自然の作ったジェットコースター - 雪山のそり滑降コース
我が家からさほど離れていないところに、雪山ひとつ分をそりで滑り降りるコースがある。それも何カ所も。この辺りでもっとも有名なのはベルギューン(Bergün)のコース。つい先日、スイスに移住して15年間ずっと行きたかった「ひと山丸ごとそり滑り」に挑戦してきた。
スイスの人びとは、冬とのつき合い方が上手だ。雪が降ると、小さな子供たちはそりを引きずって近くの丘へそり遊びに出かける。夏の間牛たちが草を食む草原は、そり遊びにうってつけだ。こうして子供の頃から雪やそりに慣れた人たちが考えだしたのが、冬に使われていない国道をコースに変えて、ひと山丸ごと滑り降りてくる壮大なそり遊びなのだろう。
ベルギューン(ドイツ語)はロマンシュ語でブラヴォーン(Bravuogn)と呼ばれる美しい村で、グラウビュンデンの州都クール(Chur)からエンガディーン地方ヘ向かうアルブラ峠の麓にある。この村を過ぎると、国道は狭いつづら折りの典型的な峠道になる。
冬の間、この道は通行止めとなる。そして、その道を利用してそり滑降コースがつくられているのだ。電車で標高1789mのプレダ(Preda)まで行きそこからベルギューンまで6㎞下るコースと、スキーリフトで標高1974mのダルックス(Darlux)のレストランまで行ってその脇から4㎞滑り降りるコースがある。
山ひとつどころか、そりに乗ること自体も初体験の私が一人で滑るのは危険なので、夫に同行してもらい、二人乗りのそりを借り、まずは電車でプレダへと向かった。
ユネスコ世界遺産に登録されているレーティッシュ鉄道(Die Rhätische Bahn)外部リンクのベルニナ線は、いくつもの橋やトンネルを通り4回のループを描きながらこの急な山を登っていく。1つ先のプレダまでは16分だが、その間にも車窓からそりで下っていく人たちが見えた。
今冬は2月までまともに雪が降らなくて、3月になってようやく十分な雪の量になった。日中は既に暖かくなってきていて、日も長くなってきているので、雪の中に何時間もいてもほとんど寒さを感じることはない。
私たちは自宅からスキーウェアを着て出かけた。間違いなく雪まみれになるからだ。長靴もブレーキの役目を果たすため、底にしっかりとした突起のある雪歩き用のものを履いた。それにヘルメットの着用も推奨されているので、あらかじめ用意していった。旅行中でこれらの装備を何も持っていないという人でも大丈夫。ベルギューンで借りることが出来る。
カーブを曲がる時の体の動かし方、ブレーキのかけ方などを教わり、運転は彼に任せていざ出発。最初は、大してスピードも出ていなかったので、かなり余裕で楽しんでいたが、しばらくするとどんどんスピードが出てくる。
カーブでブレーキをかける時に、間違った足の方に力をかけてしまい、大きな雪の塊にぶつかって転げた。雪が柔らかく、また、後続者が全くいなかったので笑いながら立ち上がり、改めてスタートした。
もうこの辺になると、掴まっているのが精一杯で、写真を撮りたいなどという余裕はまったくなかった。それでも、真っ白な雪の中をぐんぐんと走るのがとても面白く、少し慣れたら次回は自分一人で乗るのもいいかもしれないなどと考えていた。
6㎞はあっという間で、麓に辿りついてすぐのところにダルックス行きのスキーリフトがあったので、そのままそちらにも行ってみることにした。3月の平日だったので、この日はとても空いていて、まるで雪山を独り占めしているようだった。
レストランで暖かい紅茶を飲んでひと息ついた後、もう1つのコースへと向かう。スキーリフトから見えていた光景で、プレダのコースよりも狭くて急カーブのようだったので、少しドキドキした。
そして、それは杞憂ではなかった。距離では4㎞と短めなのだが、高低差はこちらのほうが大きい。そのため、ほとんどジェットコースター並のスリルだった。もちろん夫も私も必死でブレーキ体制をとっているのだが、それでもとんでもないスピードが出るのだ。これは雪の状態も影響している。一番いいのは雪の降った翌日、まだ雪が柔らかい時だそうだ。3月は、雪が溶けるのも早いので数日経つとスリルに満ちたコースになってしまうのだそうだ。もちろんスピード狂の方には、この方がいいのだろう。
カーブを曲がり損ねて、何度か雪上に投げ出された。途中、後から人が来たので、あわてて端に寄り道をあけたこともあった。道幅が狭い場所では、こうした「そり用マナー」を遵守することも、安全にそり遊びを楽しむためには大切なことだ。
かなり絶叫に近い大騒ぎをしながら残りの行程を滑り、ベルギューンの街が見えてきた時にはホッとした。変な力を入れていたらしく翌日には筋肉痛になってしまったが、結局のところとても楽しかった。残念ながら今年のシーズンはもう終わってしまったが、来年またやってみてもいいかなと懲りずに考えている。
このあたりには、ジェットコースターがあるような大きな遊園地はない。だが、そんなものは必要ないのだと思った。美しい自然、澄み渡った空気、そして並ぶ必要などないシンプルだけれどスリルに満ちたエンターテーメント。これらを自宅から30分以内にで楽しめる贅沢がいくつもあるのだから。どれほど寒くて雪かきが大変でも「冬が待ち遠しくてしかたない」というスイス人たちの気持ちが少しだけわかった。
ソリーヴァ江口葵
東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。
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