スイス国内の農薬の使用および販売を制限するよう求める2つのイニシアチブ(国民発議)が先月、国民議会(下院)で議論された。有害化学物質を段階的に禁止するためには、農薬メーカーとスイス連邦政府は取り組みを強化すべきだと国連の有害廃棄物特別報告者は指摘する。
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昨年来、世界の農薬業界には嵐が吹き荒れている。ドイツの製薬会社バイエルの子会社モンサントが製造した除草剤「ラウンドアップ」の発がん性を巡る訴訟で、カリフォルニア州連邦地裁はバイエルに賠償金など8千万ドルの支払いを命じる評決を出した。この評決は農業関連産業に衝撃を与え、除草剤グリホサートの名が世間に知られるようになった。スイスでは、水路で検知された過剰な水準の農薬、ミツバチの減少からスイス人男性の精子の質の低下に至るまで、農薬との潜在的な関連性が相次いで報道され、世間の注目が高まっている。
農薬の使用規制に関するスイス連邦政府のこれまでの立場は曖昧で一貫性がない。2017年に採択された農薬削減のための行動計画の実施が当初の見込みよりも遅れていることで連邦政府は批判されている。その一方で、スイスは先月、クロルピリホスとクロルピリホスメチルを含む12種の農薬を禁止し、近隣欧州諸国に先んじた。
農薬が人権に与える影響に関する国連人権理事会の特別報告者、バスクト・トゥンジャク氏はスイスインフォとのインタビューの中で、各国政府や産業界は何をすべきかについて自身の見解を示した。
スイスインフォ:目下、トゥンジャク氏が最も懸念することは何でしょうか。
バスクト・トゥンジャク:私が非常に懸念するのは、影響を受けやすい成長期の子供が広範に化学物質にさらされていること、そして、より低い暴露レベルでも時間とともに化学物質の毒性はより一層高まると考えられることだ。人の精子の減少から乳がんの罹患率の上昇に至るまで、さまざまな健康問題で児童期の化学物質への暴露との関連性が指摘されるケースが増えている。特に懸念されるのは、複数の化学物質への暴露が組み合わさり、互いに作用して健康に影響を及ぼすプロセスだ。
個々の化学物質への暴露リスクに注目して実施したアセスメントはまだ少ない上、それらは子供の人権を考慮していない。我々は、これらの化学物質が健康に及ぼすありとあらゆる微妙な影響を解明しているところだ。その結果、後天的に発症する病気や障害に関する考え方が大きく変わりつつある。児童期の化学物質への暴露拡大は、科学的見地からだけではなく、約200カ国が承認した価値、原則、児童の権利という観点からも非常に懸念される。
スイスインフォ:農薬が安全でないのは不適切に使用された場合だけだと主張する企業があります。安全に使用できる農薬とそうでない農薬の法的な線引きはどうすべきでしょうか?
トゥンジャク:欧州連合(EU)は、一部の化学物質について、農業従事者など一部のユーザーの暴露レベルを正確に査定することができないため、暴露レベルとその影響が不確かであることを認めるアプローチが必要だと判断した。「安全な使用」という概念は産業界による作り話だ。多種多様ある化学物質に適用することはできない。特に発展途上国では、化学物質の使用を監視する能力も規制する能力も限られている。
そのため、欧州ではより慎重なアプローチが取られてきた。米国と欧州における農薬の規制方法の相違について私が13年に実施した研究で、欧州では禁止されているが米国では認可されている農薬が80種あることが分かった。その一方で、クロルピリホスなどの欧州では認可されている農薬が最近になって、カリフォルニア州など米国のいくつかの州で禁止された。
スイスインフォ:農薬を販売するにあたって、責任あるアプローチとはどのようなものでしょうか?
トゥンジャク:販売後に起きることについて、農薬メーカーやその他の化学薬品メーカーには人権デューデリジェンス(人権を守る正当な注意義務)が著しく不足している。
例えば、アフリカのたばこ産業では、児童が働いている農園で、毒性の高い農薬が使用されていることが分かっている。もし、児童がこのように毒性の高い農薬を使っていれば、それは児童労働の最悪の形の1つだ。
私の知る限り、ドイツに本拠を置く化学薬品メーカー1社だけが、断固とした姿勢で自社製品が人権に与える影響を特定しようとしている。ほとんどの化学薬品メーカーは、人権デューデリジェンスに関して、非常に表面的なアプローチを取っている。
有害物質と人権の問題は化学薬品メーカーだけに関わるのではない。食品・飲料産業などすべての企業が、農薬や有害な化学物質を使用して製造された製品を購入する際に、また廃棄する際に、正当な注意を払うことが重要だ。
スイスインフォ:この点、スイスに本拠を置く農薬大手シンジェンタはどうですか?
