スイスの「生物多様性イニシアチブ」は行きすぎ?それとも必要?
9月22日のスイス国民投票で、生物多様性の保護を憲法に明記するイニシアチブ(国民発議)の是非が問われる。自然保護団体が出した提案だが、政府や議会など各方面が反対している。
スイスでは世界の他の国々と同様、生物多様性の損失が進んでいる。自然環境の半分、動植物・菌類など種の3分の1の存続が脅かされているのが現状だ。連邦環境局(FOEN)によると、この傾向は他の欧州諸国よりも深刻だ。
生物多様性のさらなる損失を食い止めるため、自然保護団体や環境保護団体が2020年9月、「私たちの自然と景観の未来のために」と題するイニシアチブ(国民発議)を立ち上げた。「生物多様性イニシアチブ」とも呼ばれるこの提案は、9月22日の国民投票で是非が問われる。
いかなるスイス市民も、イニシアチブを起こして憲法改正案を提案できる。それには、10万人の署名を18カ月以内に集める必要がある。その後、提案の是非が国民に問われる。イニシアチブが可決されるには、憲法の改正という重大な決定であるが故に、国民と州の過半数の賛成が必要だ。
提案の内容は?
自然、景観、建築遺産の保護強化を州・連邦に義務付ける条項を憲法に追加する。連邦・州は生物多様性の保護・向上に土地や予算を充てる義務を負う。具体的な数値については、条項では触れていない。
スイスの生物多様性の現状は?
スイスは欧州の中心に位置し変化に富む地形のため、豊かな生物多様性に恵まれる素地がありながら、その多様性は1900年以降、著しく減少している。
環境局の 「生物多様性報告書2023 」外部リンクによると、評価対象の植物、動物、菌類(1万844種)の35%が絶滅の危機に瀕し、また12%が潜在的な絶滅の危機にある。
環境局は報告書で「評価対象となったスイスの在来種の半数近くが危機的な状況にある」とした。自然環境についても48%が絶滅の危機に瀕し、13%が潜在的な脅威にさらされているとした。
スイス当局、科学界、経済協力開発機構(OECD)、欧州環境機関(EEA)は、既存の対策は一定の効果はあるものの、自然環境や種の消滅を食い止めるには不十分だと指摘している。
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イニシアチブが可決された場合にかかるコストは?
イニシアチブ発起人らで作る委員会は、生物多様性を保護するためより多くの予算・人的資源を割くよう要求している。しかし具体的な措置には言及していない。連邦政府はイニシアチブに関する回答外部リンクの中で、それが理由で公的機関にかかる具体的な財政的影響を算出できないと述べた。ただイニシアチブの実現には少なくとも2億1500万フラン(約380億円)の政府支出が必要だと試算する。
賛成派の意見は?
スイスの生物多様性の現状は良好とは言えないーーこれは政府も認めている。現行の対策では今後も損失が広がる一方だ。イニシアチブ委員会はこのため、連邦と州にさらなる努力を求める。生物多様性は「私たちの生命の源」であり、それを維持するためには保護生息地の面積、質、相互関連性を増やし高めていかなければならないと訴える。
委員会はまた今対策を講じなければ種の絶滅は天文学的な損失をもたらすと警告する。環境局の試算では、2050年には年間140億~160億フランの経済的損失が発生する可能性があるという数値も出ている。
賛成派は、多様な自然環境は気候変動による影響に対処しやすくなるとも強調する。
反対派の意見は?
反対派はこのイニシアチブの内容を「極端で非効率的」と批判。生物多様性の促進には現行法で十分だという考えだ。
イニシアチブ反対派で作る委員会は、もし可決されれば国土の約30%が保護対象になってしまうと懸念する。使用不可な土地が増えることで食料生産が制限され、再生可能エネルギーの生産も妨げる。6月9日の国民投票で再生可能エネルギー促進のため発電施設の新規建設を容易にする電気法が可決されたばかりだが、今回のイニシアチブはこれと逆行しているとも訴える。また保護対象の森林面積が拡大すると、林業が打撃を受ける。
連邦内閣(政府)は生物多様性の現状を懸念しつつも、イニシアチブの内容は行き過ぎだという立場だ。特に連邦と州の自由裁量権を過度に制限している点を問題視する。当局の裁量権が制限されると、エネルギー政策や農業政策などで大きな矛盾が生まれる可能性がある。
ただ生物多様性を守る措置は急務として、政府はエネルギー政策目標と相反しない対案を提出した。しかし連邦議会が対案を否決したため、イニシアチブのみが国民投票にかけられることになった。
政界、業界の反応は?
プロ・ナトゥーラ、スイス文化財保護協会(SHS/PS)、バードライフなどの自然保護団体と環境保護団体がこのイニシアチブを支持する。
しかし左派以外の支持を得られていない。政界で賛同するのは緑の党(GPS/Les Verts)と社会民主党(SP/PS)だけで、中道・自由緑の党(GLP/PVL)内は賛否が分かれる。
政府と議会はイニシアチブの否決を勧告している。反対派でつくる同盟も結成された。その中には右派・国民党(SVP/UDC)、中道右派・急進民主党(FDP/PLR)、中道・中央党(Die Mitte/Le Centre)が名を連ねる。スイス農家組合をはじめとする農業界のほか、経済団体も反対している。
英語からの翻訳:宇田薫、校正:ムートゥ朋子
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