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都市化と産業の発展が進んだスイスは、国内外で活躍する多くの建築家を生み出した。
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2017/11/21 12:00
著名な建築家を輩出しただけでなく、有名な外国人建築家もこの国に呼び込んだ。
しかし、国の規模が小さく、大型プロジェクトがないため、国外に飛び出していくスイス人建築家も少なくない。
歴史に残る建築家
20世紀以前の建築家の中で最も優れた人物はフランチェスコ・ボッロミーニで、別名はフランチェスコ・カステリ(1599~1667年)。イタリア語圏出身のスイス人で、同時代の建築家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニとピエトロ・ダ・コルトーナと共にイタリアバロック建築の創成に貢献した。
ボッロミーニはミケランジェロの建築や古代遺跡を学び、そこから独自のスタイルを確立した。ボッロミーニの建築の特徴は幾何学的な原理や象徴的な意味付けに見られる。
そして、20世紀最大のスイス人建築家といえば、ル・コルビュジエ外部リンク の名で知られるシャルル・エデュアール・ジャンヌレ(1887~1965年)だ。ジュラ地方のラ・ショー・ドゥ・フォン(La Chaux-de-Fonds)に生まれたが、建築家としての活動はフランスで行った。
ル・コルビュジエは機能主義的な建築と都市計画への貢献で知られている。最近、彼が設計した建物が生まれ故郷外部リンク に再建されたが、作品の多くはフランス、さらには遠方のインドにある。
2016年7月、スイス、フランス、インド、アルゼンチンなどにあるル・コルビュジェの建築群が世界遺産外部リンク に登録された。
現代建築家
最近では、スイスのイタリア語圏出身のマリオ・ボッタ (英/伊語)がその大胆なデザインで世界的に有名だ。
ボッタの作品はスイス国内外のミュージアム、教会、銀行、そしてルガーノのバス停などさまざまな場所で目にすることが出来る。最も有名な作品はバーゼルのティンゲリー美術館(Museum Tinguely) (英/独/仏語)、ヌーシャテル(Neuchâtel)のデュレンマットセンター(Centre Dürrenmatt) (英/独/仏/伊語)、サンフランシスコ近代美術館(Museum of Modern Art, San Francisco)、新しく改修されたミラノのスカラ座(La Scala Opera House)など。また、ボッタは多くの大学で講師を務め、現在はティチーノ州のルガーノ大学で教鞭を取っている。
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ピーター・ズントー氏の美しい建築物
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2014/07/24
スイス人建築家ピーター・ズントー氏は、立地場所に適し、機能性に富んだ建築を手掛けることで知られている。建築素材を吟味し、建物を取り囲む空気感も考慮する。その精巧さと完璧さが広く評価され、「建築のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞している。
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バーゼルを拠点に活動する建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンは、ロンドンのテート・モダン(Tate Modern)外部リンク やラバン・ダンス・センター(Laban Dance Centre)外部リンク といった大きなプロジェクトを手がけた。
倉庫と美術館が合体したバーゼルのシャウラーガー(Schaulager)外部リンク (英/独語)や2008年北京オリンピックのメインスタジアムも彼らの作品。ヘルツォークとド・ムーロンの2人は2001年、建築界で最も栄誉あるプリツカー賞を受賞した。
2009年にはピーター・ズントーがスイス人で2度目のプリツカー賞を受賞。グラウビュンデン州のヴァルス(Vals)にある温泉施設外部リンク (英語)はズントーの作品の中でもひときわ評価が高い。
さらにもう1人、フランス語圏出身のベルナール・チュミ (英/仏語)も世界的に有名なスイス人建築家だ。チュミはマンハッタンの居住用のブルータワー(Blue Tower)外部リンク 、アテネの新アクロポリス美術館(Acropolis Museum)を手がけた。
スイスで見られる外国人建築家の作品
スイスにある多くの建築物は優れた外国人建築家が設計した。2005年に開館したベルンのパウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee) (英/独/仏語)はイタリア人建築家レンゾ・ピアノの手による。ピアノはバーゼル近郊のバイエラー財団美術館(Beyeler Foundation Museum) (英/独/仏語)も手がけた。
1998年にオープンしたルツェルン市の複合コンサートホール(Kultur- und Kongresszentrum Luzern / KKL) (英/独語)はフランス人建築家ジャン・ヌーヴェルが設計した。
※このコンテンツは2017年11月時点のものです。今後は更新されません。
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約900ページ・重さ6キロ ピーター・ズントー作品集の舞台裏