トゥンジャク:一部の毒性の高い農薬を廃止することはできないというシンジェンタの議論に私は完全には納得していない。しかし、そう主張するのは同社だけではない。多くの企業が最も有害な農薬から段階的に廃止すると随分前から約束しているにもかかわらず、それらの使用はむしろ増加しているようだ。化学物質であるか有機物質であるかにかかわらず、安全な代替品の開発に一層努力し、投資する必要がある。国連食糧農業機関(FAO)の専門家によれば、そのような代替品の開発は可能だ。とっくにそうしていなければならないと私は思う。
スイスインフォ:スイス連邦政府に期待することは何か?
トゥンジャク:スイス政府は国際的レベルでもっと熱意を示すべきだ。国連では目下、10年以上前に採択された化学物質の管理に関する包括的枠組み合意外部リンクの今後が議論されている。この法的拘束力の無い枠組みは機能していないとの見解が支配的だ。特に、枠組み合意の下で行った約束について政府に説明責任が無いのが問題だ。過去13年間、この枠組みの下で毒性の高い農薬の段階的禁止に著しい進展は見られなかった。
国際的な懸念事項である有害な化学物質の段階的禁止を実現するには、化学物質の安全性に関する義務と責任について、政府や産業界に責任を課すシステムを整備する必要がある。そのためには、スイス政府のリーダーシップが強く求められる。
有害な化学物質ではなく、安全な代替品を使った高度な農業生産システムを国内に構築する技術力と財力がスイスにはある。そのようなシステムが実現すれば、世界中の国々は刺激を受け、追随しようとするだろう。
毒性の高い農薬(HHP)
世界保健機関(WHO)は毒性の高い農薬(HHP)外部リンクを、国際的な分類に照らして、特に高い水準の重大なあるいは慢性的な危険が健康または環境にあると認められる農薬と定義する。しかし、HHPの確定的な一覧は無い。
(英語からの翻訳・江藤真理)
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農薬が自殺手段として使用されることが多い国では、農薬販売を規制して衝動的な自殺を予防するプロジェクトが進んでいる。世界では自殺者の約3割が農薬を使用しており、農薬会社にも自殺予防への取り組みを求める声が上がっている。
スリランカでは2008年、農薬業界に衝撃が走った。同国の農薬に関する技術勧告委員会が、パラコート、フェンチオン、ジメトエートなど一部の農薬を市場から回収するよう命令したからだ。回収の理由は、これまでのように人や環境に与える危険性を回避するためではなく、農薬を使った自殺が同国で多発しているためだった。
世界保健機関(WHO)は、今年9月に発表した自殺防止に関する初の報告書で、農薬による自殺の多さを問題に取り上げている。その数は世界の自殺者の約3割に上ると推測されており、12年だけでも24万人が農薬を服用して自殺したとみられている。特に、農村人口の多くが小規模農業に従事する途上国や新興国で、農薬による自殺が拡大している。
企業責任
農薬が自殺の手段となっていることに対して、スイスの農薬大手シンジェンタなどのメーカーに責任を求める声が上がっている。しかし、「薬物や薬を使った自殺があるからといって製薬会社が責任を持つべきか、と尋ねるのと同じだ」と、国際自殺防止協会(IASP)のヴァンダ・スコットさんは話す。
農薬メーカーは農家を対象に、製品の安全な取り扱いに関する講習会を企画しているが、一方で農薬が本来の用途以外で使用されることについてはあまり関心がないようにもみえる。
シンジェンタの広報担当者は「農薬の事故と自殺目的での服用を分けて考える必要がある。使用説明書に沿って本来の用途に使用される限り、農薬は安全で効果的な製品だ」と話す。
自殺予防団体や研究者たちは、農薬メーカーの置かれている微妙な立場を認識している。
インドの自殺予防団体「スネハ(Sneha)」を設立したラクシミ・ヴィジャヤクマールさんは「死と結び付けられる製品を好む人などいない。農薬メーカーは問題に取り組む道を模索してはいるが、同時に、製品を売らなければならない」と言う。
農薬メーカーは、農薬の不正使用に対する直接的な責任は認めてはいないが、農薬へのアクセス制限が自殺予防につながるとの考えを示している。
