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否決されたベーシック・インカム、読者の声を基に 再考

仏語圏のスイステレビがインタビューしたベーシック・インカム導入案の支持者たちは否決の結果が出た5日、「国民投票の3カ月前からメディアが大きく報道し、市民の間で意識が高まっていった。大きな成功だ。将来もう一度提案していく」と元気一杯だった。一方、独語圏のバーゼル市でも同日、「23%が賛成」と書かれた巨大な横断幕が張られた Keystone

スイスで行われた今月5日の国民投票で、世界初となるはずだったベーシック・インカム導入案はあっけなく否決された。しかし、同案に対する日本からの関心は投票前からも高く、否決後も多くのコメントがフェイスブックやスイスインフォの記事が掲載されたNewsPicks(ニューズピックス)に寄せられた。こうした反応を取り上げながら、スイスにおけるベーシック・インカム導入案について、もう一度振り返ってみた。

 「計算上は成り立つ筈なんだけど、問題は意識改革なんだろうなあ、多分。このBasic Income基本哲学に対する正しい理解と普及活動が先かもしれないねえ。(中略)意識変革とは『働かないと生きていけない』とか、『労働意欲をなくするから全体も収入が減ずる』とかの不安なんだねえ。よ~く練られた実に素晴らしい政策なんだけどねえ。スイスや北欧ではおそらく実施可能だろうと思うけれど、日本を含めたアジア諸国では実施がどうかという問題は確かに課題とは思う。(これについて専門の)小沢教授は、しかし、それも可能と考えてはいるがね。普及には数十年という時間単位が必要だろう」

 これは、スイスインフォのフェイスブックに寄せられた佐藤 昭治 さんの意見だ。この中の「ベーシック・インカム(以下BI)は日本でもよく練られた政策だ」という言葉や、NewsPicks外部リンクに寄せられたコメント外部リンクの多様さ・内容の深さに驚いた。以下、幾つかのテーマに沿ってコメントを引用しながら、「国民に問われたスイスのBI」の特色やその否決の背景などについてまとめてみた。

BI提案者の主張を振り返る

 直接民主制が実施されているスイスでは、国民は誰でも10万人の署名を集めれば、憲法の条文の改正を提案し国民投票にかけることができる。これをイニシアチブ(国民発議)という。今回のBI導入のイニシアチブ外部リンクでは、「スイスの国民が尊厳のある生活を送れるようにBIの導入を求めるが、支給額については立法機関が決定する」という内容を憲法に付け加えることが提案された。

 提案者側は、給料や財産の額に関係なく無条件に国民全員にBIを支給することで、全ての人が尊厳のある生活を送りながら社会的活動に参加できるとし、特にボランティア活動への参加や、子どもや高齢者・障害者のいる家庭では、その世話に今までより多くの時間を割くことが人間らしい生活だと主張した。さらに、他の資格を取得したり、会社を起こしたり、本当にやりたいと思う仕事に就くことができるとも付け加えた。

 また、デジタル化・自動化で失業者が増え、給与格差も広がる社会の変化は今後も加速していき、完全雇用に基づいた現行の社会保障制度も立ち行かなくなると指摘。ただし、BIの財源、支給される額や受給者の詳細などは明示しておらず、可決されれば立法機関である連邦議会が検討するとしていた。

まずはやってみるべき

 こうした、理想論のような大枠だけのイニシアチブだったが、「まずはやってみるべきだ」という意見がNewsPicksで多かった。(以下の引用文はすべてNewsPicksから)

 IT企業勤務の大内 一哲さんはこう言う。「せめて部分的にBI導入してみて効果があれば、どんどんBIの適用範囲を広げれば良いのにと思います。検証不十分な部分があっても、先ずは一歩進む事が大事だと考えます」

 ジャーナリストの大西 康之さんもまず試すべきだと言う。「EU、通貨統合、英国のEU離脱。何でも試してみようとする姿勢は大切。やらずに『ほらみろ』と失敗を笑うのは簡単だけど、最後に大変なことになる。欧州には『民主主義も資本主義も未完成』という自覚がある。深く考えず『これでいいのだ』と惰眠を貪る日本より謙虚だと思う」

BIが支給されると働く人が減少するのか?

