スイスの視点を10言語で

「ゴムがないなら…」 政府がきわどい広告を作る国、スイス

直接的かつ効果的なスイスのHIV予防キャンペーンは、広告のお手本のような存在として知られている。30年におよぶ予防キャンペーンの歴史をまとめた「Positiv - Aids in der Schweiz(ポジティブ ―スイスのエイズ)」では、HIV感染など性病の予防・根絶を目指した啓発活動の歩みに焦点を当てている。

スイス人は恥ずかしがりやで控えめなところがある。だが1980年代のエイズ流行を受け、連邦政府が本格的なHIV感染予防・根絶に乗り出した時には、そのような特徴は全て影を潜めた。思い切りの良い表現と言葉、エロティックな写真や映像でHIVと感染の危険性を訴えた。

この啓発活動は功を奏し、連邦政府が行った麻薬プログラムと同じく、スイスはHIV予防キャンペーンにおいてもパイオニア的存在となった。新しい感染者の数は減少し、キャンペーンで掲げた安全なセックスのための三つのルール、そしてスローガンの「ストップ・エイズ」は瞬く間に世界中に広がった。

この30年に及ぶHIV予防キャンペーンの歴史を振り返ったのが「Positiv -Aids in der Schweiz(ポジティブ ―スイスのエイズ)」。著者はスイス人作家でジャーナリストのコンスタンティン・サイプト氏だ。

「せめてゴムは着けようぜ」

サイプト氏の著書では啓発活動の歴史が細かくつづられる。この30年間に、連邦内務省保健局(BAG/OFSP)は性交渉についてまとめた冊子を国内全世帯に送り、また公共の場に売春、薬物依存、コンドーム使用に関するポスターを設置。中には「Ohne Dings kein Bums(アレ無しでは、ヤらない)」など、きわどい表現を使ったスローガンも存在した。アルプスのハイジが「ohne ? Ohne mich(無しで?じゃあ私も無しね)」とコンドームの束を掲げるポスターもあった。

また、スイスの有名歌手ポロ・ホーファー(2017年死去)を起用。アップテンポのキャンペーンソングでホーファーは「不倫するならせめてゴムは着けようぜ」と歌った。1987年にリリースされたこの曲はスイス・ドイツ語圏でヒットチャート入り。約1万枚を売り上げた。

外部リンクへ移動

ホーファーのバンドメンバーの1人はHIVに感染し死亡している。ホーファーは自身が亡くなる6週間前、「臨終の床で彼女の手を握ったよ」とサイプト氏に話した。

実用主義のスイス

サイプト氏の著書によれば、政府の啓発活動は難航した。当時、多くの国々がエイズの大流行に対策を講じたが、スイスは最も出遅れた国の一つだった。保守的なカトリックのフラヴィオ・コッティ元外相らをはじめとする、キャンペーンへの根強い反対があったからだという。

そのため最終的には、コッティ氏を説得しなければならなかった。このままでは「死の病気」の感染予防を妨げる人物と見なされてしまう、と。

この啓発活動は、スイスが生んだ実用主義を最もよく表している。そうサイプト氏は評している。

(写真・連邦内務省保健局 独語からの翻訳・大野瑠衣子)

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部