シャキリ、シャカの「ワシのポーズ」スイスのコソボ系移民社会とは?
サッカー・ワールドカップ(W杯)のスイス対セルビア戦で、スイス代表のグラニット・シャカとジェルダン・シャキリがゴール後に見せた「双頭のワシ」のジェスチャー。アルバニアの国旗を示すこのジェスチャーがセルビアに対する政治的パフォーマンスだとして、大きな批判を呼んだ。二人のルーツであるアルバニア系移民は、スイスで4番目に大きいコミュニティを形成している。
何があったのか
シャカとシャキリは22日の対セルビア戦でそれぞれゴールを決め、チームを2-1の勝利に導いた。問題になったのは、二人がゴール後に見せた両手の甲を胸の前で交差するパフォーマンスだった。これはアルバニア国旗に描かれた黒い双頭のワシを意味する。チームメイトのシュテファン・リヒトシュタイナー主将も試合中に同じジェスチャーをした。
セルビア人への挑発とも取れるこのジェスチャーについて、シャキリは試合後のインタビューで「サッカー中に感情が出るのは当たり前のこと。僕のしたことは、ただの感情の表れだ」と語った。
国際サッカー連盟(FIFA)はこの行為を問題視。規律委員会は25日、「フェアプレーの原則に反し、スポーツにふさわしくない行動」としてシャカとシャキリに1万フラン(約110万円)、リヒトシュタイナーに5千フランの罰金処分を科した。
サッカーのスイス代表チームは移民のルーツを持つ選手が非常に多い。アルバニア系は何人いるのか?
今回代表入りした12人のMFとFWのうち、10人が国外で生まれたか、移民の両親を持つ。
シャカ、シャキリ、ヴァロン・ベーラミは、2008年に独立宣言したコソボに起因するアルバニア系の出身だ。コソボは旧セルビア領で、セルビアはこの独立を認めていない。4人目のブレリム・ジェマイリはマケドニアとコソボ国境にある、アルバニア系の都市テトヴォで生まれた。
シャキリはコソボで生まれ、まだ赤ちゃんだったときに、戦乱を逃れて家族でスイスに来た。対セルビア戦では、左足のかかとにスイスの国旗、右足にコソボの国旗が描かれたスパイクをはいてピッチに立った。ベーラミ外部リンクはコソボ北部で育ち、1990年代に家族でスイスに移住。右足のふくらはぎにはコソボのワシ、左腕にはコソボとスイスの国旗のタトゥーがある。シャカの家族もコソボ出身。シャカ自身はスイス北部のバーゼルで生まれたが、コソボ系アルバニア人である自身のアイデンティティーをソーシャルメディアで隠すことなく発信している。
スイス代表チームの政治・民族的多様性は、これまで摩擦を引き起こしたか?
近年、スイス代表チームは多様な移民のバックグラウンドを持つ。
22日の試合前と試合後、スイスとセルビアの監督はいずれも国籍や政治にかかわる質問や発言を避けた。
しかし、スイス代表の「国民性」はたびたび議論の的にされてきた。2015年、リヒトシュタイナーはスイスのジャーナリストとのインタビューで、スイス代表には「正しいバランスと多様性」が求められると発言。それは「『真のスイス人』とか『そうでないスイス人』がチームにいる、ということではなくて、スイスの人たちに自分たちを代表するチームだと認識してもらうこと」だと語った。ただリヒトシュタイナーはその後、この発言が誤解を招いたとして謝罪した。
セルビア戦の翌日、リヒトシュタイナーはフランス語圏の日刊紙ル・タンのインタビュー外部リンクで、シャカとシャキリを擁護。彼らが多大なプレッシャーや挑発を受けたとし「もう少し知識を持って歴史を理解する必要がある」と語った。
ワシのジェスチャーに不快感を示したスイス人政治家もいた。
保守系右派・国民党のナタリー・リックリ議員はツイッターで「私は(試合に勝ったことが)そんなに嬉しくない。二つのゴールはスイスではなくコソボのためだった。コソボ代表が勝ったのなら良いことだと思うが、ワールドカップではスイス代表として戦っているのだ」と批判した。
Ich kann mich nicht wirklich freuen. Die beiden Goals sind nicht für die Schweiz gefallen, sondern für den Kosovo. Falls die Kosovo-Nati dereinst gewinnt, freue ich mich für sie, aber an der WM spielen und fänen wir für die Schweiz.🇨🇭#SERSUI外部リンク
— Natalie Rickli (@NatalieRickli) June 22, 2018外部リンク
スイスに住むアルバニア系移民はどれくらいいる?
連邦統計局外部リンクによると2016年、スイスでアルバニア語を母語とする人は約26万人いる(スイスの人口は840万人)。出身地はコソボ、マケドニア、アルバニア、セルビア、モンテネグロなどで、そのコミュニティはイタリア、ドイツ、ポルトガルに次いで4番目に大きい。
スイスでアルバニア系コミュニティに向けたニュースや情報を配信する「Albninfo.ch外部リンク」のバスキム・イセニ編集長によると、この鳥が飛び立つジェスチャーはアイデンティティーと自由の象徴であり、何ら暴力的な意味を持たない。イセニ編集長はスイスの無料紙20min.外部リンクに対し「このジェスチャーは民族舞踊でも使われる。ゴールを決めたブラジル代表の選手がサンバを踊るのと同じこと」と語った。
スイス国内のアルバニア系移民の歴史は?
コソボやバルカン半島南部からの他のアルバニア系移民の歴史は1960年代中盤にさかのぼる。当時は季節労働者の第一陣が大勢流入し、80年代になってその家族もスイスに移り住んだ。
80年代から90年代にかけてバルカン半島の情勢が悪化。旧ユーゴスラビアから大勢の難民がスイスに押し寄せ、その数は1999年に3万人にまで達した。
連邦移民事務局外部リンクによると、コソボからの難民申請希望者は大半が紛争後、母国に戻り、現在スイスに残るのは元季節労働者とその家族ら。スイスに住む移民は母国の家族を呼び寄せる権利を持ち、このためコソボからは毎年、移民の家族らが毎年数千人単位でスイスに移り住んでいる。
(英語からの翻訳・宇田薫)
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