アイガーの最速登頂記録を樹立したウエリ・シュテックのもとには、講演や取材の依頼が舞い込むようになった。プロとして有名になり、得たものもあれば、失うものもあった。
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シュテックの会社運営をサポートしながら、弟の活躍を身近で見守ってきた兄のブルーノ・シュテックは、自身もアイスホッケーのプロリーグで15年間プレーした経験を持つ。
ウエリはなぜ、プロとしてあれほど大成したのか。フィールドは違えど同じ道を歩んだ兄がその理由を語る。
ブルーノ・シュテックが現在コーチを務めるアイスホッケーチームの応援席に、両親が姿を現した。ウエリの2人の兄もホッケー、模型飛行機と異なる分野で「頂点」を経験している。父親はそんな3人の息子の活躍ぶりを「結局は考え一つ」と話す。
(敬称略)
「ウエリ・シュテック~生死の稜線上で~」
2020年5月21日にドイツ語圏のスイス公共放送で放送されたスイス人登山家ウエリ・シュテックのドキュメンタリー番組(約1時間35分)。
2017年春にエベレストで滑落し、40歳の若さで亡くなったシュテック。人間離れした登山スピードと卓越した登攀技術から「スイスマシーン」と呼ばれ、数々の新記録を打ち立てた。番組ではそんなシュテックの半生を本人や家族、友人のインタビューと共に振り返る。
スイスインフォでは同番組を5分ずつに分け、日本語字幕付きで水・土曜日の週2回配信する。
※日本語字幕付きで視聴される方は、画面の字幕設定をオンにしてご覧ください。
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(本文&独語からの翻訳・大野瑠衣子)
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