美容と健康にポールダンスを
20年余り前に私はスイス国ジュラ州の住民となった。当時に比べれば日本人在住者はかなり増えているとは言うものの、他州に比べれば格段に少ない。そのような州だからこそ、日本関係のイベントは、同胞との出会いの場として貴重な機会である。
今回登場する佐藤ジュイレラ砂月(さつき)さんとは、2013年初頭、私が会場係として東日本大震災支援の写真展で働いていた時、たまたまご主人と展示を見に来てくれたことがきっかけで知り合った。
ポラントリュイ市出身の男性と結婚した砂月さんは、どちらかというと控えめな女性に見えるが、実は、日本に於いては、複数のポールダンス教室の経営者という、稀有な存在である。スイスには多岐にわたる分野で輝かしい活躍をする日本女性が多いが、砂月さんがいらしたことで、日本人社会に新しい風が吹き込まれた。
先日、日本から砂月さんの生徒2人を招いて催された、ポールダンスワークショップにお邪魔してきた。ワークショップとは、本来、「作業場」や「工房」と言った意味であるが、現代においては参加者が経験や作業を披露したり、討論をしながらスキルを伸ばしたりする場となっている。
ワークショップは、ポラントリュイ市旧市街にある「ギャラリー・ドゥ・ソバージュ」で行われた。ギャラリーという名ではあるが、芸術作品だけでなく、積極的に州内外、及び世界各国からアーティストを招いてイベントを行い、地域振興及びユニークな国際親善の場となっている。
古い納屋を改築したこのギャラリーにポールが立てられるのか?と半信半疑で見に行ったが、砂月さんがフィンランドから取り寄せた組み立て式の頑丈なポールが、ご主人のレジスさんの助けで天井と床にしっかりと固定されたのには驚嘆した。
ワークショップでの見学は自由だった。興味はあるけれど少し恥ずかしい・・・と、今回は見学者の方が多かったが、勇気ある友人母娘(以前このブログで紹介した日本レストラン「小町」の経営者綾子さんと長女カリンちゃん)が参加した。
まず、アイソレーションと呼ばれる準備体操が、10分間ほど砂月さんの指導で行われた。この写真1枚だけでは伝え切れないのが残念だが、これだけでも軽く汗をかき、かつ身体のシェイプアップになるような、結構な運動量である。首から始まり、体の各部位を動かしたり回したりして、柔らかくしていく。
アイソレーションの後は、各参加者のレベルに合わせてのレッスンが始まった。まず、砂月さんがお手本を演じ、それを各人が練習する。1つ1つの動きを丁寧に指導してくれるので、安心できる。特に日本語での指導は日本人にとって分かりやすく大変ありがたい。ポールはまったく初めてという綾子さん母娘も楽しそうに学んでいた。
砂月さんの気取りなく温かなお人柄が練習風景にもにじみ出ていた。リラックスして臨める環境の中で、ポールダンスに対するあらゆる垣根が取り払われていくように思えた。運動神経はほぼゼロの私だが、見ているうちに「こんなに楽しいのなら自分にもやれるのではないか?やってみたい!」という前向きな気持ちになっていった。
以前の私にはまったく無縁の世界だった、ポールダンス。セクシーさが売りで、ナイトクラブなどで女性が披露するダンスという知識ぐらいしかなかったが、インターネットで調べてみると、現在、日本では、年齢性別問わず、スポーツ感覚、もしくは健康や美容のために教室に通う人が増え、人気急上昇中だという。「70歳を超えた生徒さんもいらっしゃいますよ。運動が元々苦手という生徒さんの中から、うちの教室に通った結果、ポールダンス世界大会で優秀な成績を収める選手も出ました」
砂月さんの力強い言葉は、人生のターニングポイントを過ぎて、ともすれば向上心が萎みがちな私を否応なく奮起させてくれた。
ここで、砂月さんがポールダンス教室を開くまでの経緯をかいつまんでお話しよう。
砂月さんは栃木県宇都宮市で生まれ育った。18歳で渡米し、縁あってナイトクラブでポールダンサーとして修業することになった。やがて、昼間は日本の音楽会社のロサンゼルス支社で働き、夜はポールダンサーとしてステージに立つという激務をこなすようになった。
その後、アメリカを離れて世界の国々を気ままに旅行している時、父親が病に倒れたという知らせを受け取った。急遽帰国した砂月さんの献身的な看病の甲斐なく、父親は帰らぬ人となってしまった。
砂月さんは20歳の若さで一家の大黒柱として働くことになった。昼間は会社でシステムエンジニアとして、夜はポールダンサーとして働くという超多忙な生活が再開した。
