第2の祖国とも言えるネパールで、ウエリ・シュテックがシェルパと培った信頼関係は、2013年のある事件をきっかけに大きく揺らいだ。
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2013年、シュテックはイタリア人登山家と共に、エベレスト上でシェルパといさかいを起こした。トラブルは尾を引き、下山した第2キャンプのテントでは80人のシェルパに取り囲まれた。大きな石を投げつけられたあげく、「殺す」と脅された。シュテックは当時の恐怖を振り返る。
この事件はシュテックの心に大きな引っかかりを残した。このトラウマを克服するために、多くの時間を費やした。外界との関わりを拒み、トレーニングだけに勤しんだ。
シュテックの死後、登山家のダービット・ゲットラーは1人でエベレストの無酸素登頂に挑戦した。シュテックと多くの時間を過ごしたゲットラーは、今でも自身の心に残り続けるシュテックの言葉を明かした――。
「ウエリ・シュテック~生死の稜線上で~」
2020年5月21日にドイツ語圏のスイス公共放送で放送されたスイス人登山家ウエリ・シュテックのドキュメンタリー番組(約1時間35分)。
2017年春にエベレストで滑落し、40歳の若さで亡くなったシュテック。人間離れした登山スピードと卓越した登攀技術から「スイスマシーン」と呼ばれ、数々の新記録を打ち立てた。番組ではそんなシュテックの半生を本人や家族、友人のインタビューと共に振り返る。
スイスインフォでは同番組を5分ずつに分け、日本語字幕付きで水・土曜日の週2回配信する。
※日本語字幕付きで視聴される方は、画面の字幕設定をオンにしてご覧ください。
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(本文&独語からの翻訳・大野瑠衣子)
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