を閉めた。その様子を世界中のテレビカメラが捉えていた。
「完璧な写真を撮りたくて、ちょうどいい時に、ちょうどいい場所にいただけだったのに」とプロジャン氏は振り返る。「運が悪かった」
☟通信社ブルームバーグがネット上に公開した事件当時の動画
翌日、この銀行員への暴行事件はニュースの見出しを飾った。インターネット上に出回った事件の写真は、中国にいる数千万人の目に触れた。間もなく、プロジャン氏は親中派から目の敵にされ、暴行の共謀者だとネット上で嫌がらせを受けるようになった。
プロジャン氏が事態の深刻さに気づいたのは2019年のクリスマス直前、警察が自宅にやってきた時だった。プロジャン氏は逮捕され、その後保釈された。だが2020年4月、「公共秩序騒乱共謀・ほう助」の罪で起訴される。有罪なら最高で禁錮1年。銀行員に暴行を加えた真犯人は今も見つかっていない。
2020年秋の第一審は「報道の自由というカードを切り、それが功を奏した」(プロジャン氏)。結局、証拠不十分で無罪となった。だが検察は控訴した。
2022年4月下旬、プロジャン氏は第二審で再び無罪判決となった。判決では、香港の司法省に同氏の裁判費用を負担するよう命じた。これで一件落着と思いきや、そうはならなかった。検察側は再び上訴。今度は裁判費用の払い戻しに異議を申し立てた。
「裁判官は私を刑務所に入れたがっていた」
同年8月、香港行政長官が任命した最高裁判事は「証拠分析が不十分」であり、「(プロジャン氏の)行動は有罪に値する」とし、同氏への裁判費用返還命令を取り消した。
中国当局は、民主化運動を支援する「外国分子」の介入を嫌う。プロジャン氏は「判決文を読んで、裁判官は私を刑務所に入れたがっているのだと思った」と言う。「裁判官は、検察側が無罪判決に不服を申し立てる可能性もあるとも示唆した」
2回続けての無罪判決に喜び、判決は公正だったと宣言したプロジャン氏だったが、香港の司法制度はもはや信用できなくなったと言う。プロジャン氏は28日以内に香港終審法院に不服を申し立てることもできたが、そうしなかった。裁判ともなればさらに1年の歳月を要し、費用は100万香港ドルかかる。自身に有利な判決が出る保証はない。
「道義的には私が勝った。それだけで十分だ」とプロジャン氏は話す。
国際フランス語圏記者組合スイス支部は、プレス・エンブレム・キャンペーン(PEC)およびスイスの国境なき記者団とともに、イグナツィオ・カシス外相とアレクサンドル・ファゼル外務事務次官に書簡を送った。マーク・プロジャン氏を代表して政府が介入し、訴訟費用返還を認める当初の判決を支持するよう求める内容だ。また、駐ベルンの中国大使にも抗議文を送った。
スイス連邦外務省はswissinfo.chの取材に対し、裁判所の判決についてはコメントせず、「香港のスイス外交官を通じて(プロジャン氏と)連絡を取り、領事支援を行っている」ことのみ認めた。
中国大使館にも回答を求めたが、コメントを拒否した。
「外国人ジャーナリストの意欲削ぐ」
香港では2020年、中国政府による香港国家安全法が施行された。自身の体験は、同法施行以来、香港に漂う「恐怖の風潮」の一幕だとプロジャン氏は言う。人権団体は反体制活動を禁ずるこの法律を非民主的だと糾弾する。数千人がデモに参加し起訴され、数年の懲役刑を言い渡された。
「公衆にニュースを届けることが非常に難しくなっている」とプロジャン氏は言う。「批判は届かず、一種の自己検閲が働く。誰もが聞き耳を立て、全ては録画され、下手したら告発される。誰も口を開こうとしない」
プロジャン氏の事件を受け、国境なき記者団は8月、習近平・中国国家主席による「ジャーナリズム粛清」を批判する声明外部リンクを発表した。過去3年間で、少なくとも28人のジャーナリストや報道の自由を求める運動家が香港政府によって起訴されたと指摘している。複数のメディアが閉鎖に追い込まれた。
国境なき記者団アジア太平洋事務所代表のセドリック・アルヴィアニ氏は、「(プロジャン氏に対する)一連の法的嫌がらせは、明らかに外国人ジャーナリストがデモを取材する意欲を削ぐことを狙っている」と語る。
状況が「非常に厳しく」なり、それでも留まることを選んだ香港人は「目立たないように働き続ける」しかない。それでも多くの香港人が亡命を選び、香港は人の大量流出の憂き目に遭っている、とプロジャン氏は言う。時計産業から写真家に転身した同氏は、人生の半分を過ごした香港に家族とともに留まりたいと考えている。
「私は香港ではもう古顔だからね」と冗談混じりに言う。「もちろん、スイス人であることに変わりはないが、ここの地元の人々は好きだ。みんなとても勇敢なんだ」
英語からの翻訳:宇田薫
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