Japan matsuri〜いまも続く震災支援活動
熊本・大分の地震から1ヶ月が過ぎました。その深刻な被害に言葉もありません。大規模な災害からの復興には、長い時間と支援が必要ですが、ティチーノには東日本大震災から5年経った今も、日本へ支援を続けている若者たちがいます。
先日訪れたカフェで、「あなたは日本人? 日本はもう大丈夫なの?」と声をかけられました。先月起きた熊本と大分の地震はスイスでもニュースにとり上げられ、いろいろな方から励ましの言葉をいただきました。私が受け取ったスイスの仲間の気持ちとともに、被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。
震災としてまだ記憶に新しい2011年の東日本大震災のとき、私はちょうど東京で仕事中でした。経験したことがない激しい揺れ。机の下に潜り込むほか術もなく、言いようのない恐怖を味わいました。止まらない強い余震、福島原発の爆発、買い占め騒動、輪番停電・・・長い緊張の日々はいまも生々しく思い出されます。当時も日本には、世界中からたくさんの支援と励ましの言葉が届けられました。日本は孤独ではないこと、国を越えた強い共感に、とても勇気づけられたことを覚えています。あれから5年が経ちますが、ここティチーノには、今も復興支援活動を続けている若者たちがいます。
彼らは毎年3月11日近くの週末の2日間、”Japan Matsuri” という大きなイベントを催して、その収益金をあしなが育英会「東日本大地震・津波遺児への募金」に寄付しています。Japan Matsuriは震災支援を目的にしていますが、一見、それとは分からない賑やかな日本文化イベントです。約1300㎡の展示場には、スイス各地やドイツ、イタリアなど近郊の国からも集まったお店が並び、日本の雑貨、食材、マンガなどさまざまなものが販売されます。テレビゲームにコスプレコンテストなど流行のイベントだけでなく、伝統的な着物の着つけショーや盆栽、書道、折り紙体験などもできます。
ふだんティチーノでは目にすることのない日本の食べ物も人気で、たこ焼きや肉まん、うどんなどは毎年大行列。息子の友人は、子どもの頃からの夢だった『ドラえもん』の大好物 ”どら焼き” を食べるんだと意気込んで来ていました(念願のお味は彼にはちょっと微妙だったようですが)。私も折り紙や書道のワークショップでお手伝いするのですが、参加者は小さな子から若者、お年寄りまでひっきりなしです。今年は2日間で約6千人の来場者がありました。
Japan Matsuriは今やティチーノの一大イベントの一つですが、立ち上げ当初は素人の若者が市や企業を相手に、企画を理解してもらうにも、スポンサーを探すにも大変な苦労をしたようです。来場者が充分集まるかわからず、失敗のリスクもありました。それでも発起人であり、総責任者のシェイラをJapan Matsuri実現へと駆り立てたのは、日本のために何かをしたいという思いでした。シェイラには仙台に暮らす友人がいますが、震災のとき、友人の夫の行方が分からなくなってしまいました。幸いしばらく後に別の避難所にいることが分かるのですが、家を失い、大きな余震のたびに死の恐怖に怯えながら必死で夫を探す友人にシェイラは何も手助けができず、自分は無力だと感じていたそうです。何か日本のためにできることはないかと考えた彼女は、同じ思いを持つ友人を集めて支援イベントの立ち上げへと繋げたのでした。
シェイラたちがJapan Matsuriを楽しいイベントにしたのは、テレビでは日本の悲惨な映像しか流れておらず、日本が多面的で素晴らしい文化の国だとティチーノの人たちに知って欲しかったからだと言います。もしかしたら趣旨を知らず、純粋に日本文化を楽しみに来場している人も多いかもしれません。でもだからこそ時間が経過した今も、毎年たくさん人が集まり、結果として息の長い支援活動につながっているのだと思います。今年は熊本・大分の地震を受けて、シェイラたちはいち早く、寄付金の一部を九州に送ることを決めました。スイスの片隅にも、日本を応援している人たちがいます。彼らの思いが少しでも復興の力になることを願ってやみません。
奥山久美子
プロフィール:奥山久美子
神奈川県生まれ、福岡県育ち。都内の大学を卒業後、料理や栄養学を扱う出版社に就職。雑誌、書籍の編集業務に携わる。夫の転職に伴い、2012年からイタリア語圏ティチーノ州に住む。日本人の夫、思春期の息子2人の4人家族(+日本から連れてきた猫1匹)。趣味は旅行、読書、美味しいものを見つけること。
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