ブレイキンの舞台裏に渦巻く打算
世界ダンススポーツ連盟(WDSF、本部・スイス西部ローザンヌ)は、社交ダンスやラテンダンスを五輪競技に格上げするためにブレイキンを「悪用」したとして、業界関係者から強い批判を浴びている。ドイツ語圏のスイス公共放送(SRF)調査報道は、連盟内の権力争いや不透明な資金の流れ、怪しい取引の存在までも浮かび上がらせた。
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空中で回転するブレイカー、開会式を彩るラッパーのスヌープ・ドッグ、観客で沸き立つスタジアム――2024年パリ五輪の新競技となったブレイキンは華々しいデビューを飾った。世界トップクラスのブレイカーが競い合ったが、注目されたのはパフォーマンスそのものではなかった。オーストラリア代表のレイチェル・ガン選手(ダンサー名:Raygun)の型破りなパフォーマンスが五輪の話題をかっさらった。
Raygunのダンスは人々の記憶に強く刻まれた。
その舞台裏では、別の嵐が吹き荒れていた。ブレイキンを統括するのは、ブレイキンに全くかかわりのない世界ダンススポーツ連盟(WDSF)。伝統的にスタンダード(社交ダンス)とラテンダンスに重点を置いてきた団体だ。パリ五輪の公式競技にブレイキンを加えた立役者とされる。
ブレイカーの失望
ブレイキン界のレジェンド、ニールス・ロビツキー(ダンサー名:Storm)は、かつて五輪競技への追加に向けてWDSFに協力を求められたことがあった。
Stormは現在、WDSF批判の急先鋒に立つ。WDSFがブレイキンを受け入れたことはなく、批判者を黙らせ、自由を奪ったという。SRFの調査でも、WDSF が伝統的ダンスを五輪競技に追加するためにブレイキンを手駒として利用しようとした形跡が明らかになった。その目論見は最終的に失敗に終わっている。
「ブレイクダンス」?「ブレイキン」?
正式名称は「ブレイキン」で、「ブレイクダンス」はメディアで使われ始めて世間にも定着した。ダンサーは自らを「ブレイカー」、男性なら「B-Boys」、女性なら「B-Girl」と呼ぶ。
幹部会の目論見
WDSFの鄭志華(ショーン・テイ)会長の言動は、こうした批判が的を射ていることを裏付ける。シンガポール出身の同氏はWDSFの事務局長と副会長を歴任した後、2018年に会長に就任。24年パリ五輪の準備が既に本格化してから、五輪競技にブレイキンを追加する方針を示した。
SRF調査報道班が入手した幹部会(執行委員会)宛てのメールで、鄭氏はこうしたためた。「ブレイキンは五輪への切符になるかもしれない。(略)我々は、スタンダードやラテンが受け入れられるチャンスとしてブレイキンを活用する必要がある」
鄭氏はメールで、ブレイキンにあまりお金をかけてはならないこと、「他人の手から守る」必要があることを強調した。WDSFがブレイキンに関する発言権を独占し、統制しようとする意思をうかがわせる。WDSFはSRFの取材に対し、当時すでにブレイキンにかなりの金額を投資していたため、スタンダードとラテンダンスが困窮することへの懸念が広がっていたとコメントした。
業界ではWDSFがブレイカーの代表として十分に機能していないとの不満が渦巻く。「連盟が全てではないことは関係者の誰もが知っている」。ドイツのトップブレイカーJilou(33)はこう話す。ブレイカーの人脈や文化を重んじるJilouは、バトル(競技)ではブレイキンの核となる価値観「平和、愛、団結」を感じると熱弁した。
ブレイキンは1970年代、ニューヨークの路地で産声を上げた。ギャングや暴力が横行していた地域で、若いアフリカ系米国人たちが平和な手段で競い合おうと踊り始めた。
数年後、「ブレイクダンス」としてメディアに注目されるようになり、この呼称が定着した。飲料大手レッドブルなどは、ブレイクダンスのクールなイメージを活用しようと、イベントやマーケティングに大枚をはたいた。
ただ純粋なブレイキンは今も表舞台には登場しない。社交ダンスのような連盟が主催するものとは対照的に、ブレイカーのコミュニティが主体となって開催されている。
オリンピックの夢
WDSFのメンバーは通常、ブレイキンバトルが行われるようなすし詰めのアリーナではなく、豪華な鏡張りの舞踏室に集まる。テイルコートとまばゆいばかりのガウンをまとってフロアを滑るように動き回り、ブレイカーとは異なる価値観と伝統を体現する。なぜそんなWDSFがブレイキンに関する発言権を握るようになったのか?
