カーニバルの行列に、密着してみた! ~ スイス最大のファスナハト@バーゼル(後半)
(前回からのつづき)実はシュテファンは、バーゼル大学病院の内科に勤務する上級医師である。感染症、特にエイズが専門で、アフリカ赴任の経験があり、講演等も行う。
ほかにもヴァイヒェには精神科医や弁護士など、社会的地位の高い人がいる。日頃の激務でたまったストレスを発散させるのに、仮装をして騒げるファスナハトは最適なのかと、日本人の私は早合点していた。
……が、他のクリッケはまた違うメンバーなわけで、ファスナハトに積極的な人たちが必ずしも一定の職業や階級に偏っているわけではない。ファスナハトの参加者は約2万人といわれていて、バーゼル市の人口の1割強を占めるのだ。
確かによい気分転換になると認めた上で、シュテファンは言った。「いろんな職業・地位・世代の人間が集まって一致団結し、ひとつの目標に向かって準備をし、ファスナハトを作り上げる。そこが楽しいんだよ!」
……こんな年中行事があるバーゼルは、なんと恵まれた町だろう! ファスナハトがあれば、目標を見つけられずテロ組織に入ってしまう若者など出てこない、とさえ思う。
もともと「ディ・ヴァイヒェ」は、たった3人で始めたクリッケだった。両親がバーゼル出身でなく、小さい頃は毎年おばあちゃんの家へスキーに行っていたシュテファン。ファスナハトは見たこともなかったが、年齢が上がるにつれ興味を持つようになった。
大学在籍中のある年に参加を思いつき(少人数なら登録の必要なし)、小学校時代の同級生トーマス、マルクスと衣装を作り、3人で街を歩いてみた。
そこで初めて、お面の下からファスナハトを覗くという体験をした。バーゼルでは、メイクではなく仮面をかぶると決められている。くりぬいた2つの穴から見るという、限定された視界の中で、さらに焦点を合わせて注視するファスナハトの世界が、なんとも新鮮だったという。
別世界に行けるとは、このことをいうのだろう。ワイン効果もあって、軽い陶酔状態になってしまうらしい。この仮装体験が予想以上に楽しく、来年もぜひやろうということになった。
トーマスは、もともと小太鼓が出来た。シュテファンも楽器がやりたくなったが、小太鼓は難しい上に習得に何年もかかると聞き、より簡単なピッコロを選んだ。
1年目は、まるで気が狂ったように練習しまくった。聞くに堪えない音だったので、家族はもとより近所中で非難ごうごうだったという!猛練習の甲斐あって、1年後には習得してしまった。
こうしてマルクスは前衛、トーマスは小太鼓、シュテファンはピッコロと、クリッケらしい形が整った。人数も芋づる式にだんだん増えていき、今に至るというわけだ。
さて、2015年2月に戻ろう。ライン河畔の広場に着くと、活動中のクリッケと休憩中のクリッケ、および見物客で、喧騒の最高潮だった。夕闇が迫り、もはや秩序も何もない。ふだん塵ひとつない道路に、紙吹雪としてまき散らされるコンフェッティが積もり、その上に散乱するビラ、紙くず、紙コップ、ペットボトル、ビール瓶、空きカン、踏みつけられたオレンジ、とりそこねた飴、捨てられた花、お菓子の袋、落とし物の手袋…。シュテファンがオレンジ食べる?と言ってくれたはいいが、むいた皮を平気で地面に落としていた……。
午後6時半。再び裏通りへと戻る。観光客とすれ違い、カメラを向けられれば、もちろん大歓迎だが、人通りのない道を選んでいくのは、混雑により行進が止まってしまうのが嫌だからだそうだ。
7時半。橋の向こうはもうレストラン、しかし夕食にはまだ早いので少し遠回りして行く。時おり襲ってくる強烈な匂いの元は、馬車を率いる馬たちの落としものだ。
8時ちょうどに、レストラン到着。ただし、そのとき演奏している曲がまだ終わっていないのなら決して中断しない。演奏が終わってから、一斉にお面をとって、いざ入店だ。