 BI導入に反対していた政府の主張は、「国の経済と社会保障制度が弱体化する。なぜなら、BIが支給されれば、従来低所得だった人は労働意欲を失い賃金労働者の数が減り、全体の労働人口及び質の高い労働者が減少。その結果経済力が低下し、BIの財源確保のために増税の可能性が出てくる」というものだった。さらに「平均所得の低い国から多くの外国人がスイスに流入する」と追い討ちをかけてもいる。

 これに対して、弁護士の荘司 雅彦さんは、「これだけ並べられれば、BI以上の稼ぎのある人は反対せざるを得ないでしょう。なかなか難しいですね〜」とコメントしている。

 しかし、この政府の意見の中で「BIを支給されれば、低所得だった人は労働意欲を失い賃金労働者の数が減る」というのは必ずしも正しいものではない。なぜなら、昨年11月に実施された有権者1076人を対象にした世論調査機関デモスコープの調査では、BIを給付されたら仕事を辞めるという人はわずか2%。状況によっては辞めるかもしれないという人は8%だったからだ。スイスインフォが5月に行ったフェイスブックのアンケートでも、多くの人が「BIがあっても仕事は続ける。自分に対する尊厳であるから」と答え、中には「逆に自分の仕事のプロジェクトを進めるための時間を今よりも持てるため、仕事を減らすのではなく、よりよい条件でもっとたくさん働く」と回答した人もいた。

 ところで、労働者の減少に対し立命館大学卒のTanaka Tomoyaさんは「労働者が減少することは問題なのだろうか。問題ないと思うが…」と述べ、さらに「国外から外国人がスイスに流入することはあり得るね。その分、人口が増えて、消費も増えそうだから、一部の企業の収入は上がりそうな気がする。企業の国外移転をする会社としない会社がでてきそう」と言う。

 移民労働者の流入に関してだが、外国人労働者が増加する一方のスイスでは14年、「大量移民反対イニシアチブ」が国民投票で可決されている。政府は現在、どうすれば移民制限が可能かを模索しつつ、欧州連合(EU)との二国間協定の調整に苦労している。そういう文脈では、もしBIが可決されたらさらに移民が流入するのでは?と政府が危惧したことは頷ける。

バーゼル州のベーシック・インカム導入案の支持者は数多く、またアーティスティックなキャンペーンを繰り広げてきた。5日の投票日も、紙製の「金」を投票場周辺にばら撒いた swissinfo.ch

BIに関するお金の問題

 BIが否決された理由の一つとして、支給額が高すぎることや財源を問題にする意見も多かった。例えばSNS media&consulting K.K.Founderの堀江 貴文さんは、「BIが月額10万円程度ならもっと賛成されたんじゃないかな」と言っている。

 もともとBI導入賛成派は、支給額のおよその目安としてすべての大人に月に2500フラン(約27万円)、未成年者に625フランを支給する考えを提示していた。だが、この27万円はスイスの物価からすれば日本での10数万円にあたる感覚だ。よって、堀江さんの言う金額にほぼ等しい。

 これを、例えば子ども2人の家庭で考えてみると、親が2人で計5千フランと子どもが2人で1300フランの計6500フランを一月に受け取ることになるが、これではぎりぎりの生活しか送れない。州によるが、スイスでは家賃が月2千フラン前後、健康保険が家族4人でおよそ月2千フラン前後かかるからだ。

 「普通の生活」を送るには、やはり夫婦のどちらかが最低でも80%の仕事(週4日分の仕事)に就くか夫婦がこの80%を分け合って働かなければ、恐らくうまくいかないだろう。こうしてみると、もしBIが実施されたら、やはり今よりは多くの時間を子どもや高齢の親の世話に、ないしは自分の好きなプロジェクトに割けるように思える。

 財源に関しては、BI導入賛成派は労働者の給与や社会保障の給付額からBIの支給額分を差し引き、それを財源にあてると考えている。例えば給与が7千フランの人は2500フランをBIの財源として差し引かれ4500フランになるが、同額を受け取るので7千フランの給与は変わらないとしている。(障害者保険などからの支給も同じように扱われてBIの財源になる)

 政府がこうした数字を基に計算したところ、スイスの人口約800万人のうち大人650万人と未成年の子ども150万人に計2080億フランのBIを払うことになり、上記の財源(約88%)を考慮しても250億フラン(約12%)が不足する。政府はその分を増税でまかなうしかないとしている。なお、ある反対派の議員によれば「2080億フランは国内総生産(GDP)の35%にあたる」という。

 賛成派は、この不足分は国家予算の積み替えや、デジタル化で労働が奪われていくためコンピューターに税金をかけるなどの新しい税制の導入でうまくいくと主張している。

 中村記世彦さんのようにBIの良い側面を見て、「BIは所得制限なく全国民に現金を支給する。なので、生活保護のような、働いている人より働いていない人の方が所得が多くなるような逆転現象は起きない。また、家族単位ではなく、個々人に支給されるので少子高齢化の抑止効果も期待されてますね〜」とコメントする人もいる。

 だが、家族などに割く時間が増えるのはBIの良い面だとしても、財源などがもう一つクリアではない上、従来の所得にかかる税金はどうなるのかといった説明も不足しているため、GISMOのCEO、大倉裕樹さんの以下のような分析も当っているかもしれない。「(約8割の反対で否決されたのは)大変インパクトのある制度であること、政府の説明が不足していたこと(国民の理解が不足していたこと)から、感情的になっていた面もあるかもしれない」

BIは社会保障制度に取って代われるのか?