すべては「五輪で踊る」という夢から始まった。ブレイキンのアリーナではなく、鏡張りの舞踏室で生まれた夢だ。WDSFは長い間、スタンダードとラテンダンスを五輪競技に加えようとしてきたが、実現しなかった。
夢を叶えるために、WDSFは国際オリンピック委員会(IOC)へのコネが深いスポーツマネージャーAを雇った。Aは、カップルダンスが五輪競技に加わる見込みはないと断言した。勝機があるとすれば若者の共感を呼ぶダンス、ブレイキンのようなクールなイメージのものでなければならない、と助言した。
マネージャーAは計画をひねった。WDSFはダンススポーツで唯一のIOC公認団体だ。公認団体なしには、ブレイキンも他のダンスも五輪種目にはなれない。IOCの要件を満たすため、WDSFはStormを筆頭とするブレイカーの取り込みを図った。
Stormは「WDSFは接近してきたが、ブレイカーに関する知識は皆無だった。ブレイカーを迎え入れたのはIOCの要件を満たすためだということは明らかだった」と振り返る。ただ初期段階では、信頼に値する計画だったという。
摩擦
ブレイキンと社交ダンスの文化は相容れず、反目を生んだ。2017年には、ブレイキン・WDSFとの協力関係を打ち切るよう求める嘆願書と署名2000筆がIOCに出された。嘆願書は、ブレイキンが「WDSFの時代遅れの役員とはまったく相容れない」と訴えた。WDSFが社交ダンスを五輪競技に押し上げるための足掛かりとしてブレイキンを利用していることは、既に非難の的になっていた。
会議の議事録からは、不満を抱いていたのはブレイカーだけではなかった実態が浮かび上がる。社交ダンスの選手の多くは、WDSFとこれまで何の関係もなかった競技に連盟資金を使うことに反対した。新型コロナウイルス感染症のパンデミックに伴う財政負担とブレイキンにかかる費用が重なり、連盟財政を圧迫した。2020年までに、WDSFの手元資金は最低水準に減少した。
スポンサーの失態
マネージャーAとWDSF幹部は、数カ月の交渉の末に飲料会社レッドブルとのイベント協力契約を結んだ。だが2020年末、WDSFは契約破棄を決断する。理由の1つは、レッドブルがWDSFへの直接払いを望まず、WDSF執行部がこれに拒否反応を示したためだ。
執行部は、新たな提携先を探すチャンスになると踏んでいたが、その後スポンサー契約を取り付けることはできなかった。
レッドブルとの破談は、WDSFに激しい論争と批判を引き起こした。その後間もなく、取引を仲介したマネージャーAがWDSFと袂を分かった。ブレイカーとWDSFとの縁も繋いだ重要人物の離反は、連盟に大きな打撃を与えた。
「そこから物事が難しくなり始めた」、とStormは回想する。WDSFへの助言役としてベテランブレイカーを統率していたStormは経験上、連盟はイベント開催においてレッドブルとの提携から大きな利を得られたはずだとみる。
WDSFの見方は異なる。営利企業であるレッドブルはブレイキンの五輪競技入りに過度の影響力と支配力を求めている――そう考えたWDSFは独立性を保つために、IOCと直接協力関係を結ぼうとした。
幹部会の力
WDSF主催のイベントが仏モンペリエで開かれた2022年、事態は悪化した。イベントを監督したStormは、「会場に到着すると、40℃の灼熱にもかかわらず、屋根のないステージの1つに黒いダンスフロアが置かれていた。地獄だった。誰も大怪我をしなかったのは奇跡だ」と話す。
Stormらはイベント後、WDSF宛てに批判と要求事項をまとめた手紙を書いた。主な要求の 1 つは、ブレイカーを幹部会に入れることだった。WDSFは同意したが、誰を参加させるかは連盟が決定するという条件付きだった。
幹部会は、手紙に署名しなかった台湾人ブレイカー、陳柏均(ダンサー名:Bojin)を選出した。無投票で任命され、他の幹部会メンバーが望むならいつでも差し替えられるという条件だった。
陳はSRFの取材に対し、一部のブレイカーは陳が手紙に署名しなかったことに理解を示したと話した。ただ幹部会への任命についてはコメントしなかった。
ブレイカーには発言権なし
WDSFと協力してブレイキンを五輪競技に追加することに賛成していた他のブレイカーたちもいつのまにか除名されるか、自らWDSFとの縁を切った。StormをはじめWDSFに協力していた複数のブレイカーは、当時の状況についてこう語る。
WDSFは批判者の排除はしていないと説明。現在不満を訴えている一部の人には何度も協力を申し出ているが、民主的組織である幹部会への参加を断られたと主張する。
五輪マネー
ブレイキンが初めて公式競技となったパリ五輪に向けて、WDSFはIOCから多額の資金提供を受けた。2021年からは支援額が毎年増え、総予算は390万フラン(約6.7兆円)に達した。主にブレイキンを競技として発展させるために支出された。
