スイスのビンラディン口座
4日付、スイス紙「ルタン」によると、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンが1997年までチューリヒのUBS銀行で口座の受取人の1人であったことと、アルカイダのナンバー2のアイマン・ザワハリ副官もジュネーブの銀行に口座を所持していたことなどアルカイダ幹部とスイスとの関係を伝えている。
これを受けて、スイス連邦検察局は各通信社に「ルタン」の記事は01年の米中枢同時テロ以降、連邦検事局が行ってきたテロ組織アルカイダネットワークの調査と一致していると発表した。 以下、ルタンの記事から。
ビンラディンファミリー
同紙によるとビンラディン一族がスイスに口座を開けたのは1990年の第一次湾岸戦争時でサダム・フセインがサウジアラビアを攻撃した際に備えたもので異母兄弟を含めた58人が分けられるようになっていた。このUBSの番号口座575167番は1990年から1997年まで存在し、名義人はサウジアラビアの建設業者、ビンラディングループのバクル会長や専務取締役、ヤヒヤ・ビンラデンだったという。
一方、UBS銀行は「ウサマ・ビンラディンは口座の名義人になったことはなく、UBSの顧客になったことはない」と主張している。しかし、調査当局はアルカイダの主導者が口座の受益者だったことは間違いないとしている。 なお、ビンラディン一族は米中枢同時テロ以前の1994年にウサマを一族から追放する旨を公表していた。また、「ルタン」にはスイスに移住するウサマの異母兄弟、イスラム・ビンラディンの「いくら口座に預けられたのかは分からないが、2人の兄弟が引き出した」との証言を載せている。
アルカイダナンバー2
エジプトのジハード団の作戦・軍事指導者であり、カタール衛星テレビ「アルジャジーラ」が流したビデオに登場し、顔が知られているアイマン・アル・ザワヒリ副官もスイスに来ていたと同紙は伝える。検事当局によるとサワヒリ副官は「1989年にジュネーブの銀行で実名で口座を開いた」とし、1993年に口座を閉めたときの残額5万フラン(約420万円)はイギリスに移されたという。また、ザワヒリ副官アルカイダの欧州基盤をつくる目的で1994年から1995年の間、“モーゼ”という偽名でスイスに何度も旅行したとの記述もある。
アルカイダナンバー3
9.11事件のブレインで、2003年3月にパキスタンで逮捕されたアルカイダナンバー3のハリド・シェイク・モハメド容疑者のスイスとの関連も掲載されている。モハメド容疑者はスイスの電話会社、スイスコムの外国でも使用できるプリペード携帯電話を使用していたたことが判明し、同電話会社の情報がサウジアラビアとアジアのアルカイダネットワークの容疑者逮捕に繋がったという。
スイスはこれまでに米国からアルカイダ関連があるとの疑惑のあるいくつかのスイス口座を凍結し、総額は3400万フラン(約28億円)に上っている。検事当局の捜査によると今のところ、9.11事件の資金がスイスで調達された証拠はないという。
スイス国際放送、 屋山明乃(ややまあけの)
スイス連邦検事局はウサマ・ビンラディンがスイス最大のUBS銀行の口座の受益者であったと確認。
口座は1990年から1997年までビンラディン一族によってあけられた。
UBS銀行は問題の口座と国際テロ組織アルカイダの関係を否定している。
スイス紙「ルタン」はまた、ナンバー2のザワヒリ副官もジュネーブに1989年から1993年に口座をもっていたと記述している。
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