スイスを震撼させた8つの「スパイ事件」
米独の情報機関がスイス製暗号機器を使って世界各国の機密情報を秘密裏に収集していたというスキャンダルが浮上した。スイスが絡むスパイ事件は、これが初めてではない。
ロシア人エージェント
2018年、2人のロシア人エージェントがオランダで逮捕された。2人がスイス中西部ベルン州のシュピーツという町に向かう途中なのは明らかだった。英南部ソールズベリーで起きたロシアの元スパイに対する毒殺未遂事件をめぐり、使用された薬物を調査していたのがシュピーツにある核・生物・化学兵器防衛研究所外部リンクだったからだ。スイス連邦情報機関(FIS)はこの逮捕劇に一役買っていた。「スイスの極めて重要なインフラに対する違法行為の阻止するため」だったという。
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ダニエル・M
2017年11月、独フランクフルトの裁判所は、スイスの元警察官で治安の専門家、また私立探偵のダニエル・M氏に対し、独ノルトライン・ヴェストファーレン州の独税務当局に対するスパイ行為の罪で有罪判決を下した。判決は、執行猶予付きの懲役22カ月、罰金4万ユーロ(約500万円)だった。
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ダニエル・M氏はスイス銀行のドイツ人顧客を追跡していた調査官を特定する目的で、税務当局内にスパイを送り込んだ罪で起訴されていた。同氏はFISの依頼で任務を行ったことを認め(FISからは報酬も支払われた)たが、スパイを送り込んだことについては否定した。
銀行員の内部告発
2015年11月、金融大手HSBCスイスの元従業員で、内部告発を行ったエルヴェ・ファルチアニ氏が、スパイ行為の罪で懲役5年の有罪判決を受けた。同氏はIT業界出身のフランス人で、2008年にジュネーブのHSBCのプライベート・バンキング部門で保管されていた顧客情報を盗み、フランス当局に引き渡した。そのデータには約10万6千人分の顧客情報が含まれていたとされ、フランスのクリスティーヌ・ラガルド元財務相からさらに別の国へ渡った。これが俗にいう「ラガルドリスト」だ。ファルシアーニ氏はフランス、その後スペインに逃れた。スペインは2018年、スイス側の身柄引き渡し要求を拒否した。
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クロード・コヴァシ
次に名前が挙がるのはクロード・コヴァシという人物だ。彼はFISから、ジュネーブ・イスラム・センターのイマーム(礼拝指導者)で要注意人物としてマークされていたハニ・ラマダン氏を内偵するよう依頼を受けた。任務は、センターがイスラム原理主義者のアジトになっているかどうかを調べることだった。2006年、コヴァシ氏はこの情報をメディアに内部告発し、のちにイスラム教に改宗した。コヴァシ氏は13年、42歳で死亡した。
ベラージ事件
2003年、スイス連邦情報機関の元職員ディノ・ベラージ氏は、1994年から1999年にかけて880万フラン(現在のレートで9億6800万円)を不正に横領した罪で懲役6年の有罪判決を受けた。国防省の会計担当だったベラシ氏は、架空の軍事演習をでっちあげて資金を不正に引き出すなどし、詐欺、横領、文書の改ざん、マネーロンダリング(資金洗浄)などの罪で起訴されていた。
フィシュ・スキャンダル
スイスで最大の政治的危機を引き起こしたのは、1989年に発覚した「フィシュ・スキャンダル」(フィシュは文書ファイルという意味)だ。1900年以来、約90万に上る個人や組織の動向が、連邦警察の監視下に置かれていた。当時の国民20人に1人に上り、うち3人に1人は外国人だった。個々に作成されたファイルには、その人物の「スイス人にあるまじき行動」が記録されていたが、そうした標的のほとんどが政治的左派に属していた。
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軍の秘密部隊「P26」
フィシュ・スキャンダルの調査によって明るみになったのは、冷戦時にスイス軍が作った秘密部隊「P26」だ。共産主義の侵略に備え、 スイス軍が1950年代にゲリラ部隊を作ったーというものだ。このスキャンダルは国民から強い批判が起き、P26は1990年に解体された。
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2018年、連邦国防省は30年前にさかのぼるP26の調査で、27の未公開のバインダーやファイルが「見つからなかった」と発表。これに対し、専門家は中立国であるはずのスイスが(非加盟の)北大西洋条約機構(NATO)に近づいていたこと、また他国の情報機関と連携していたという恥ずべき事実を隠すため、破棄したか、故意に紛失したのではないかと批判した。2019年、議会の委員会も、調査の結果、文書の行方は分からなかったと発表した。
ジャンメール事件
1977年、秘密軍事裁判所は、ジャン・ルイ・ジャンメール准将(当時67)に対し、1962~1975年に駐ベルンのソビエト外交官に重要な防衛情報を渡した罪で有罪判決を下した。懲役18年という実刑判決は、平時のスパイ事件でスイス国民に下されたものとしては最も厳しい。ジャンメール氏は刑期の約3分の2を終え、模範囚として保護観察付きで釈放された。
検察官は、ジャンメール氏が「取り返しのつかない損害」を引き起こし、さらには「最も重要な」情報を渡したと断罪した。政府の報告では、ジャンメール氏が売ったのはスイス軍の動員計画だったという。この事件は西ドイツの諜報機関の情報がきっかけで発覚したとされている。
(英語からの翻訳・宇田薫)
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