パリ五輪前に公表された年次報告書によると、この時期にWDSFの現金準備金は過去最高の200万フランに積み上がっていた。だがSRFが取材したブレイカーの多くは、同じ時期にブレイキンは大幅な支出削減を迫られたと証言する。WDSFはIOCから受け取った資金を貯め込んだだけだったのか、という疑問が湧く。
WDSFは、あらゆるダンススポーツを支援しており、財務戦略はIOCの指針に則っていると強調する。IOCの資金は目先の事業だけでなく、パリ五輪後の将来プロジェクトにも適切に配分されているとした。
縁故主義と透明性の欠如
WDSFは、ブレイキンに関する予算は1フラン刻みで管理しているが、ローザンヌにいる事務局長の報酬など他の名目には大雑把なようだ。社交ダンス出身の現事務局長の年俸は、2021年末の9万1000フランから23年半ばには17万5000フランへとほぼ倍増した。WDSFは、スペインから物価の高いスイスに移転したために必要な増額だったと説明する。
選手の安全を守る「セーフガーディングオフィサー」の任命も印象的だ。暴力や性暴力を受けた選手が頼るべき責任者で、IOCが設置を義務付けている。WDSF内では数少ない有給職だ。
幹部会はセーフガーディングオフィサーを公募せず、直に会長の娘を就任させた。任命の経緯に関する記録はない。Stormと同様にWDSF顧問を務めていた英国のブレイキン専門家DJ Renegadeは、「縁故主義にまみれたひどいガバナンス(統治)だった」と率直に批判する。
財務担当副会長から成るWDSFの最高機関・運営委員会は、議事録の記録をやめた。それも五輪準備がまさに本格化した2021年から公表しなくなった。
WDSFは、現経営陣のもとで透明性向上に向け実質的な措置を講じていると反論する。会長の娘は心理学の修士号を持つ元トップアスリート兼コーチであり、セーフガーディングオフィサーに適任だったとも説明した。会長は採用プロセスに関与しておらず、決定前にIOCに通知したという。
擁護するIOC
ブレイキン界にとってオリンピックへの道のりは散々なものだった。2028年ロサンゼルス五輪は競技から外される。しかしIOCはWDSFを支持する。
IOCスポーツディレクターのキット・マコーネルは2023年の記者会見で「WDSFはブレイキンの発展に大きく貢献してきた。ブレイキン界に働きかけ、パリ五輪への道に巻き込んできた」と語った。その時点で、ブレイキンがロス五輪に登場しないことは決まっていた。
パリ大会後、IOCのトーマス・バッハ会長は「オリンピック精神を世界中に広める上で、信頼できるパートナーであるWDSFに感謝したい」と付け加えた。SRFの調査結果に対しても、IOCはWDSFが素晴らしい仕事をしたと繰り返した。
苦しむのはアスリートたち
ブレイキンの審査員を務めるDJ Renegadeは、IOCがWDSFの肩を持つのは当然だとみる。ブレイキンが競技から外れたことの一部はIOCも責任があると指摘する。WDSFはこれを否定し、組織構造には透明性があると主張する。
だがWDSF問題の矢面に立たされているのはブレイカーたちだ。WDSFのコミュニケーションは不明瞭で、イベントでの評価ポイントも間違っていることがあると批判する。SRF調査班は、パリ五輪までの2年間で競技規定が6回も変わっていたことを突き止めた。WDSFがルール変更を知らせなかったか、通知が遅すぎたと、とブレイカーたちは不満を隠さない。
そのために予選に進むべき選手が通過できなかったこともあるという。ブレイカーたちが送った苦情の手紙に対し、WDSFからは未だ回答がない。
WDSFは、五輪への初参加という課題への対処として、競技ルールを何度か変えなければならなかったと説明する。変更に当たってはブレイキン界と協議したという。
☟WDSFの回答
独自の連盟設立
ブレイキンは今後どうなるのか?Jilouは「WDSFがブレイキンを独占することを許してはならない」と断言する。ブレイキンがロス五輪の公式競技から外れたという事実は、WDSFに異議を唱える好機になるとみる。「WDSFがブレイカーにすべての決定権を与えないならば、ブレイカーは独自の連盟を作らざるを得ない」
(敬称略)
※本記事はSRFの調査報道番組「SRF Investigativ外部リンク」をもとに再構成しました。
SRF Investigativ取材班:Janik Leuenberger&Fabian Kohler(取材)、Philippe Odermatt(プロデューサー)、Nina Blaser(プロジェクトリーダー)
Storytelling-Desk:Dominique Marcel Iten(編集)、Fabian Schwander(フロントエンド)、Marina Kunz(デザイン)
SRF Investigativの動画全体はこちら☟。日本のパリ五輪代表・大能寛飛選手(ダンサー名:Hiro10)もインタビューに答えています。
英語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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