スイスの農薬メーカー、バイエルクロップサイエンスの広報は「農薬を鍵のかかった場所に保管し、限られた人しかアクセスできないように制限することで、事故や自殺を防ぐことができる」と話す。
シンジェンタもまた、農薬の安全な保管方法を確保するために研究者や団体と協力する必要性を認めている。「私たちだけでは問題を解決できない。そのため、WHOやIASPと5年以上協力し、メンタルヘルスや農薬の安全な保管方法などを中心とした自殺予防プログラムを支援している」(同社規制管理部)
安全な保管方法の確保
自殺予防分野のトップ研究者たちが集まった07年のWHOの会議では、アジアの農村地帯で農薬を鍵付きの棚で安全に管理した場合に、どれほどの自殺予防の効果があるのかについて調査することが決まった。農薬の管理方法に注目されたのは、精神的に悩みを抱える人が簡単に農薬を入手できないようにするためだ。
調査国としてインド、スリランカ、中国が選ばれた。インドでは、農薬による自殺は首つり自殺の次に多く、自殺方法の第2位だ。
インド政府によれば12年の自殺者13万5445人中、約15%にあたる2万人以上が農薬を使って命を絶った。しかし、インドでは自殺が社会的に恥で、犯罪行為であることなどを考慮すると、報告されていない自殺も多い。
農薬を鍵付きのロッカーで集落ごとにまとめて管理する試みは、10年に初めてインドのタミル・ナドゥ州の二つの村で実施された。
「この村では花が栽培されており、15日ごとに農薬が散布される。農薬の使用頻度が高いことからこの村が選ばれた」と、調査を進めているヴィジャヤクマールさんは説明する。
当初、二つの村は共同の保管ロッカーの導入に消極的だった。畑とロッカーの間を行き来しなければならなくなるからだ。だが、通うのに便利な場所にロッカーが設置され、また定期的に店に農薬を買いに行く必要もなくなるので、最終的には人々に受け入れられた。
「初めは理解を得られず、保管ロッカーの利用率は4割だった。だが、今は満杯で、もう一つ保管場所を確保しなければと考えているところだ」(ヴィジャヤクマールさん)
結果としては、二つの村では導入から18カ月間で自殺者は26人から5人に減り、自殺防止に効果がみられた。
農薬へのアクセスを制限することで、さらにマハーラーシュトラ州やアーンドラ・プラデシュ州、チャッティースガル州、カルナータカ州などの半乾燥地域でも自殺防止が見込まれている。この地域では、農業従事者の6割が自殺し、農薬を使った自殺が多い。
農薬の入手制限プロジェクト
農薬の管理方法を変えること以外にも、「有毒な農薬の一部を販売禁止にすれば自殺予防に大きな効果が期待できる」とヴィジャヤクマールさんは指摘する。
例えばスリランカは1995年、WHOが最も毒性が高いとする農薬の輸入・販売を制限し、98年には殺虫剤に使用されるエンドスルファンも制限した。これにより、同国ではこの時期の自殺者数が減少。規制実施後の10年間(1996~2005年)では、それ以前の10年間(1986~95年)と比べ、自殺者は約2万人少なくなった。
WHOは自殺防止に関する報告書で、管理方法の見直しや販売制限など農薬へのアクセスを制限することは「このおびただしい数の自殺者を減らす手段として、大きな可能性を持つ」と指摘している。首つりや、薬物や銃による自殺に比べ、農薬自殺の危険のある人は見つけやすく、農薬に近づけないようにすることも簡単だからだ。
英エディンバラ大学の研究員、メリッサ・ピアソンさんは現在、農薬を安全に管理し自殺予防を試みるプロジェクトをスリランカで進めている。「農薬自殺の多くが、衝動的で発作的なものだ。インドや中国、スリランカのこれまでの調査から、自殺率の高い他の国で見られるような、死に対する強い決意があるわけではないことが分かっている」
ピアソンさんのプロジェクトはスリランカの162の村で2010年に始まった。農薬の入手制限による自殺予防計画では最大規模の試みで、注目が集まっている。プロジェクトの成果報告書は、インドと中国の調査データと同様に、16年に発表が予定されている。
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