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スイス人建築家ピーター・ズントー氏は世界中で高い評価を受けているが、作品数は多くない。今年出版された作品集に寄せた文章の中で、本人は「建築家として、私は作家である」と自分を評している。モットーは、緻密さと芸術性だ。
「設計するときには、建物の内から外へ、外から内へ、そしてもう一度内から外へ向かって、全てが完璧になるまで考える」。作品集の前書きでズントー氏はそう説明する。
作品集には英語版もあり、約30年にわたるキャリアを詳しくたどる。有名な作品や、実際には建てられなかった作品を含む43点のプロジェクトを、写真や設計図、スケッチ、水彩画で紹介。建築界で名誉あるプリツカー賞を受賞したズントー氏本人が執筆した文章が添えられている。
編集を行ったトーマス・デュリシュ氏は、掲載するプロジェクトや資料をズントー氏と協力して選んだ。デュリシュ氏は、オーストリアのブレゲンツ美術館やヴァルスのスパなどのプロジェクトに参加し、ズントー氏とは20年来の知己だ。現在は自分の建築事務所を構えている。
「普通なら、自伝的な作品集は自分で作りたいと思うものだ」とデュリシュ氏は話す。「『ズントー氏とのコラボレーションはどういう感じなのか?彼のような働き方をする人が、自分の作品集の編集作業を本当に第三者に任せるのか?』と友人たちにも聞かれた」
「作品集では、私の存在を感じさせずに作品を提示したかった。これは異例のことで、通常は編者が解説したり分類したり順序立てて並べたりするものだ。私は、本人と作品に寄り添うアプローチを取ろうと思った」
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日本人建築家が設計、オメガの新しい製造拠点が登場
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高級時計メーカー、オメガの新しい製造拠点がスイス西部にあるベルン州ビール(ビエンヌ)市にお目見えした。この近未来的な建物を設計したのは日本人建築家の坂茂(ばん・しげる)さんだ。
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「この仕事に失敗はつきものだということを学ばなければならなかった」
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スイス人建築家ピーター・ズントーがドイツの建築家連盟によって授与される2017年BDA大賞を受賞。彼は現在、新ロサンゼルス郡立美術館(LACMA)の設計を手掛ける傍ら、初めての高層ビルをベルギーで手がける計画を進めている。世界中で活躍するズントーが、建築への思いを語る。
BDA賞の審査員はズントーについてこう語る。「ズントー作品は建築を人類の『原初の創作物』に立ち戻らせる」。そして、「建築と雨露をしのぐことの元来の意味」を誰よりもよく知っている人は、ズントー以外にはいないと言う。彼ははまた2009年に、建築界で名誉あるプリツカー賞も受賞している。ズントーの品質へのこだわりと細部まで行き届いた神経が、「作品に時代を超越した正当性を与える」のだという。
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バイエラー財団美術館 全てはモネの睡蓮から始まった
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スイスで最も入館者の多いバイエラー財団美術館が今年で開館20周年を迎える。過去10年にわたって同美術館の館長を務め、学芸員として世界的に有名なサム・ケラーさんが、成功する企画展の秘訣やクロード・モネの「睡蓮(すいれん)」、建設予定の新棟について語った。
スイスインフォ: 開館から20年を迎えた今、バイエラー財団美術館はスイスで最も入館者数の多い美術館に発展しました。これまでで最も重要な出来事は何でしたか?
サム・ケラー: 開館当初は個人が収集した美術品だけだったが、次第に国際的な展覧会を開く美術館へと発展した。これは財団にとって非常に大きく、重要な一歩となった。財団の創立者であるエルンスト・バイエラー氏と妻のヒルディの死後、関係者の多くがバイエラー財団の経営に力を注いだのが英断だった。また、展覧会の内容も美術館の要だ。当美術館は開館当初からモダンアートとコンテンポラリーアートに重点を置いていたが、小規模な展覧会を開くだけではなく、芸術を広く一般の人々に広め、芸術への好奇心を呼び起こす場所にしたいと、創立者のバイエラー夫妻も言っていた。そのためには有名な芸術家の作品を展示するだけではなく、現代アーティストを世に送り出す場を提供することも我々の任務だと思っている。
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山上に石の花冠 マリオ・ボッタ氏の設計
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2017/04/04
世界的に有名なスイスの建築家マリオ・ボッタ氏が設計した作品「Fiore di pietra(石の花)」がティチーノ州モンテ・ジェネローゾの山上に完成した。(SRF/swissinfo.ch)
今回の設計は、マリオ・ボッタ氏にとってある種の「帰郷」を意味した。ボッタはまさにこの建物が建てられた場所から見える山々 を眺めながら育ったからだ。
「石の花」のプロジェクト費用は2千万フラン(約22億円)。また、同プロジェクトの完成に必要な建築材料を山上に運ぶため、特別なケーブルカーを設置しなければならなかった。
ボッタ氏は日本でもよく知られた建築家。東京都渋谷区にもワタリウム美術館を建てている。
(英語からの翻訳・大野瑠衣子)
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