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シモン・アマン、「より現実的な」目標を定める

シュヴィーツ州のアインジーデルン ( Einsiedeln )で訓練中のシモン・アマン Keystone

これまでオリンピックのスキージャンプで合計4個の金メダルを獲得し、スイス人の象徴となったシモン・アマンは、さらに飛翔する意欲を失ってはいない。

スキーシーズンが開幕した11月末に、アマン選手がバンクーバー・オリンピック後の状況と今後の新たな抱負について語った。

 アマン選手は、バンクーバー・オリンピックの個人ラージヒルとノーマルヒル競技で2冠優勝を果たし、オリンピックに出場したスイス人アスリートの中で最も優勝回数の多い選手となった。しかし、彼はそびえ立つスキージャンプ台に上り、理性の限界に向かって飛ぶことをやめてはいない。

 完璧主義者のアマン選手は、非常に分析的な精神を持っている。来年30歳になるが、今季も何一つおろそかにはしていない。「シミー」ことシモン・アマン選手は、過去に困難な時期があったが、受賞経歴の空白部分を埋めるために必要な落ち着きと冷静さを取り戻したと語った。

swissinfo.ch  :  前季は、バンクーバー・オリンピックで金メダル、そしてスロベニアのワールドカップで総合優勝という並はずれた成績を残されましたが、その後の夏に調子を回復するのは大変でしたか?

アマン : 実を言うと、夏を飛び越えて前季のフォームを維持したまま今季に入りたいと何回か思いました。この夏は予想外の問題がいくつかありました。まず7月初旬に背中が痛みだしました。自分で靴を履けなかったほどです。脊骨の腰の方の部分が不安定だったので、それを解決するためにたくさん運動しなければなりませんでした。しかし今では、脚を曲げて85キログラムのバーベルを持ち上げることができますから、この問題は快方に向かっています。

しかしほかには、大口のスポンサーが新たに2社付いたことなど、非常に良い経験もありました。これは単にお金だけの問題ではなく、刺激とモチベーションの向上にもなりました。例えば、世界一のスポーツ写真家と一緒に仕事をして、彼の仕事に対する情熱に感銘を受けました。それから当然ですが、7月に妻のヤナと結婚したこともあります。結婚式をチューリヒ湖の湖畔で行い、素晴らしい1日でした。メディアにはずっと秘密にしていたのですが、最終的にはばれてしまいました ( 笑 ) 。

swissinfo.ch  :  バンクーバー・オリンピックのように、精神的に非常に激しい経験をした後に、現実に戻って新しい目標を立てるのは、あなたにとって容易なことでしたか?

アマン : ファビアン・カンチェラーラが、2008年の北京オリンピックで金メダルを取った後、どのようにして「穴」に落ちてしまったかについて非常にうまく説明しています。これはほとんど避けられないものです。前の冬は何もかもが完璧で順調にいきました。自分に課したほとんど達成不可能な目標も達成できたのです。従って、バンクーバーのイメージを自分の頭の中から消すことは困難でした。あのような精神状態のピークに達した後では、虚脱感は避けられません。自分に何度も問いかけることもしました。心身ともに疲れていたと気づくまで時間がかかったのです。

確かに不安感が続いた時期がありましたが、ありがたいことに、いつも周囲の人々がしっかりサポートしてくれたので、彼らに頼ることができました。また彼らは言葉で伝えなくても気遣ってくれて、私が疲れているときや、気分転換が必要なときを分かってくれていました。

さらにトレーニングの新たな側面、特に認識レベルについての見地を発見しました。現在ジャンプ台の上に立つとうれしく感じます。再び心の平静と落ち着きが戻って来ました。

swissinfo.ch  :  ソルトレイクシティ・オリンピックとバンクーバー・オリンピックの両方で優勝し、現代スイス人の象徴になりましたが、それによってあなたの人生は変わりましたか。

アマン : 日常生活でそういうことはありません。オリンピックメダルの獲得数が一番多い選手と紹介されると、それがすべて本当なのかと信じ難く感じました。さらに、たくさんの人々があのように大きなエネルギーと感動を返してくれたことに驚いています。新たなモチベーションを見つける大きな助けとなりましたが、彼らの期待が高まることも理解しています。

swissinfo.ch  :  そうした期待に確実に応えられるでしょうか。

アマン : 自分にとって大切なのは、より現実的なゴールを設定することです。もちろん、成功を期待していますが、控えめな結果で満足することも覚悟しなければなりません。自分の競技がどのようになるかはっきりとは分かりません。オリンピックのために自分自身に対してたくさんのプレッシャーをかける選手は、自己の解放によって飛距離を伸ばすことができるようになるかもしれません。