運ばれてきたビールで乾杯(今度はビール!?)。あれはよかった、来年はこうしよう、などとファスナハトについて語り合い、仕事のこと、スキーのことなど、話は尽きない。
以前は大クリッケに入っていたが、今はヴァイヒェの一員であるゲオルグの話を聞いた。何番の人はどこで何をして、ここの列からはみ出さないで!とすべてが細かく決められており、息苦しかったのだそう。ここでは自由にのびのび楽しめる、と彼は満足気である。
夕食後、私は帰途についた。
後から聞いたところによると、夕食後パレードを再開、しかし人数は徐々に減っていったそうだ。夜中の12時にメールズッペというスープの名物料理を食べ、再びパレードを続けたが、最後の最後、早朝4時まで残っていたのは、リーダーとシュテファンを含む4人だったという。
後日、バーゼルTVで、今年のファスナハトをふり返る番組が放送されたが、そこにシュテファンたち4人が写っていた! 多少お疲れには見えるが、こんな時間になってもまだピッコロを吹き続ける彼らは、まるで何ものかにとり憑かれてしまったように見えた。あれはもはや仮装ではなく、本当にあんな姿になってしまったかのような……。
シュテファン曰く、ファスナハトの3日間はまるで夢のよう、魔法の世界に行けるから楽しい。中でも最高なのは、やっぱり夜だね。暗くなってからが、本番なんだよ!
……そんな彼だから、最後まで残ることに何の迷いもないのだった。
翌朝、街へ行ってみた。ところどころにコンフェッティがまだ残ってるし、オレンジの皮が路面にこびりついていたりするものの、大きいごみは一切落ちていない。街も人々も、ファスナハト前とまったく変わらない。シュテファンの言うとおり、あれは夢だったのだろうか。
その時彼は、もちろん自宅のベッドの中にいた。夢の続きを見ていたかもしれない。
ファスナハト後、彼は毎年、軽いウツのような状態になり、虚無感に悩まされるという。すでに来年が待ち遠しいのだそうだ。
スイス人はお固い、退屈だというイメージが世間には根強くあるけれど。ことバーゼルのファスナハトに関する限り、彼らは実にクリエイティブで、ユーモアもたっぷりだと思えてならない。楽器の演奏や、灯篭のイラストなど、相当な腕前がたくさんいて、地元では大活躍だ。バーゼル人の芸術レベルがかくも高いことに毎年驚かされる。
彼らはファスナハトの伝統をとても誇りに思い、また外国人にも紹介したがっている。ユネスコ委員会はきっと、価値を認めてくれるに違いない。無事に登録されることを、私も切に願っている。
こうして私は、しっとりとした伝統的なファスナハトを堪能することができた。その上、旧市街の路地を発見するというオマケもついてきた。
謎だったクリッケの内部も、覗いてみれば拍子抜けするほどオープンだった。言葉がわからなければ、英語まで使って説明してくれた。興味を持って歩み寄っていけば、ドアを全開してくれる人たちなのだ。ファスナハトを見ただけでなく、今回こうして一緒に歩いたという経験は、バーゼル方言を理解しない私にとって、今後は強味となってくれるような気がした。
そして……実はこれでは足らず、今度は私も仮装をして参加したいと思ってしまった。私もお面の穴を通して、ファスナハトの世界を覗いてみたい。夕食後も残って、シュテファンが言う「魔法の世界」を体験してみたい……、そう思った。(2015年)
平川郁世
神奈川県出身。イタリアのペルージャ外国人大学にて、語学と文化を学ぶ。結婚後はスコットランド滞在を経て、2006年末スイスに移住。バーゼル郊外でウォーキングに励み、風光明媚な風景を愛でつつ、この地に住む幸運を噛みしめている。一人娘に翻弄されながらも、日本語で文章を書くことはやめられず、フリーライターとして記事を執筆。2012年、ブログの一部を文芸社より「春香だより―父イタリア人、母日本人、イギリスで生まれ、スイスに育つ娘の【親バカ】育児記録」として出版。
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