ハイジと聞いて世界中の多くの人が思い浮かべるのは、日本のアニメ版ハイジだろう。日本人が制作したテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」は、スイス人作家ヨハンナ・シュピリが書いた「ハイジ」のイメージに大きな影響を与えた。この夏、日本版ハイジをテーマにしたスイスで初めての展覧会がチューリヒのスイス国立博物館で開催されている。
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チューリヒのスイス国立博物館で展覧会「Heidi in Japan外部リンク(日本のハイジ)」が開催されている。2019年7月17日~10月13日まで。スイスと日本の文化の出会いに光を当てながら、セル画、ロケハンの写真などとともにアニメの制作過程が紹介されている。
実は当初アニメ化が予定されていたのは「ハイジ」ではなかった。のちにスタジオジブリ外部リンクを設立した高畑勲外部リンクと宮崎駿は、1970年代の初め、スウェーデンの冒険物語「長くつ下のピッピ」をアニメ化するための作業に取り掛かっていた。主人公のピッピは赤毛を三つ編みにした女の子で、作業外部リンクは着々と進んだが、最終的には原作者のアストリッド・リンドグレーンがアニメ化を拒否した。その後リンドグレーンが了承したのは90年代に入ってからだった。
ピッピの制作を断念せざるを得なかった高畑たちは、女の子を主人公にした別のヨーロッパの物語に目を向けた。それがハイジだ。ヨーロッパの児童書はすでに19世紀から日本語に訳され始めていたが、ハイジが訳されたのは比較的遅く、ヨハンナ・シュピリの執筆から40年が経った1920年だった。その物語は大きな成功を収め、多くの日本人と同様に幼いころ高畑もハイジを読んでいた。
地上のパラダイス、スイス
ハイジの物語は、近代化に対する田舎生活を描いた牧歌的な物語として多くの人に読まれ、日本人にスイスが自然の美しい平和な国だというイメージを植え付けた。
そのイメージが強すぎたためか、ハイジの翻訳者でフェミニストでもあった野上弥生子は、スイスに滞在した際にこの国が武器輸出国だと知り、「私たち観光客が、この平和に満ちた国、世界から取り残された理想郷スイスを見たいと夢見ている間に、その住人たちは密かに機関銃を組み立て、大砲や砲弾を作っていたとは!」と大いに憤慨したという。だが彼女のこの嘆きが日本人に浸透することはなかった。ハイジは日本のヨーロッパ文学書の訳本の中で最も読まれた物語の一つになった。
60年代、日本のアニメ映画界は厳しい時を迎えていた。競争で収益に大きな影響が出ていたため、プロデューサーらはヨーロッパ市場にも目を向けるようになった。そのため、日本の国内外で受け入れられる作品作りを目指した。そうしてハイジが、日本のアニメ映画市場を真の意味で世界に開いた最初の作品となったのだった。
「アルプスの少女ハイジ」の制作者らは、できるだけ原作に忠実な作品作りを心掛けた。だが、原作にはないセントバーナード犬のヨーゼフを登場させたり、背景の異なるアジアでは理解されにくいと思われた宗教的なシーンをカットしたりするなどの手が加えられた。
国際的な栄光
ハイジのアニメは国際的に大きな成功を収めた。20カ国語に訳され、多くの国で放送された。子供向けの日本のアニメ作品ブームのきっかけにもなった。低予算で少ない作画枚数で作られることの多かったアニメの中で、ハイジはずば抜けて質の高い作品だった。
現在世界中で高い評価を受ける長編アニメの数々を生み出している、有名なスタジオジブリの設立資金の礎(いしずえ)になったのも、ハイジの成功だった。ハイジは、あらゆる世代の日本人にスイスへの一種のノスタルジックな感情を芽生えさせた。今でも毎年数えきれないほどの日本人観光客がハイジの故郷と言われるマイエンフェルトを訪れている。
(仏語からの翻訳・由比かおり)
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