アフリカの角・ジブチでスイスが進める「科学外交」、その目的は
アデン湾における戦略的な重要性が高まっている。この海域の情勢はスイス経済にも大いに関係しているものの、スイスに政治的な影響力はほとんどない。そのためサンゴ礁の力を借りた得意の「科学外交」で影響力の強化を図る。
世界中のどこを探しても、紅海の南端に位置するアフリカの角・ジブチ沖合ほどサンゴが豊かに育っている場所はない。タジュラ湾には、火山のような暗い色をした山々が連なる。遠くにはぽつりぽつりと小型の帆船が見えた。そんな殺風景な景色とは裏腹に、水面下には極彩色の世界が広がる。まばゆいばかりの色と形をしたサンゴ礁が、類まれな生命を豊かに育んでいる。
2年ほど前、ここでは希少な水中植物のサンプルを採取するための探索が行われた。スイスを含む3カ国以上の研究者らが集めたサンプルは現在、スイス連邦工科大学ローザンヌ校(ETHL/EPFL)のトランスナショナル紅海センター外部リンクで分析中だ。
この地域に生息するサンゴ礁は、気候変動による温暖化に対し、比較的高い耐性を示している。サンプルのDNA分析を基に、サンゴの生態をさらに掘り下げて理解することが研究の目的だ。プロジェクトは来年まで続き、9月には研究写真がジュネーブ湖沿いの遊歩道に野外展示外部リンクされた。
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外交目的に使われる科学
ただ、スイスのプロジェクトへの関与は、純粋な研究目的ではないようだ。EPFLが2019年に立ち上げ、連邦外務省(EDA/DFAE)が出資するトランスナショナル紅海センターには、もう1つの役割がある。それはイグナツィオ・カシス外相が2019年にswissinfo.chに寄稿した記事で述べたように、「科学と外交を結びつけ、デリケートな政治状況での対話を促進することで、政治的な緊張を超えた協力関係を築く」という、今や確立されたスイスの「科学外交」を担う役割だ。
ジブチ大学で海洋・地政学問題を研究するアリ・ミガネ・ハディ博士は、多くの緊張に包まれる紅海地域は、今後、地政学的に重要な役割を果たすだろうと話す。取材が行われたジブチ首都にある国際的な5つ星ホテルからは、港に立ち並ぶクレーンが一瞥できた。
アフリカ大陸最大の米軍基地をはじめ、中国、フランス、イタリア、日本の基地があるジブチは、過去20年間にこの地域では欠かせない要所に発展した。「他の近隣諸国と違い、ジブチはこの地域の安定を保つ錨だ」とミガネ・ハディ氏は言う。
ここから見える水平線の数キロメートル先には、世界で最も行き来の激しい航路の1つ、バベルマンデブ海峡がある。アラビア半島南西部のイエメンと、東アフリカのエリトリアとジブチに挟まれる形で位置し、紅海とアデン湾をつなぐこの海峡は、欧州とアジアを結ぶ最重要ルートの1つだ。毎年、世界の船舶輸送量の約4分の1に相当する数十億トンの物資がこの水路を通過する。
だが昨年以来、この海域の情勢が緊迫している。今年11月には、イエメンの親イラン民兵組織「フーシ派」がドローンやミサイルによる国際貨物船の攻撃を開始した。フーシ派の矛先はイスラエルに向けられている、パレスチナ自治区ガザの情勢を巡るイランとイスラエルの緊張を受け、イランを支持するフーシ派はイスラム過激派組織ハマスを支援し、イスラエル寄りとみなされる商船を狙うことでイスラエルを停戦に追い込むつもりだ。
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スイス経済への影響も
その火の粉は、欧州諸国にも広がっている。フーシ派の攻撃により、世界の物流や経済に深刻な影響が出ているためだ。10月のガザ地区の戦争勃発以来、イエメン近海の国際水域では、既に何百隻もの商船がロケットやドローン、対艦巡航ミサイルの攻撃を受けた。多数の乗組員が命を落とし、多くの船舶がハイジャックや沈没、破損といった被害を受けている。