さきほど言ったように、この夏は色々なことがありました。そのせいで昨年のような安定性がなく、基準にできるような良いジャンプがありません。身体面、精神面のほかに、用具のレベルの変更も何回かありました。足の固定用具の改良を進めましたし、体重に関する新しい規制に従って短いスキーを着用しなければなりません。

体重を増やすよう努めてきましたが、あまり効果がありませんでした。しかしジャンプがうまくいったとき、短いスキーが完全にサポートしてくれることに気付いたのです。それが分かって良かったと思います。

swissinfo.ch  :  特に重要なのはどの大会ですか。

アマン : 「スキージャンプ週間 ( Four Hills Tournament ) 」を最も重視しています。前季の成功で得た落ち付きを10日間の競技で活かせると思います。そして自分の達成リストの穴を埋めることができたら最高です。今季のほかのフォーカスは、オスロでの世界選手権です。ジャンプ台が新しくても古くても、この大会で競うのは好きです。

ワールドカップでの総合優勝については、現時点では予想は非常に難しいです。すべては最初の競技にかかっています。メディアや世間と少し距離を置けたらと願っています。新たな挑戦者が待っていますし、プレッシャーを感じることなく彼らと競いたいのです。しかし、すべてがうまくいけば、この冬もまた成功できるでしょう。

swissinfo.ch  :  これから先、いつまでスキージャンプを続けていきますか。

アマン : その質問に対する答えは、自分自身分かりません。シーズンの終わりに引退を決定する可能性もあるかもしれませんが、2014年のソチ・オリンピックまで続けるかもしれません。この冬はそこまで考えていません。すべてがうまくいって、背中が痛まなければ来年の春にやめることはないでしょう。

1981年6月25日ザンクト・ガレン州グラブス ( Grabs ) で誕生。

わずか16歳のときに初出場した競技大会は、1998年のスキージャンプ・ワールドカップ。

初出場のオリンピックは、同年に開催された 長野大会。

2002年のソルトレイクシティ・オリンピックでは、個人ラージヒルと個人ノーマルヒルで金メダルを獲得し、センセーションを巻き起こした。

J.K.ローリングの物語の主人公を思わせる丸い眼鏡とオーバーコートを着用していたことから「ハリー・ポッター」のニックネームがつき、突如メディアの注目を浴びた。

その後の4年間は非常に難しい年月となり、2006年のトリノ・オリンピックでは入賞を逃した。しかし、2007年にスキージャンプ・ワールドカップで3位入賞、同年に札幌で行われたノルディックスキー世界選手権で金メダル獲得を果たした。2009年冬のワールドカップでは、合計5回入賞し、総合2位の成績を収めた。また同年にチェコのリベレツ ( Liverec )で行われたノルディックスキー世界選手権では、銅メダルを獲得した。

2010年は、受賞経歴が一層発展した年となった。バンクーバー・オリンピックでは、個人ラージヒルと個人ノーマルヒルで再び2冠を獲得し、オリンピックとスキージャンプ・ワールドカップで最多優勝を果たしたスイス人選手となった。また同年3月に スキー・フライング世界選手権優勝の経歴が加わった。

スキージャンプのシーズンは11月26日からフィンランドのクーサモ ( Kuusamo ) で始まり、スロベニアのプラニカ ( Planica ) で3月20日に終わる。
伝統的に年末年始に開催される「スキージャンプ週間 ( Four Hills Tournament ) 」は、この大会で一度も優勝したことのないシモン・アマンにとって重要な大会の一つとなる。
主要な大会には、来年2月22日から3月6日の間にノルウェーのオスロで開催されるノルディックスキー世界選手権もある。
例年のように、スキージャンプ・ワールドカップは、オブヴァルデン州エンゲルベルク ( Engelberg ) のスキーリゾートで開催される。 ( 12月 17~19日 )
団体競技には、シモン・アマンのほかに、ベテラン選手のアンドレアス・キュッテルや若手のマルコ・グリゴリから成るスイスチームが出場する。

( 仏語からの翻訳 笠原浩美 )

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