民主主義を実践する力、学校教育ではぐくむ
民主主義の模範とされるスイスだが、若者には民主主義を支えるための知識も能力も不足している。そこで政治教育を刷新し、政治の知識と能力を若者に身につけさせるための試みが始まった。
この記事はスイスインフォの直接民主制ポータルサイト「直接民主制へ向かう」#DearDemocracyの掲載記事です。当ポータルサイトで紹介している社内外の見識者の見解は、スイスインフォの見解と必ずしも一致するものではありません。
それは中程度のショックだった。1999年の市民性教育国際調査(ICCS)外部リンクでスイスの生徒に対する評価が低かったのだ。評価されたのは物理や生物などではなく、政治教育の分野だ。
2010年の調査外部リンクでも同様の結果に終わった。16年には費用の理由からスイスは調査への参加を見送った。
世界一の直接民主制を誇るスイスは、世界で最も頻繁に投票が行われる国でもある。しかし若者たちに政治に関する知識や理解力が不足していれば、この国の民主主義の行方が危ぶまれる。
スイスでは教育政策が州の管轄のため、全国で同じ教育を行うことが困難だ。そこでドイツ語圏各州の教育担当代表者が集まり、義務教育での目標や授業内容を統一することが決まった。そこで誕生したのが「Lehrplan 21外部リンク」と呼ばれる初等・中等教育向けの新学習指導要領だ。
この新学習指導要領には政治教育が盛り込まれた。目標は簡単に言えば「政治的能力」を伸ばすことだ。
「数学や外国語などの科目と同じように政治もある程度学ぶことができます。どのような機関があるか、権力分立とは何か、なぜ人権が非常に重要なのかといった基本的知識がなければ、政治に適切に関われません」。そう話すのは、北西スイス応用科学大学付属教育大学政治教育・歴史教授学センター長のモニカ・ヴァルディス外部リンク教授だ。同センターはアーラウ民主主義センター(ZDA)外部リンクと連携している。
「どのような機関があるか、権力分立とは何か、なぜ人権が非常に重要なのかといった基本的知識がなければ、政治に適切に関われません」 モニカ・ヴァルディス教授
副教科から抜け出せるか
「それに加え、生徒は政治プロセスについて知らなくてはなりません。そして自分が大事だと思うことを議論で主張できる力を身につける必要があります」(ヴァルディス教授)。教授が特に重視するのは、自分にはどのような権利があり、どのような形で政治に関われるのかを若者が理解することだ。
それが実現すれば素晴らしいことだが、期待はあまりできないと教授は言う。新学習指導要領でも政治教育はあまり重視されず、授業は週に1回だけだからだ。
新学習指導要領(Lehrplan 21)
1.新学習指導要領は学校での授業目標を定めたもので、義務教育におけるコンパスやロードマップの役割を果たす。ドイツ語圏の各州で導入されている。
2.教材には新学習指導要領の目標を実現するための具体的な学習内容が含まれる。各州は独自の重点に基づき教材を選定できる。
3.教員は学習目標を基に授業を行うが、教員の授業への取り組み方が目標達成の決め手となる。
政治問題に対する自分の立場を知る
では政治的能力とは具体的にどのようなものだろうか?1970年代の政治の授業では共和主義に基づき、市民の義務を果たすための教育、つまり選挙と投票への参加を重視した教育が行われた。
最新の政治教育では範囲が広がり、若者が日常生活の中でも政治に関わることが重視される。そのためには生徒は基礎知識のほか、判断能力を身につけなくてはならないとヴァルディス教授は考える。ここでいう判断能力とは、政治に関する情報を読み解く力、批判的な分析力、政治問題に対する自分の立場を見極める力を指す。
それに加え、他人と協力する力・コミュニケーション能力、分析力・問題解決能力、批判的思考力、妥協する力、抵抗力、責任能力、自由を擁護する意志も重要になる。
「政治教育を通し、若者は自分で物事を判断し、政治問題に対する自分の立場を明確に出来るようになります。自分の立場が分かると、ある若者は温暖化防止を求めデモに参加し、また別の若者はデモへの参加はやめようと考えるでしょう」とヴァルディス教授は語る。
以前は右派から「左派の教師が政治教育を行えば、生徒は社会に反抗的な態度を取るようになる」との批判が上がっていた。だが新学習指導要領にはこうした批判は当てはまらない。民主主義に則り、生徒が自らの責任で政治に関わることが目標にされているからだ。
「自分の立場が分かると、ある若者は温暖化防止を求めデモに参加し、また別の若者はデモへの参加はやめようと考えるでしょう」 モニカ・ヴァルディス教授
就職のカギを握る能力
今の教育では若者が労働市場で生き残れる能力、つまり雇用される能力(エンプロイアビリティ)が最も優先されていると、ヴァルディス教授は指摘する。教育は社会の経済性を示す極めて重要な観点だという。
「政治教育では、人々が民主的に共存するためにはどうすべきかという問いに焦点が当てられています。また、社会的価値や規範を見つめなおすこと、判断能力を養うことに重点が置かれています」(ヴァルディス教授)。しかしよく考えれば、政治教育もエンプロイアビリティの強化に役立っているという。なぜなら求人広告ではコミュニケーション能力、チームワーク、問題解決能力、他分野の人と共同作業やプロセスを共同策定する能力などが求められることが多いからだ。
自然科学やITなど学校教育で強く促進されている科目と同様に、政治教育にも人的資本として力が入れられることが理想的だと、ヴァルディス教授は考える。スイスの政治・経済分野では、こうした科目は生活水準を維持し、国の高い革新力を維持するための基礎に位置付けられている。
「政治教育を通し、若者は自分で物事を判断し、政治問題に対する自分の立場を明確に出来るようになります。自分の立場が分かると、ある若者は温暖化防止を求めデモに参加し、また別の若者はデモへの参加はやめようと考えるでしょう」とヴァルディス教授は語る。
以前は右派から「左派の教師が政治教育を行えば、生徒は社会に反抗的な態度を取るようになる」との批判が上がっていた。だが新学習指導要領にはこうした批判は当てはまらない。民主主義に則り、生徒が自らの責任で政治に関わることが目標にされているからだ。
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役を演じる
ヴァルディス教授によれば、目標達成には授業で知識を教えるだけでは足りない。それだけでなく、生徒が政治家に取材をして疑問を解決したり、政治活動家の役を演じたりする参加型学習も大事だという。例えばZDAでは若者討論会(Jugend debattiert)や立法過程を疑似体験するシミュレーション授業(Politik macht Gesetz)を学校に提供しており、好評を得ている。
新学習指導要領では高い目標が掲げられているが、どうやって実際の授業に取り入れるべきだろうか?少なくともそれに必要な期間は計画されている。「新学習指導要領は現在導入期間で、教員の再研修が始まったところです」(ヴァルディス教授)
目標を達成するにはいくつもの難題が立ちはだかる。そのため教員は研修中に必要な支援を得るべきだとヴァルディス教授は考える。「生徒から難しい質問が来ることもあるので、教員は知識を深める必要があります。教員は教科書の内容をはるかに上回る専門知識を持たなくてはならないのです」
連邦制の壁
難題の一つが連邦制だ。スイスでは教育分野は州の管轄のため、学習目標の実行は各州の教育担当局外部リンクに委ねられている。そのため新しい政治教育が功を奏すかは各当局の取り組みを見守るしかない。
そして教育目標が新しくなっても変わらないことがある。それは、授業が充実して活気あるものになるかどうかは、教員の授業への取り組み方に左右されるということだ。
(独語からの翻訳・鹿島田芙美)
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