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「恥をかくことは悪いことではない」とスイスの哲学者

「恥ずかしい気持ちは、常に悪い感情だというわけではない」と研究者 imagepoint

恥はマイナスな感情でないばかりか、個人や社会にとってかなりの倫理的価値があることがジュネーブの哲学者3人の研究で分かった。

ジュネーブの連邦科学研究能力センター(NCCR)感情科学研究所外部リンクのジュリアン・デオンナ氏、ラファエレ・ロドーニョ氏、ファブリス・テローニ外部リンク氏は最近、感情の一つである「恥」に関する本を出版。この本は多くの議論を醸し出しそうだ。

 本の題名は『In defense of shame外部リンク(仮訳:恥を弁護するために)』(オックスフォード大学出版)。なぜ恥を弁護する必要があるのだろうか?

 「心理学では恥は倫理的に悪い感情で、恥をかかないよう最大限の努力をすべきだとの考えが広まっている。そうした考え方から恥は守られるべきだ」。著者の1人デオンナ氏は語る。「恥じること自体には、何の問題もない。ただ、価値観や理性によっては、恥は悪いものと考えられがちだ」

 だが実際多くの人は、恥は悪いもので何の役にも立たないと考えている。また、有名な心理学者や自己啓発本は、「有毒な恥」を乗り越えるべきだと強く勧めている。

 デオンナ氏は「ポジティブな気分になることはすべてやるべきで、逆に自己評価を下げるようなことは避けるべきだと私たちは言われてきた」と言う。しかし、恥は本来人にとって良いものだとこの3人の著者は考える。

 「有名な心理学者がいうところの『有毒な恥』は、私たちの間では『不合理な恥』と呼ばれている。確かに、恥ずかしい思いをしている人にとっては、恥はいやなものだと我々も思う」。もう1人の著者ロドーニョ氏は言う。「不合理な恥では、自分が応えられない価値観を押し付けられる。そのために、自分に価値がないように思ってしまう。それは挫折感だったり、恥ずかしい気持ちだったりする。ここで問題になるのは、恥それ自体ではなく、『間違った』価値観を我々に押し付けるメカニズムだ」

 ロドーニョ氏は、今の教育の在り方はホモセクシャルなど標準的な枠から外れた人々には応えられないような価値観を強要していると指摘する。「そんな価値観に縛られているために感じてしまう恥など気にしない方がよっぽど良い」

なぜ恥じるのか?

 ところで、どうして私たちは恥ずかしいと感じてしまうのだろうか?よく言われているのは、恥は社会的感情で、他人の前で自分がみっともなく見えるときに感じる感情だということだ。

 ところがこの3人の著者は、恥はとても個人的な感情だと考えている。恥の定義としては、自分が自分の価値観に合っていないと気付いたときに感じる感情だという。そのため、人のアイデンティティは恥のせいで崩壊もしかねないのだ。

 だが、恥じるからこそ、自分の価値観に合うように行動を改めることができる。そうした点において、恥は建設的でもあると著者の3人は話す。気を付けなければいけないのは、その価値観が正しいものかどうかだ。

 もちろん、社会やグループによって価値観は大いに違ってくる。恥は世界中の誰もが経験するものだが、文化の影響はかなり大きい。スイスでの恥と日本での恥は本当に同じだろうか?

 著者の1人テローニ氏は言う。「答えはイエスでもノーでもある。イエスなのは、恥はいつも人が自分にかけた期待を大幅に下回ったときに感じるものだからだ。この点で、恥は世界共通の感情だ。しかし、ノーでもある。恥の引き金となるのは環境や価値観だが、これは国や文化、歴史的背景によって異なるからだ。どんなときに恥じたり、恥じなかったりするのかは、社会環境によってかなり変化する」

恥さらし

 著者の3人は概して恥を肯定的にとらえているが、アメリカなどで最近、悪いことをした人を公然と非難することが流行っているのは考えものだという。

 「辱められることと恥じることをまったく区別しない考え方には、反対する」とロドーニョ氏は力説する。「これまで多くの事例があるように、名指しの非難は屈辱感を呼び起こすことが多い」

 屈辱感は他人へ直接向けられた怒りや復讐心であり、不公平に扱われたと感じる感情である。処罰の本来の目的は、このような感情を抱かせることではない。

 最後に、名指しの非難は、その人が他人より劣っているというメッセージの現れであるかもしれない。「これは、人は平等に威厳を持つとする現代自由主義の基本から逸脱している」とロドーニョ氏は指摘する。

 著者の3人がメンバーとなっている連邦科学研究能力センターの研究チームは、哲学者に限らず、心理学者や人類学者などがほかの学問領域から集まっている。分野によっては恥の研究が伝統となっているものもある。

 著者全員、哲学者として恥を研究することに何のためらいもないという。一般的に、恥など人の感情は実例を中心に研究されるが、哲学者の場合はモラルや倫理の観点から研究する。

 「心を研究する哲学者にとって興味があるのは、感情の本質だ。心の現象に関する相関性を調べたり、統計を取ったりするような実証主義的研究とは違う」とデオンナ氏。

 だが、哲学の分野である倫理学では、恥は特に興味深いテーマだという。伝統的に哲学では道徳の研究が行われており、恥と道徳には明らかなつながりがあるからだ。

 「モラルに関するアイデンティティを形成するうえで、恥がどんな役割を果たしているのか。それを理解することは哲学的に大変面白い。哲学で研究されるのは、私たちの価値観に合う生活を送るうえで、恥がどんな働きをしているのかという問題だ」

哲学の歴史ではこれまで、アリストテレスをはじめデカルトやスピノザ、サルトルにいたるまで、「情熱」と呼ばれた心の研究が伝統的に行われてきた。

心に関する実証主義的研究は比較的新しく、アメリカ人ウィリアム・ジェイムズが始めたのを機に心理学者を中心に行われている。また、チャールズ・ダーウィンも進化論の一部として心を研究している。ダーウィンの研究の中心は、人の顔の表情と、無言での感情コミュニケーションだった。動物にもそうした行動がある。

今日においては、心の研究は多分野にまたがっている。心理学はすでに心の研究学問としてすでに成立しているが、神経心理学者は近年、磁気共鳴映像装置(MRI)を使って、脳のどの分野に感情があるのかを突き止める研究を始めた。

一方、人類学者は文化の違いによる心の研究を行っている。研究者によっては、感情は世界のどこでも同じものと見なす人や、文化によって感情は変わってくると主張する人、そもそも「感情」という概念が世界共通であるのか疑う人もいる。

最先端を行く科学・技術・人文学分野で研究を助成しようとスイス政府が資金援助した20の研究所のうちの一つ。

ここでは人の感情を多分野にわたって研究しており、世界の先頭を行く。哲学者や心理学者、神経科学者、人文系学者や法律家などが集まる。同センターの所長は感情心理学者のクラウス・シェーラー氏。副所長はケヴィン・マリガン氏。

連邦科学研究能力センターの本部はジュネーブ大学にある。

長期的研究プロジェクトとして、感情はどう呼び起され、その際体にどんな変化が起こるのかが研究されている。また、特に社会規範に関して人はどう感情をコントロールするのか、コントロールがうまくいかなかった場合何が起こるのか、個人やグループ、多国間における社会的相互行為では感情はどんな働きをするのかが研究されている。

ここでの研究は、実際の場面に当てはめてみることができるという。ストレスや気分障害などの健康面をはじめ、個人間やグループ間、国同士の争いごとなどにもここでの研究結果が応用可能と同センターは強調する。

(英語からの翻訳、鹿島田芙美)

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