今や重要な海運の中心地となった内陸国スイスにも影響が出ている。今年3月には、世界最大級の海運会社MSC(Mediterranean Shipping Co、本社ジュネーブ)のコンテナ船がシンガポールからジブチに向かう途中、イエメンの都市アデンの南東約145 kmの地点で攻撃された。米軍の情報によると、フーシ派が発射したミサイル2発のうち1発が船に命中した。だが海運会社は、風評被害や保険料の上昇を避けるために、こうした事件を公にしない傾向にある。
アジアと欧州を結ぶこの危険な航路を避けるため、現在、南アフリカの喜望峰(Cape of Good Hope)へ迂回する長距離ルートを強いられる商船が増えている。だがこの航路は2週間長くかかり、燃料消費量も3割近く多いデメリットがある。攻撃の影響で、紅海経由の船舶輸送量は昨年来8割近く減少した。海運会社だけではない。サプライチェーンが国際化した現在、スイスのもう1つの重要産業である物流会社もまた、不安定な地域情勢のリスクにさらされている。
この複雑な状況に輪をかけるのが、難民の移動だ。ジブチは東アフリカからアラビア半島への移動する難民のメインルート外部リンクだ。長きにわたるイエメンの内戦さえ、この状況を変えるには至っていない。
影響力獲得に向け、新たな外交アプローチ
独立系の平和研究機関「スイスピース」(本部バーゼル)で東アフリカ情勢を専門とするトビアス・ハグマン氏は、スイスを含む欧州諸国にとって、今後ジブチが外交政策のカギになるのは、既に今から明らかだと話す。イエメンの内戦は、この地域を統合された経済圏として見直すきっかけを与えたが、フーシ派が引き起こした経済危機により、その傾向はますます強まるだろう。「貿易や輸送ルートが脅かされると、企業は即座に守りに出る。この地域における政治的な全局にも注目が集まる」。特に輸出国であるスイスにとって、サプライチェーンの確保は極めて重要だと指摘する。
ハグマン氏によると、スイスはこれまで、主に人道支援や開発協力を通じてジブチの安定化を図る役割を担ってきた。例えば近隣のソマリアでは、国家建設のための多国間・多国籍基金などで支援した。従来、海賊はソマリアから貿易路を脅かしていた。
ジブチをはじめとする国家は、紅海の地政学的動向について連邦外務省が3年前に発表した「サハラ以南アフリカ戦略外部リンク2021~24年」でも既に取り上げられている。現在の混乱を受け、今後さらに注目が集まる可能性がある。ジブチもガザのパレスチナ人との連帯を表明しているが、平和的解決を支持し、それぞれの主権を尊重している点が違うとハディ氏は言う。
一方、中立の立場から直接的な軍事介入ができないスイスには、科学外交やトランスナショナル紅海センターのプロジェクトなどを通してこの地域での地位を強化し、スイスの存在をアピールするやり方があると同氏は言う。
それに対し、スイス熱帯公衆衛生研究所(TPH)のヤスミナ・サリッチ氏は、科学を外交政策に利用できるケースは限定的だと指摘する。アフリカ大陸におけるスイスの科学外交について研究する同氏は、「科学プロジェクトが非常に複雑な地域の緊張や課題を全て解決できるとは考えにくい」と話す。
とはいえ、アフリカ大陸の他の地域では幾つかの成功例があるという。例えばケニアでは、食料安全保障や天然資源の管理、バイオセキュリティの分野で、現地政府との協力関係を築いている。「科学研究やプロジェクトで長期的な連携が可能になれば、たとえ他の外交手段が絶たれていても、新たな共通目標や、他分野における二国間協力への流れが生まれることが多い」
編集:Giannis Mavris、独語からの翻訳:シュミット一恵、校正:大野瑠衣子
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