 さらにスイスでは、13もある複雑な社会保障制度のお陰で問題なく生活できている人も多く、(最近仏語圏の新聞で、長期間の失業で生活保護を支給されている家庭が子どもの教育手当てなどとの総計で月に得る額が、共稼ぎの家庭の所得より高いという例が報告された)、こうした現行の社会保障制度にBIはどう取って代われるのかという具体的な説明も、BI導入賛成派からはあまりなされなかった。

 ただひとり、スイスの上院議員でBIに賛成したアニタ・フェッツ社会民主党議員が次のように言ってはいる。「BIによって13ある社会保障制度の数を削減できれば、この制度の今後の取り組みにとって良いチャンスになる。大きな変化の兆しが見えているのに、完全雇用という原則に基づく制度を今後も続けていくのは無理がある」

 こうした具体的説明の欠如ゆえに、Webシステム開発&コンテンツ制作ディレクターのTanaka Yukohさんの「(否決は)社会保障とのトレードオフという所が問題重視された結果です。この部分が確定するデメリットとして存在したため、反対多数となったのでしょう。現時点では最低限の金額の代わりに最低限の保証を失う弊害の方が大きかった。冷静で現実的な結果だったと思います」という意見もうなずけるものだ。

BIが国民投票にかけられる「すごさ」と投票率

 BIという、新しい社会保障モデル導入の重大案件を国民に問うというスイスの直接民主制に感嘆したり、この制度を再発見したりする人のコメントも多かった。

 ラボラボ社長の横田響子さんは、「大事な案件を直接投票で決められる羨ましさを感じます」と述べている。

 BuyerのMuramatsu Kokiさんも「国民投票いいですね。 こういうのがないとどうしても民意が反映される気がしないですよね。誰を選ぶかじゃなく、何をして欲しいかを選ぶ方法が日本にも欲しいです。じゃないと当事者意識はどんどん薄れて、日本の投票率は改善しないと思います」と言う。 

 確かにスイスは恵まれた国だ。有権者の約2%にあたる10万人の署名で、今回のBI導入のようなイニチアチブ(国民発議)を提案でき、連邦議会で可決した案件に反対する場合は、5万人分の署名でレファレンダムを提案でき、それらは国民投票にかけられるからだ。

 ただし、イニシアチブに関しては、憲法改正という重大事であるため可決されるには投票者の過半数に加え州の賛成過半数が要求されている。こうようにハードルが高く設定されているため、イニシアチブが可決されることはあまりなかった。ところがここ最近、「性的虐待者を教育現場などから追放するイニシアチブ」など、小さな市民団体が提案しただけの案件が関係者の予想を超え可決される例が出てきてはいる。

 だが、今回のBIのように、賃金や税金に関するイニシアチブはことごとく否決されていることも事実だ。

 企業内の最低賃金と最高賃金の差を12倍までとする13年の「1:12イニシアチブ」と最低賃金を約4千フランにするよう求めた14年の「最低賃金イニシアチブ」は両方とも否決されている。15年の「児童手当を非課税対象にすること」や今年2月の「夫婦にかかる税率のほうが同居のカップルのものより高いことを是正するイニシアチブ」も否決の憂き目にあっている。

 こうなってくると、国民投票はあってもイニシアチブは結局可決されず政府の意向の方が勝つという無力感が一部の国民の間に生まれ、これが、今回のコメントで多くの人が指摘している、投票率の低さ(約46%)の一因になっているかもしれない。

 なお、投票率は近年42~50%で安定してきたが、今年2月に投票率63%という過去20年来の高い数字を記録した。理由は、右派のイニシアチブ「外国人犯罪者の国外追放強化案」が細かな犯罪リストを憲法に盛り込むことを謳っており、左派や外国人労働者の第2世代の若者などを中心に、反対運動が盛り上がったからだといわれる。

BIの未来は?

  こう見てきたように、たいていのイニシアチブが国民投票で否決されてきたが、イニチアチブ提案者の多くは、否決に決して落胆せず、むしろ「国民の意識が高まり、議論されることが大切」と考える場合が多い。

 今回のBIの推進者も「15%程度の賛成を期待していたため、結果がそれよりも多い23%だったので驚いている。5人に1人が賛成してくれた。今後もBIに関するテーマを世に発信していきたい」と述べている。

 元霞ヶ関(金融)勤務で現在コンサルタントの、きたの あつしさんもこう言っている。「スイスに限らず、世界中の国の共通の課題として人口増加が頭打ちで、経済に大きな成長が期待できず、貧富の差が拡大する中、そうした問題に対処する一つの選択肢としてBIは今後も議論されるのではないかと予想されます」

 そしてその普及に関しては、冒頭で佐藤 昭治さんが言うように「数十年という時間単位が必要」かもしれない。

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