23歳の頃、働いていたナイトクラブの客がいない昼間の時間帯を借りて、週末だけの一般向けポールダンスワークショップを始めた。生徒はうなぎのぼりに増え、受講開始まで半年待ちという大盛況ぶりであった。そのため、砂月さんは、自分が経営者となって正式に教室を開く必要があると感じ出した。
そして2003年、遂に、会社勤務で貯めた資金と、心ある人達からの援助で、高田馬場にポールダンス教室を開設した。雨後の筍のようにポールダンス教室が日本各地に設立され始めた年だったという。
砂月さんの教室は、ポールダンスブームの先駆け的存在の1つとなり、老若男女の一般人だけでなく、有名女優やタレントも通ってくるようになった。帰国時に砂月さんの生徒の1人がテレビのバラエティ番組でポールダンスを踊るのを見たことがあるが、高齢にもかかわらず、見事なプロポーションで妖艶なダンスを披露、観客からの喝采を浴びていた。
勤めを辞め、教室経営者として獅子奮迅の働きを見せていた砂月さん。生徒数、教室数も順調に増えていった頃、1つの劇的な出会いが砂月さんをスイスに誘う(いざなう)ことになる。
その頃、ある企業の日本支社で働いていたポラントリュイ出身のスイス人レジス・ジュイレラさんは、砂月さんがダンサーとして出演しているポールダンスイベントに通っていた。頻繁に顔を合わせるようになった2人は、いつしか愛を温めるようになった。
ところが、運命のいたずらか、ある日、砂月さんはダンサーとして大切な右腕を骨折。手術で骨折は治ったものの、以前と同じようなコンディションでポールダンスができなくなってしまった。
一流ダンサーとして歩んできた道はほぼ絶たれてしまったものの、ポールダンス教室経営者、そして指導者として生きていくことを決意した砂月さんは、教室の振興と後継者育成に活路を見出した。そして2012年にレジスさんと日本で婚姻。2013年からレジスさんの就職に伴って、スイス定住が決まった。
現在、砂月さんはスイスで始めたビジネスの傍ら、定期的に日本に行き、スタッフに任せている教室管理をチェックしたりレッスン場にも顔を出している。
スイスでのポールダンス教室は、自宅があるフリブール市での個人レッスンを主としていたが、この春、前出のギャレリー・ドゥ・ソバージュでのワークショップを皮切りに、ポラントリュイ教室の開講が決まった。
今のところ、毎月最終日曜日の午後に2クラスが設けられている。難しい技術をこなすのではなくダンスをメインにした「セクシーポールムーヴメントクラス」と1人1人のレベルに合わせてポールダンスの技術(スピンなど)を学ぶ「ポールトリッククラス」である。
砂月さんは「ポールダンスは腹筋、背筋を鍛えるので美容ダイエットに最高です」と熱く語る。スポーツとしても優れている上、気持ちのリフレッシュ、アンチエイジングにも一役買うそうだ。下半身が引き締まり、産後の回復にも効果的だとか。
砂月さんを慕うあまり、スイスにまでレッスンを受けに来てしまったという、生徒の裕子さんと久美子さんは美肌で実際年齢より若く見え、砂月さんの言う「ポールダンス効果」を身を持って証明してくれている。
近年スイスでもポールダンス人気は上昇中で、連盟も発足している。スイス全土では、連盟所属の教室(クラブ)が20、非所属を含めると40ほどになるそうだ。ジュラのような小さな州でも、私が知っている限り4教室存在する。
小柄で、あまりにも謙虚なために、一見おとなしく見えがちな砂月さんだが、指導者、経営者としての才覚は計り知れない。スイスに於ける抱負を尋ねてみると、次のような答えが返ってきた。
「これから少しずつ生徒を増やして育成して、スイスのポールダンス選手権に自分の生徒を出場させることが夢です」
日本とスイスは、ポールダンス国際選手権の各カテゴリーで、上位入賞者を数多く輩出しているという共通点がある。去年より、日本・スイス国交樹立150周年の祝賀行事が数多く行われ、両国の絆が各界においてしっかりと結び直されたが、新興分野であるポールダンスを通じた日瑞友好の鍵は、砂月さんの掌中にあるのかも知れない。
取材に快くご協力下さった砂月さん、生徒の久美子さんと裕子さん、そして練習風景写真掲載の許可を下さった皆様に、心から御礼申し上げます。
マルキ明子
大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。
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